10話 叩き

それから3日ほどが経ったが、依然として鹿島真子かしままこを巡る週刊門川の報道はSNS上の話題になっていた。

もっと早く世間の人々の興味は薄れてゆくのだろうと俺は思っていたが、どうも一部のアンチが根強く騒ぎ続けているようだった。




だが時間の経過に伴い、少しばかり世間の論調は変わり始めていた。


「未だにアイドルとかいう叶うはずのない疑似恋愛商売にカモられてるドルオタって奇跡的なバカじゃね?」


という風にだ。


もちろん未だパパ活をしたとされる(その根拠とされるのは例の門川砲だけなのだが)鹿島真子も《叩き》の対象とはなっていたが、彼女に対する批判は一段落したような空気があった。

単に飽きたというのも理由としてあるだろうが、真子はすでに芸能界を引退しておりそんな彼女を叩くのは流石に忍びない……あるいは、反応の見えない真子を叩いても面白くない……と多くの連中が感じ始めたせいだろう。


だから今度はパパ活をした(とされる)鹿島真子という直接的なターゲットではなく、顧客として金を落としてアイドル業界を支えてきたオタクたちを叩く方向にシフトチェンジしたというわけだ。


「まあ芸能界だとか有名アイドルなんてそもそもそんなもんでしょ。彼女もアイドルのオーディションを受けた段階でパパ活や枕営業の覚悟も始めからあったんだろうし。パパ活で得たその金でホスト遊びでもしてたんでしょ? それよりもそんな普通のことも見込めず、それに貢いで養分になってたオタクたちイタすぎでしょ(笑)」


といったところだろうか。


風潮がそう変化していったのは、彼らにとってオタクたち……狭義のアイドルオタクたち……が単に叩きやすい、叩いても一切罪悪感を覚えない存在だからだ。

それどころかむしろ叩いて「彼らの目を覚ましてやる」ことが彼ら自身のためになる……と本気で思っている人間もいる。そうした歪んだ正義感はコメントを読むだけでも充分伝わってきた。


まあ積極的に叩かない一般の人々にしてもオタクに対する評価は大差ないだろう。

俺は自らの経験でそのことを骨身に沁みて知っていた。

人々はオタク……この場合は狭義のドルオタ……に対する潜在的な軽蔑がある。アイドルオタクは見下しても良い最底辺の人間だ、という蔑視が顕在化してきただけの話だ。




論戦はある意味で白熱していった。むろんそこに本質的な議論は微塵も無いが。

心ないドルオタ批判に対して、一部のドルオタが反論することによってレスバは加速してゆき、対立が階層的なものとなってゆく経過が俺にははっきりと見えていた。

そうなってくるともう元の事件、鹿島真子がパパ活をしたという週刊門川の報道が事実であったかどうかなどは、人々にとってどうでも良いことになる。

週刊門川の報じた真子の美談の部分、弟の学費を工面していたという部分なども、いつの間にか一切言及されなくなっていった。

鹿島真子のパパ活が本当にあったことなのか、というそもそもの問いについてもだ。


(まあ、これを見てりゃ、週刊門川っていうクソみたいな三流ゴシップ誌が未だに需要があるのも当然かもな……)


SNS上でのレスバや拡散の様子、人々の反応を見ていると俺は哀しくなった。

「鹿島真子という俺の生涯唯一の《推し》がその原因となった」というのを通り越した、もっと深い哀しみがあった。

実生活では美辞麗句とビジネスマナーでもって立派な社会人を演じてる奴らがほとんどだろうに、一皮むいた彼らの本性がこんなにも低俗で下らないものなのか……という哀しみだ。


世間なんてやつはビックリするくらい無責任なものだ。

当の問題とは何の関係も無い自らのストレスをそこで発散することも、当然かのようだった。むろん叩いている当人は、自身のそうした心の動きを微塵も意識してはいない。自分は正しいことをしていると本気で思っている。

とかく誰も彼もが確証のない噂話を自販機でジュースを買うよりも安易に拡散してゆく。そんなことが安易に出来るのは、他人も同程度にそうした話題を求める品性下劣な人間ばかりだと彼らは信じて疑わないのだ……ということを俺は知り、驚き、痛感した。


そもそもこうしたゴシップ報道というものが何故存在するのか、人々のニーズがあるのかを突き詰めてゆけば「誰かを見下したい」「自分よりも悲惨な人間・バカな人間を馬鹿にしたい」「それと自らを比較することによって自己肯定感を高めたい」という下衆な根性がこの下衆な商売を支えているのだ。

SNSも基本的にはそういったものだろう。今後どれだけ時代が進んでも、こうした人間の根源的欲望は形を変えて無くなることはないということだ。

繰り返すが、そうしている当人は自分をそう動かしている自身の内的な原因については微塵も意識していない。そんな反省が出来るような人間はこうした界隈には存在しえない。




だがまたすぐに別の論調が出てきて、この問題は新たな展開を見せた。別の対立が生じてきたのだ。

今まではドルオタ叩き(言うまでもないがこんなことをするのはSNS上でも頭のイカれた極々一部の人間だ。大多数の人間は自分と無関係な人間にわざわざケンカを吹っ掛けるような言動はとらない。だがSNSとはそうした声のデカい馬鹿が我が物顔で「世間を代表する声」かのように振舞う場所なのだ)をする層と、それに対し自分たちの居場所を守るためにささやかな反論を試みるドルオタ層、という対立だった。


今度はさらに別の対立が生じてきたのだ。ドルオタ内部での対立だ。

この対立が目立つようになると、オタクたちを見下して叩いていた野次馬たちはきれいさっぱりとこの問題に触れなくなった。扱われる問題が当事者間の込み入ったものになった……というよりも、もうこの話題に単純に飽きたのだろう。


彼らはまた次の《叩き》のターゲットを探しにSNSという荒野に旅立って行ったというだけのことだ。



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