第7話 帰路


7

 天使。

 ……天使?

 ――君は私と同じ天使なんだよ。

 なんだそれ。

 天使って……なんなんだよ。

 超能力者?

 それで命まで狙われるってか?

 なにがなんだか分かりゃしねぇ。

「……どうしろってんだよ」

 思わずつぶやく。

 結局あのあと、教授は「詳しくはまた明日話そう」と言っていなくなってしまった。

 周囲には人だかりができはじめていて、俺と美嘉は人目を避けるようにしてその場を離れた。中庭の樹木が折れたことや五号館の自動ドアの破壊が俺たちのせいにされても困る。

 ……誰も見てないってことはなかっただろうから、今さら逃げたところで手遅れだったかもしれない。

 とにかく、俺たちは午後の講義残り二つなんて行く気になるわけもなく、早々に帰路についた。

 美嘉は隣……というか、一歩後ろで俺の袖をつかんでいる。

 うつむいたまま黙りこくっている彼女と、なにを言えばいいか分からない俺の二人は、まったく会話のないまま歩いていた。

 美嘉がどんなことを考えているかは分からないけれど、俺の頭の中ではさっきの教授の言葉がぐるぐると回り続けている。

 天使だとか言われてもピンとこないし、超能力なんて言われたらなおさらだ。そんなの、普通だったら鼻で笑っている。

 なのに。

 あの白衣の男と教授の、蒼く光輝く瞳。空間を歪めたりなにもかもを破壊したりした、理解不能の力。そして、紅や蒼の魔法陣。

 鼻で笑うことなんかできなかった。

 だってあれは間違いなく、本物だったのだ。否定の余地などないほどに。

「徹……?」

「ん? あ、ああ……悪い」

 美嘉に名前を呼ばれて、顔をあげる。目の前には見慣れたT字路があった。それぞれの家へと続く分かれ道まで戻ってきていたのだと、やっと気づく。

 俺も美嘉も、学生向けの安アパートで一人暮らしをしている。お互いそれなりに近いところに住んでいるが、それでも歩いて五分くらいは離れている。

「じゃあ、また明日――」

「……」

 俺の別れの言葉に、美嘉は俺の袖をぎゅっとつかみ直すことで答える。

「美嘉?」

「……」

「どう――」

 うつむいたまま立ち止まっている美嘉に、どうしたんだよ、と問いかけようとして、そのえも言われぬ感覚に喉をならす。

 さっきの、中庭で感じたやつに似ていた。

 感覚が過敏になっているのか、それともこれを感じてしまうのは天使とかいう超能力があるせいなのか。

 ……ダメだ。そんなことばっかり考えてたら頭がおかしくなりそうだ。

 落ち着け。

 そんなよく分からない感覚なんて気にすることない。

 気をまぎらわせようと頭をふって美嘉を見る。

 彼女はまだうつむいたままで、どんな表情をしているのかうかがい知れない。

 その様子を見て、ようやく気づいた。

 自分のことばかりで気がまわっていなかった。あの異常な光景を目の当たりにしていたのは、俺だけじゃなかったのに。俺のとなりに、美嘉はずっといた。あの光景を前に不安を抱いているのは、美嘉も一緒に決まってる。

