第6話 疑念
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『よーちゃん、聞いたわよ。上には連絡したから、警察が介入することもないけど……。もう、もっと早く連絡してくれないと私だってこまる――』
「セルシオ・シュタイナーは天使だった」
『……っ!』
通話を開始したとたんにまくし立てる錫姉さんをさえぎり、私は端的に事実だけを告げた。姉さんは携帯端末の向こう側で息を飲む。
「山崎徹も天使である可能性は高い」
『……確かなのね?』
今まで見つかることのなかった、私と燐以外の天使の存在。その事実を前に、それでも姉さんは驚愕を押し殺して意識を切り替えていた。
「セルシオ・シュタイナーについてはこの目で確認した。山崎徹は……その力らしきものを感じただけで、まだ断言できない。けれど、恐らく間違いないだろう。セルシオ・シュタイナーの見解も同じだ」
『……? シュタイナー教授と敵対したわけではないの?』
「ああ。いや、それが……」
頭をかく。
性急すぎて、言い足りなかったことが多すぎたらしい。少し落ち着いて、状況をはじめから説明し直す。
「まず、何者かが山崎徹を襲撃してきたんだ。それを察知したセルシオ・シュタイナーが、山崎徹を助けるために男と交戦して――」
それから、一部始終を説明した。
男と交戦したものの、セルシオ・シュタイナーは競り負けたこと。男が山崎徹を殺害しようとしていたこと。男が重力子を操り、樹木の枝や幹で山崎徹を串刺しにしようとしたこと。その寸前、それらが淡い燐光とともに消滅したこと。私が現場にたどり着いたのはそのあとだったこと。
そして、セルシオ・シュタイナーの語ったことについて。
『シュタイナー教授が第三項の天使で、謎の白衣の男が第四項の天使。そしてさらに、山崎徹を狙った物体が消失、ね。確かに、グルーオンをコントロールできれば同じ事象は引き起こせるでしょうね。確かに、状況的にシュタイナー教授でなければ、山崎徹の力と見るのが自然……か』
グルーオンは、強い相互作用を伝えるゲージ粒子だ。
グルーオンを操り、強い相互作用による場を消失させれば、原子核はその形を保てずにクォークにまで分解される。それをマクロなスケールで見れば、物質が消失したとしか思えない光景になるだろう。ついさっき、山崎徹の目の前で起こった事象のように。
『白衣の男も問題だけど……五十時間後に特異点が発生する、ですって? それ、確かなの?』
錫姉さんのトーンが上がる。
無理もない。
特異点というのは、重力の無限大となった極点のことだ。より一般的に言うならブラックホール、またはそれに類するもの。例えば……ワームホール。
仮に顕現するのがブラックホールではなく、ワームホールだったとしても、発生によって何が起きるかは未知数としか言いようがない。どちらにせよ壊滅的な被害が出る可能性は高い。
「……わからない。けれど、セルシオ・シュタイナーは確信しているようだった。こちらがそれを知らないこと自体に驚いていたんだ。もしそれが嘘で、驚いたのが演技だったとしても……そんなことをしてこちらの警戒心をあおる理由がない。白衣の男がまた現れる可能性も考えると……あり得る話だと思う」
『……それはそうね。わかったわ、上に確認する。あと、山崎徹の覚醒についてね。特異点発生が事実なら、確かにのんびりしてられないわ』
「だけど――」
『ええ、そうね。たぶん、回答はないでしょうね』
あきらめに似た深いため息を、姉さんはつく。
「姉さんはどう思う? 無作為な覚醒で被害が出るくらいなら、監視のもと山崎徹を覚醒させるべきだっていうシュタイナー教授の意見が理にかなっているのは確かだ。教授と自分と、天使が二人いれば、彼が暴走しても被害を防ぐことはできるかもしれない」
『……』
だが、対する姉さんは返事をしなかった。
決断の早い姉さんが珍しく迷っている、というわけではない。
「姉さんは、山崎徹が暴走する可能性を放置するのか?」
姉さんの沈黙は、否定だ。
『言わなくてもわかるでしょ。私には大切にできる人が限られてる。指令なら……従うけど』
それはつまり、私に監視させることで私を危険にさらすくらいなら、山崎徹の覚醒によって大勢が巻き込まれた方がましだ、と思っているということだ。
「そういう問題じゃ――」
『私にとってはそういう問題よ。よーちゃんのためなら、私は世界を敵に回すもの』
「……」
『よーちゃんとリンちゃんのどっちかの命しか助けられなかったら、私はリンちゃんを見捨てるわ。そういう人だって知ってるでしょ?』
「……そうだね」
気楽な調子で、姉さんは実に物騒な想定について告げた。その清々しいくらいの決断力に、もはやため息すら出ない。
『でも実際のところ、私たちが動けるかどうかって言われても、シュタイナー教授の言葉にどれほどの信憑性があるかにかかってくるのよね。シュタイナー教授の話を信じられる要素は状況証拠だけ。客観的なデータは無し。今日初めて会った相手を信用するには、根拠が薄弱。無茶な話よ。もし、多次元時空保全委員会に教授の話を裏付けられるだけのデータがあるなら別だけど……上から回答がなかったら、正直に言って動きようがないわね』
「だが……」
『――そうね。上にデータの開示を求める。あとは、もし教授の話が本当だったとき、上の人たちには迅速な対応を約束させる。私に可能なのはそれくらい。トモにも監視の継続以上の指示は出せないわ。そこまで性急に山崎徹を覚醒させるには、根拠が足りない。半径百キロメートル以内に誰もいない場所が都合よくその辺にあって、そこでやるっていうんなら別かもしれないけど』
「確かに……その通り、か」
山崎徹の天使の力を、無理矢理にでも覚醒させるべきかどうか。
それの判断基準となるのは、『特異点発生の予測は約五十時間後だ』というセルシオ・シュタイナー教授の言葉だけだ。現状では、教授の言葉を信じる以外に方法がない。
……そして、それを無心に信じられるほど、私たちは教授を知らないし、信頼しているわけでもない。
姉さんの言葉に反論の余地はなかった。
だけど、嫌な予感がぬぐえない。
――私は今度こそ、私のやるべきことをやれるのだろうか。
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