第10話 附属高校


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 私はグラウンドをまっすぐにつっきり、高校の敷地へと入る。

 グラウンドでは何人かがフットサルをしていたようだが、先ほどの轟音になにごとかと皆一様に高校の方を眺めていた。

 高校の校舎は、少し珍しい形をしている。

 真上から見ると変則的なコの字型をしていると言ったらいいのか、平行四辺形の一辺を取り払ったような形状だ。

 コの字の内側は中庭になっていて、各教室へとつながる廊下がその中庭に面している。中庭にいれば、校内全体を見回せる作りになっているのだ。

 建物の造りと、コンクリート打放しの外観の校舎は近代的な意匠だが、中庭へとやってくると、それが無惨な姿へと変貌しているのが視界に入ってくる。

 中庭をぐるりと取り囲み、バルコニー状になっている高校の廊下。その廊下の一部、コの字の一端が崩落していたのだ。

 それは大学よりの南校舎の方で、どうやら専門教室前の廊下だったようだ。

 校舎の端から五、六メートルほどの長さに渡って、二階と三階の廊下がなくなってしまっている。

 なんらかの要因で三階の廊下が崩れ、二階へと落下。その衝撃に二階の廊下も破壊され、まとめて一階に落下。瓦礫は一階の廊下を滅茶苦茶に壊して積み重なった。深く考えなくても、それくらいのことはわかった。もし直下に地下階があったなら、一階の床もぶち抜いてそこまで瓦礫は落ちていただろう。

 周囲の廊下や中庭では、生徒たちだけでなく高校の教員までもが、崩落した廊下を遠巻きに眺めている。

 さすがに直後なだけあって、まだ誰もが困惑している。教員もポカンとしていて、事態の対処にあたろうとする人はいないようだ。

 ……このタイミングでなにかあったとしたら、それは珪介と燐の三峯兄妹が巻き込まれているとしか思えない。

 私の調査対象となっていたセルシオ・シュタイナー教授と山崎徹の二人とは別に、彼らには高校一年の葉巻和彦という調査対象がいる。

 つまり、調査対象である彼が本物の天使だったからこそ、こんなことが発生したのではないか……?

「つかさ! 三峯!」

 崩落した廊下の真下、瓦礫の山の目の前で少年が叫んでいる。

 積み上がった瓦礫は、二階と三階の廊下だったものだ。先ほどまで廊下だったコンクリートの塊は、一階の科学室の入口の片側を封鎖している。

 その手前に立っている男子生徒は私からは背中しか見えないが、附属高校の学生服を着た、ごく普通の男子生徒といった感じでしかない。だが、その学生服はほこりまみれで、廊下の崩壊時にすぐそばにいたことがうかがえる。その彼が「三峯」の名を呼んでいたということは……もしかすると、彼が。

「けほっ、けほっ……。か、かずひこ、さん……?」

「三峯!」

 瓦礫の向こうから――科学室の中から――三峯燐の声が。やはりあの男子生徒は葉巻和彦のようだ。

「ん……んん、ったぁ」

「つかさ、おい!」

「つかささん、ケガはないですか!」

「え? あ、うーん。だいじょぶ、かな。ちょっと頭打っただけ」

 瓦礫の断面は、下の段と上の段とでは様子が異なる。下の段、二階の廊下だったであろうそれが叩き割られたような断面であるのに対し、上の段、三階の断面は切断されたかのようななめらかさで、焦げたような黒ずみがあった。

「あぁ……よかった……」

「え、ちょ、ちょっと……三峯さん?」

「あ……ごめんなさい、私……。でも、助けられてよかった」

 あれを見る限り、これは事故ではなく人為的なものだ。

 天使の力。

 しかも、状況から見るに、バルコニーを切断したのは高出力のレーザー光線に近いものだ。あらゆる周波数の光子を束ね、直線上に放射する――すなわち、光子を操る第二項の天使の力。

 脳裏に、十年前の光景が浮かび上がる。

 目の前を縦横無尽に駆けめぐる大天使ウリエルの“炎の剣”。バラバラになる建物と人々――。

 思わず、口元をおさえる。

 ……奴だ。

 十年前に生き残り、そのまま行方不明となった、あの少年。

 奴でなければ、こんな風に破壊することなどできはしない。

 目の前の、この葉巻和彦がそうなのか?

