ver.2
あるところに、橋のかかった川がありました。
イヌとキツネは、毎朝、その橋ですれ違います。
「やあ、キツネくん。今日もブドウを取りに行くのかい?」
ある日、いつものようにイヌはキツネに声をかけました。
「そうだよ、イヌさん。君こそ今日も肉を取りに行くのかい?」
イヌとキツネは挨拶もそこそこに自分たちそれぞれの目的の場所へ向かいました。
イヌは人間の肉屋へ行き、仲間のイヌが肉屋の店主の気を引いている隙に肉を咥えて逃げ去りました。
何匹かの仲間は店主に棒で叩かれて死んでしまいましたが、イヌはしっかり肉を咥えて帰り道につきました。
一方、キツネは人間の葡萄畑へ忍び込んで、葡萄棚になっているたくさんの葡萄をひとつ、盗もうとしました、
しかし、葡萄棚は人間でも背を伸ばさないと届かない高さで、キツネには絶対に届きませんでした。
仕方なくキツネは何も手に入らないまま、帰り道につきました。
そして夕方になり、二匹は今朝と同じように橋の上で出逢います。
先に声をかけたのはキツネでした。
「やあ、イヌさん。君は目的のものを手に入れたようだね」
イヌは肉を咥えたまま答えます。
「キツネくんは、そうではないようだね」
その言葉に、キツネは笑ってこう言います。
「酸っぱい葡萄なんて、手に入れても仕方ないからね」
聡いイヌはすぐに思い至りました。
キツネはきっと葡萄を手に入れることができなかったのだと。
そして、そのことが悔しいから、本当なら間違いなく甘いだろう葡萄を酸っぱいと思うことにして、無理に諦めたのだと。
イヌは急に、自分だけが欲しいものを手にできていることがバツが悪くなりました。
黙り込んでしまったイヌに、キツネがこう言いました。
「君はいいよね。欲しいものがなんでも手に入って。僕は違う。欲しいものはいつも手に入らないんだ」
イヌはそれを聞いて、キツネを憐れむ気持ちがいっぺんに吹っ飛んでしまいました。
「キツネくん、お前は何を言ってるんだ。俺がどれだけ大変な思いで、どれだけの犠牲を払ってこの肉を手に入れたのか知らないくせに」
キツネは肩をすくめて言います。
「知るわけないじゃないか。あーあ、それにしても、欲しいものが手に入るやつは憎たらしいよな。僕は人生負け続けさ。一度も欲しいものが手に入った試しなんかありゃしない」
イヌははらわたが煮え繰り返るくらいの怒りを感じました。
こいつは仲間を失う苦しみも知らず、肉屋を出し抜く知恵も絞らず、きっとただちょっと葡萄棚の下で跳ねただけで、自分はダメなんだと思い込んでいるに違いない。
そんな軟弱な生き物にこんなふうに言われて、腹が立たないはずもない。
イヌはそう思ったのです。
なので、キツネに対して意地悪をしたくなりました。
キツネに見えるように、橋から下を静かに流れる鏡のような水面を見下ろします。
「キツネくん、下を見てみたまえ。水面に映っているものを。上等そうな肉を咥えたイヌッコロがいやがるぞ。ほら! その肉をよこせ!」
イヌが大きく吠えた瞬間、咥えていた肉が口から滑り落ちて、川面にぼちゃんと落ちてしまいました。
「ああっ!?」
キツネはたいそう驚いてしまいました。
キツネは本当はイヌが咥えていた肉が羨ましくて仕方がなかったのです。
自分は欲しいものが手に入らなかったのに、イヌはそれを手に入れていたのですから。
なので、イヌがこんなバカなマネをしてそれを失ってしまうのが、全く信じられなかったのです。
イヌは勝ち誇った顔でキツネを見て、言いました。
「どうだい? キツネくん。これが欲しいものを手に入れるために必要な態度だよ。水に映った自分にすら嫉妬して、たとえ愚かだろうと、ここまで心の底から欲しいものを欲しいと願わないと、何も手に入らないんだよ。君が負けるのも無理がないよ。俺のように強い心を抱くんだ」
キツネはすっかり怯えてしまって、耳がへにゃんと倒れたまま情けない声で答えます。
「そんなことはできないよ、僕は元々大それたことができない心根を持って生まれたんだ。君のように肉屋を出し抜く知恵も、肉を心の底から求める愚かしい勇気も持っていないんだ。それでも葡萄は欲しい。本当に欲しいんだ」
「君はバカだね」
イヌは心底軽蔑した声で言いました。
「そして卑怯者だ。君は俺のようには一生なれないだろうね。君は自分が本当に欲しいものも誤魔化してしまう。もっと自分が何かを欲しいと思う気持ちを受け止めなきゃ。好きなものを追い求める気持ちこそが、君を本当の君にしてくれるんだ。君は自分が何かを欲しいと思う気持ちを自分で好きになったことはあるのかね?」
キツネはゆっくり首を横に振りました。
「イヌさん、君は自分のそういう気持ちが好きなの? 確かにその気持ちは君を幸せにしたんだろう。でもね、イヌさん。僕はそんな気持ちで、幸せになったことなんかないんだ」
その時、矢が飛んで来て、イヌとキツネをいっぺんの射抜いて、二匹を殺してしまいました。
肉屋と葡萄棚の農場主が雇った狩人でした。
狩人は、橋の上で重なり合うように倒れた二匹の亡骸を拾い上げると、あまりに痩せたその体を見てとって、食いでがないと思って橋の下に投げ捨ててしまいました。
ぼちゃん。
さっきの肉よりもずっと大きな音を立てて、二匹の死骸が川の底に沈んでいきます。
水の底には、たくさんのキツネとイヌの死骸が一面に沈んでいました。
今しがた投げ入れられた二匹の死骸が、その上に重なりました。
川が堰き止められ、人間の里の水が干上がり、葡萄棚が枯れ、肉屋が生活に困るまで、呪いのように亡骸が積もっていくことでしょう。
【世界の童話】犬とキツネと肉とブドウ【異説】 北條カズマレ @Tangsten_animal
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