第5話 天使


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「やれやれ。久しぶりとはいえ、ここまで遅れをとるとはな。……ともかく、無事でよかった。助けてやれなくてすまない」

 俺たちの背後から声。振り返ったそこには、セルシオ・シュタイナー教授が立っていた。

 教授の瞳は、紫水晶に戻っている。

 ……だけどついさっき、その瞳は確かに光っていた。身がすくむような蒼い輝きは、脳裏から離れない。

「……」

 俺は美嘉を抱いたまま、一歩下がって教授から距離をとろうとする。

 そんな俺に、教授は害意がないことを示すためか、両手を上げて弁明する。

「まあ、そうなって当然なのだろうがね……。君の敵ではないよ」

 教授はそう言うが、それを素直に受け入れるには、先ほどの光景はあまりにも非現実的すぎた。

「その……目は」

「……そうだな。まずはそれから説明が必要か」

 そう言って考え込むが、教授は困ったように頭をかく。

「理論や理屈を説明しようとしたらいくら時間があっても足りん。詳細はまたの機会ということにしようか。いわゆる……超能力、と言ってしまうのが分かりやすいかな」

「超能力……。それって……魔法、みたいな?」

 なにもない空間に蒼い光が溢れだしていく様は、魔法陣のようにしか見えなかった。その光景から、魔法を連想したのは俺だけじゃなく、美嘉もだったようだ。

 そんな風に言われることを予期していたのか、美嘉の疑問に教授は苦笑を浮かべる。

「まさか。現代では解明されていない事象かもしれないが、科学と物理の法則に従う、れっきとした物理現象だよ。魔法だとか魔術だとか言うものは、現実には存在しえない」

 そう言われても、俺たちは顔を見合わせるしかない。

 紅と蒼の輝きに、あの……魔法陣とともに行使された力を見たあとでは、特に。

 あれが魔法じゃなかったら、いったいなんなんだよ?

「とはいえ、そうか。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない、というのも有名な格言だな。……この力を持つ者は、天使、と呼ばれている」

「てん、し……?」

 天使なんていうと、頭上に輪っかがあって、白い翼があって、というイメージなのだけれど。

 ……目の前のセルシオ・シュタイナー教授は、東欧系のダンディなおっさんだ。そのルックスはともかく、一見、普通の人にしか見えない。

「ま、名称はそれほど重要なことではない。その名称を君たちも使っているとは限らないしね。どうかね?」

「え?」

 不意に横を向いて、教授はそう言う。

 つられてそっちを見ると、険しい顔の青年が立っていた。知らないやつだ。……いや、違う。ついさっき、講堂で会話した男か。教授の人気に驚いて声を上げていた男。

 ついさっきのことだったはずなのに、もうかなり前のことみたいだ。

「シュタイナー教授。あなたは……天使であることを隠していたのですね」

「……そうか。君たちも天使と呼ぶのか」

「質問に答えていただきたい」

 五条沃太郎の直接的な物言いのせいか、教授は肩をすくめて見せる。

「まぁ、普通は隠すだろうさ。というより、力を行使する必要性にかられなかったから、表明する必要がなかったと言うべきかな。むしろ、わざわざ見せびらかすやつの方がどうかしている。そういうやつの危険さは、考えるまでもないと思うが?」

「それは……」

「これでも、迫害を受けたこともある身でね。余計な関心を引くのは好みじゃないのさ」

「……」

 内容のわりに、教授はそう軽く言ってのける。

「それで、その……。さっきの男の人は……」

 美嘉の言葉に、教授は首を振る。

「名前までは知らない。だが、何度か会ったことがある。私と彼は……そうだな、地球上の特異点を求めて奪い合っている。そう言って、差し支えはないだろう。そういう意味では、私にとって敵というか、競合相手なわけだが……ふむ。あの態度から察するに、どうやらヤマサキ君の敵でもあるようだな」

「敵……?」

 ――変えられないのだろうが、検証の必要が無いわけではない――。

 ――偶然なのか、助かるべくして助かったのか……どちらかはすぐにわかる――。

 ――私にもやらねばならないことがあってね――。

 ――ここであなたが死なないのは、確かな事実ということか――。

 そんなことを言いながら俺を殺そうとしてきた白衣の男。確かに、敵じゃなきゃあんなこと言わないだろう。

 でも、なんでだ?

