動物園

三文の得イズ早起き

動物園

 大抵の事は、終わる。

 カマキリが緑の葉に水色の卵を産み付けた。

 風が拭いて、その水玉を隣の葉の水滴と融合させた。

 カマキリはジロリとこちらを見た。


 クモがカマキリを上から眺めていた。カマキリはクモに気づくことなくジリジリと首を捻っていた。

 また大きく風が吹いて、蜘蛛の巣は大きく揺れた。大きく揺れてクモは捕まっていた蜘蛛の巣から下に垂れていった。

 クモは糸を吐き出し、さらに下へ、下へと伸びていった。


「嘘だらけ」

 男はカマキリを眺めてそう呟いた。男が何を考えていたか? 唯一彼の頭上でゆらりと糸に揺蕩うクモだけが男を理解していた。


「くだらないよ。殆どの物が。そう思わないか?」

 男がカマキリに言ったのか、その卵に向かっていったのか?


 また風が吹いた。今度の風はさらに大きかった。

 男の頭上で振り子のように円弧を描いていた蜘蛛は、まるでサーカスの空中ブランコでピエロがうっかり手を離した時のようにふわりと糸からその体を離脱させた。

「ふわり、」クモは実際にそう声に出した。


 空中で何度か回転をしたクモは丁度八度目の回転で男の肩に辿り着き、そこにガシりとしがみついた。


「バカバカしい事をバカバカしいって俺は言うけど、世間はそうじゃない。俺がバカバカしいって思う事が多くの連中にとっては楽しい事なんだ。これって悲劇じゃないか。俺はマイノリティなんだ。何もかも嫌になる。何もかもだ」

 カマキリはそう言って口から泡を吹いた。


「お前、日本語喋るのか」

 男は身を乗り出してカマキリをじっと見た。

「お前、日本語喋るのか?」

 男は繰り返した。

 カマキリはジリジリと首を回している。そのグロテクスさに男は気分が悪くなった。


 太陽が登っていた。昼だ。

「ああ、嫌だ嫌だ」

 カマキリはそう語って自分のカマを振った。

「ああ嫌だ。これはなんなんだろうな。この感情は。なあ兄弟。どう思う?」

「ああ兄弟。なんなんだろうな。良くない感情であることは間違いない」

「それは、一種の嫉妬だよ」

 男の肩に留まっていたクモが口を挟んだ。

「嫉妬?」

 男とカマキリがほとんど同時にそう言う。

「俺が何に嫉妬してるんだい。なあ兄弟。俺は何に嫉妬してるんだい?」

「そりゃ、全てにさ。お前のカマなんて弱いだろ。俺の糸を見ろよ。どうだい。こうやって空中に浮かぶ事もできるんだぜ」

 クモは男の耳まで一気に駆け登ってそこに糸を垂らし、下へと伸びた。

 男は耳から伸びた糸を耳から引き離すとポイと地面に投げ捨て、そしてクモを踏みつけクモを殺した。

「俺が嫌いなのは、暴力と軽薄さだ」男は言った。「それから盗む事、そして裏切る事だ」


「殆どの事はくだらない。でもさ」

 カマキリはぺしゃんこになった蜘蛛を眺めながら言った。「ほんのわずか、そうじゃないものもあるじゃないか」

 踏み潰されたクモもぺしゃんこの体で「そうだそうだ、たまにあるじゃないか」と声を張った。

「ほんのわずか。ほんのわずか」

 男は繰り返した。「ほんの、わずか。プレシャス。precious」

「プレシャスじゃない。スペシャルだよ。special」

「そうかもしれない。うん。確かにそうかもしれない」

 男はわずかながら明るい気持ちを取り戻したかに見えた。

「ほんのわずか、あればいい」


 男は振り返って自分達が入れられている鉄の檻の、その鉄格子を見て、それからその向こうにいる幾多の人々の顔を見た。

「まるで動物園だな」

 カマキリはそう言った。男は「いや、動物園だよ」と言った。

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動物園 三文の得イズ早起き @miezarute

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