「……悪リ」

「え?」

 美嘉は一瞬ぽかんとして、俺を見上げてくる。

「俺、いっぱいいっぱいになってたけど……美嘉だってそうだよな」

「それは……えと、その……」

 そうして、美嘉は意を決してって感じで俺の袖から手を離す。

「徹。私……大丈夫だから」

 無理にそう言ってるのは、見ただけでわかる。

「……」

 とてもそーは見えねーけどな。

 っていう半眼の視線を投げかけると、それだけで美嘉は肩を縮こまらせた。……全然取りつくろえてねーじゃねーか。

「……うぅ」

「――じゃ、俺が大丈夫じゃないから、美嘉の家に寄っていいか?」

 だから、逆にそう言ってみることにした。気楽な調子で、美嘉が「しょうがないなぁ」って返せるように。別に、俺の告げた言葉自体、そう間違ってるわけでもない。

「え……」

 俺の言葉にぽかんと絶句する美嘉。

 そんな顔に、俺が家に来るのは嫌なんだな……、などと思っていたら。

「……」

「……」

「いや、その……。そんなに顔真っ赤にされたら、俺も恥ずかしいだろ」

「あう。……ごめん」

 顔を見合わせてみて、とりあえず困る俺。

 美嘉は美嘉で、またうつむいたものの、さらに顔を赤くしているのがわかった。

 そんなリアクションを取られるとは思ってなかった。

 なにやってんだ俺たち。

 なんだこの気まずさ。

「まー、あの、なんだ。無理にとは言わないから、駄目なら駄目で――」

「――ダメじゃない! ダメじゃないから!」

 あわてふためいてパタパタと手を振る美嘉に、俺は苦笑してしまう

 そんな俺を見て、美嘉はピタリと動きを止め、やがて同じように苦笑した。

 それから俺たちはどちらからともなく手を繋いで、美嘉のアパートの方へと歩き出す。

「……あ」

「どうした?」

「部屋、散らかったまんまだよ……徹に見せらんない」

「そうか……ならやめと――」

「――やめない! やめないからね」

 美嘉は俺が逃げるとでも思ったのか、手を強く握りしめてくる。

 握力がけっこう強くて痛かったのだが、必死の表情の美嘉を責められなくて、黙って我慢した。

「お、おう」

「……徹の部屋は?」

「美嘉の部屋を散らかってるなんて言ったら、俺んちはもう樹海だぞ。人が入れるくらいに片付けるのに、二、三時間はかかる」

 俺は知っている。美嘉の「散らかったまんま」というのは、俺からすればほとんどきれいに片付いている状態と同じだ。

「えええ、でも……」

「だいたい、美嘉の部屋が散らかってたことなんてないだろ。せいぜい洗濯物干してるとかじゃん」

「それが問題なんじゃないの……」

 まあ、考えてみれば下着とかを見られるのは恥ずかしいものかもしれない。

「俺が部屋の外で十分くらい待ってればいいんだろ?」

「それは、でも……」

「じゃあ俺はちょっとコンビニに行ってお菓子かスイーツを買ってくる。美嘉はその間に部屋の片付けをする。これでどうだ?」

「!」

 スイーツ、という単語に反応する美嘉。相変わらず甘いものに弱いな。

「私、タルトタタンかミルフィーユ食べたい」

「それ、コンビニで売ってるやつか……?」

 ケーキの名前なんだろうけど、たいした知識のない俺からすると、なにかの呪文を唱えてるみたいだ。

「あ、そっか……ケーキ屋さんは近くにないもんね」

「駅前にあるらしいけど、こっからじゃ遠いしな」

 俺の相づちに、美嘉がじっとこっちを見てくる。……その手があったって思ってるな、これは。

「行かないぞ」

「じゃあ」

 不満そうな顔をする美嘉が次になんて言うか、俺にはすぐ分かった。

「美嘉がついてきたら意味ないだろ。部屋の片付けするんだろ?」

「むうぅ」

 美嘉はほほを膨らませて不服そうな顔をする。

「……行かないからな」

 そう美嘉に……いや、自分に言い聞かせ、彼女の手を取って彼女の家を目指す。

 そんな下らない話をしていたら、気づけばさっきの嫌な感覚も、不安な気持ちもなくなっていた。

 なにか確信を得られたわけじゃないけれど、美嘉のおかげだって思えた。

 信じがたい状況に巻き込まれて、よくわからないことばかりで……。そこには、正直不安しかない。

 でも、美嘉が隣にいてくれれば、なんだか……大丈夫でいられる気がしたんだ。

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