 あの男のことなんて、俺はなにも知らないのに。面識のない男から殺されかけるって、どういうことだよ。

「――ちょっと待って下さい。特異点を求めて奪い合っている? 教授、あなたはいったいなにをするつもりなんだ」

 俺が黙りこんでいる合間に五条がそう問うが、教授は肩をすくめて見せただけだった。答える気はないということなのだろう。

「……今はそれよりも、彼の力について話すべきだろう」

「それは……そうかもしれませんが」

 話についていけない俺たちは、教授と五条の会話に疑問符しか浮かばない。

「ヤマサキ君には、早く使いこなせるようになってもらわねばな」

「なにを。危険すぎる!」

「そうかね? あの男が再度襲撃してくる可能性がなくなったわけではない。君が彼を守ると確約できるかい? いつ、どこからやってくるかわからないんだぞ」

「……ですが、不用意な力の行使を認めるわけにはいきません」

「君の許可が必要かね。君は単なる学生だろう」

「国家機関に所属しています。名称は明かせませんが、制裁も可能です」

「そうか。……やれやれ、多次元時空保全委員会の者だったか」

 ため息をつく教授に、五条は目を見開く。

「なぜ、その名を」

「……まったく。未だにその名前を聞くとは思っていなかったな。――いや、今ここにあるからこそ、なのだろうが。ともかく、彼の力は早いうちに覚醒させねばならん」

「許可できません。力の濫用は、予測不可能な被害を招く。しかも、まだ覚醒前となれば、甚大な被害が発生する可能性も高い」

「だからこそ、ではないかね? 致命的な暴走が起きる前に、私や君がいて抑えられる環境でコントロールできるようになっておいた方が、結果的に被害は最小限で済む」

 教授の言葉に、五条は黙りこんだ。よく分からないが、一理あるようだ。

 だが……そもそもいったいなんの話をしている?

「……私だけでは許可できません。上の判断を仰ぎます。それまでは迂闊な行動は慎んでいただきたい」

「まあ、それが君の言える精一杯のところだろうな。よかろう。とりあえずはそれでお互いの合意としようか」

「ありがとうございます」

「委員会の決定が迅速であることを願うよ。特異点発生の予測は約五十時間後だ。現状では、原因が彼となりうる可能性は限りなく高い」

「なんですって? 五十時間……明後日?」

「……? まさか、知らなかったのか?」

 教授は意外そうに五条を見る。

「私が把握できたことを委員会が把握できないはずが……ふむ。委員会の隠蔽体質もこの頃からあったと見るべきか。ゴジョウ君。君が知らないのも上の方針かもしれんが、事実だよ。彼の覚醒を急がねばならん理由もわかっただろう。早く委員会に確認をとりたまえ。手遅れにならんうちにな」

「……」

 険しい顔でうなずくと、五条は無言のままできびすを返し、足早に立ち去っていってしまう。

 その背中を見送るが、俺は訳がわからなさすぎて眉をひそめるくらいしかできない。

「さて――」

「――きょ、教授」

 ようやく話ができるな、といった態度の教授に、美嘉が問いかける。

「力って……まさか、徹のことを言ってるんですか」

 ……?

 俺の?

 それってどういうことだ。

 まさか――。

「そうだ」

 教授はうなずいて見せる。

「確定するにはまだ観測が足りないが、ほぼ間違いはないと言っていいだろうな」

「ちょっと待てよ。それって――」

 教授の紫水晶の瞳が、俺を射抜く。

「トオル・ヤマサキ君。君は私と同じ天使なんだよ」


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