 突然の事態に驚いている雰囲気ではあるが、はたしてそれが演技でないと言いきれるだろうか。

「おい、五条――」

 不意に背後から肩を捕まれ、振り返る。

「山崎か――。なんだ?」

 私を追いかけてきたらしい。息を切らせた山崎と斎藤が、背後に立っていた。

「なんだじゃねぇよ。話は終わってないだろ。勝手に人を災害呼ばわりしといて――」

「――すまないが、後にしてくれ」

「おい!」

 彼には悪いが、今は山崎のことよりも目の前の方が問題だ。

 私は山崎たちをおいて、集まりだしていた野次馬をかき分けて葉巻和彦の背中へと近づく。

 彼が敵か味方か判然としないと思うと、不意をついてリアクションを見るべきか。なにか隠し事をしていれば、その兆候を垣間見ることができるかもしれない。予想外の出来事に直面したとき、人は隠していた本性を表すことが――。

「あら、沃太郎兄さま?」

 そう考えていたところで、逆側の出入口を使って科学室から出てきた燐に声をかけられた。

 燐は、もう一人の女子生徒に寄り添い気遣っている様子だ。二人とも、葉巻和彦と同様ほこりまみれだ。燐と葉巻和彦の言葉に従えば、もう一人の少女の名前はつかさ。長い黒髪の燐とは対照的な、栗色のショートカットの少女は、上階の廊下が崩落したという事態をうまく受け入れられていないようで、沈んだ表情でうつむいている。

 こんな事態を前に平然としている方が、余程おかしいか。

「……燐」

 葉巻和彦も振り返ってこちらを見てきたので、私は不意をつくのをあきらめて、燐の名を呼ぶ。

「無事か」

「私は……特には。ただ、私よりも天原さんの方が」

「そうか。無理をするなよ。これは――」

 ――奴の仕業にしか見えない。

 そう言おうとした。人前で天使のことを言うわけにもいかないが、だからといってその事実を告げないわけにもいかない。だが、私の言葉になぜか微笑みを返した燐に、思わず黙ってしまう。

「沃太郎兄さまは本当に心配性過ぎます。珪介兄さんもぼやいてますよ。『自分のことを棚にあげてこっちの心配し過ぎ』だーって」

「しかし……」

 私たちはこの地にやって来た直後で、まだここのことを把握できていない。そう考えると、これに奴が関与している可能性はゼロではない。もし奴が引き起こしたのだとすれば、私たちに対する警告や報復だとも考えられる。

 珪介と燐だけに任せていいのか?

 奴がいるかもしれないのに、私は……。

「沃太郎兄さま。心配してくれるのが迷惑なわけではないんです。うれしいのは確かですけど……珪介兄さんと私は、そんなに頼りありませんか?」

「……」

 そう言われては、私も反論できない。

 確かにその通りだ。私は過保護すぎるのかもしれない。

 ――悪い方に悪い方に考えちゃうの、よーちゃんの悪いクセね。

 姉さんの言葉が脳裏をかすめる。

 自分の任務もまともに遂行できていないのに、他人の心配してる余裕などあるわけがない。

「……わかった。任せるぞ」

 ――奴の……仇討ちまで。

 そこまでは言わなかったが、燐は分かってますよ、と言いたげにうなずく。その瞳からは強い意思が感じられた。

「和彦さん、行きましょう。天原さんを保健室に連れていかないと」

「あ、うん。そうだね」

 燐に声をかけられた少年が、あわてて二人に駆け寄る。燐と葉巻和彦、そして天原つかさの三人はゆっくりとした足取りでその場を去っていく。

「さて……」

 任せる、とは言ったものの、このままでは警察がやってきて現場検証を始めてしまう。その前に、多次元時空保全委員会で現場を保全する必要がある。

 珪介が連絡しているかもしれないが、私からも錫姉さんに連絡するべきだろう。

 そう思い、携帯端末を取り出す。

「……?」

 なんの気なしに振り返る。

 誰かの視線を感じた、とかではない。事件の当事者である燐と話をしていた私は、当然ながら野次馬から多数の視線を向けられている。

 天使の力……ではないはずだ。

 けれどどこかそれによく似た、あまりにも弱い静電気みたいな、微かな感覚。

 私の背後は野次馬ばかりで、私を追いかけてきた山崎たちもどこにいってしまったのかわからなかった。誰が怪しいかも、判断しようがない。

 ……気のせい、か。

 私はかぶりを振り、携帯端末で姉さんを呼び出しながらその場を離れた。


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