第39話


 それから僕は毎日の様に彼女の病室に通った。

 引戸を三回ノックすると「はーい!」という元気な返事が聞こえる。

 中に入れば彼女は笑顔で迎え入れてくれて、壁に掛けられたパイプ椅子を設置して彼女の隣に座る。

 持ってきた文庫本や雑誌、DVDの入った袋を渡せば大袈裟なリアクションを取って喜んでくれた。

 

 暇つぶしの道具として、自室にあったゲーム機を持ってきたこともある。

 夢の中で遊んだ、例のレースゲームだ。

 僕が一人暮らしを始めたての頃、夜二人でやっていたことを思い出す。あの時も、僕は容赦なく彼女をボコボコにしていたな。

 病室にあるテレビに接続して二人で遊ぶ。「手加減してよね?」と彼女は言うが当然できるはずもなく僕は連勝し続けた。

 その度に彼女は「もうっ!」と僕の肩を楽し気にバシバシと叩いてきた。

 面会時間ギリギリまで、他愛もない話をしたり、一緒にテレビやDVDを見たり、車椅子に彼女を乗せて外を散歩したりした。

 

 夜になれば、僕は短い時間ながらアルバイトに出かける。

 正直気は乗らないが、また彼女に“あなたが今ボロボロになっているのは私のせいなんだよね?”と思わせないように、社会復帰への第一歩を踏み出すことにしたのだ。

 実を言えば、あの言葉は結構応えるものがあった・・・。

 彼女と会話をしている途中、僕はふと気になっていたことを思い出し聞いてみる。


「そういえば、僕があの夢を見た前夜、ユリナと出会ったんだよ」


 そう言うと、彼女は驚いた様に目を見開いた。


「えっ・・・リョウも?」


 反応から察するに、あの日彼女も僕と出会っていたらしい。

 しかしそうなるとおかしい話になる。

 彼女の足は、もう使えない。歩くどころか立ち上がることさえままならないのだ。

 雨の路地で再会した彼女は、確かに地に足を着け僕の方へ向かって抱き着いてきたはずだ。


「私、神様に願ったことがあるんだ。夢の中でもいいから、リョウと会わせてって」


 夢の中の病室で見た、彼女の日記を思い出す。

 その願いがきっかけで、例の夢は引き起こされた。


「あと、この足が動くなら今すぐあなたの元へ走っていきたいみたいな、そんなことも願ったかな」


 両手で顔を覆って恥ずかしそうに身を捩っている。

 ということは、あれは現実ではなく既に夢の中だったのだろうか?


「びっくりしたなー。気づけば土砂降りの中傘も差さずに路地に立っていて、目の前には髪や髭を異常に伸ばしたリョウがいるんだもん。

 両足を自由に動かすことができたから、そのままリョウの元まで突っ込んでいった。

 自分がリョウを振ったくせに、そんなことも忘れて胸の中で甘えていた・・・ごめんね」


「いいんだ。僕も、あの時は嬉しかったから」


 そう言って微笑むと、彼女もクスリと笑ってくれた。


「あと、ユリナ。あの時最後何かを口にしていたよね?あの後すぐに意識を失ったから、聞き取れなくて」


「うん・・・あれはね」


 彼女は横髪を片耳に掛け、目を細めて言う。



「会いたかった。そう言ったんだよ」



 窓から生温かい風が、桜の花びらを乗せて吹き込んでくる。

 桜の花はしばらく宙をゆっくりと漂い、リノリウムの床にポトリと落ちる。


 彼女がいなくなってしまうことさえ、全て夢だったらいいのに。

 心地よさそうに笑う彼女を見て、そう思わずにはいられなかった。




 それから二年後、僕はこの街から出ていった。

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