6話 破綻
「あれ、深見さん……元気なくないっすか? 大丈夫っすか?」
次の日の昼休み、例によって
なぜこの男は俺に対してこうも絡んでくるのか、その意味が分からなかった。
というか、別に俺はいつも通り出社していつも通りの仕事をこなしていた。何なら真子の下らない報道があったことで普段よりも気を引き締めて仕事をしていたのだが……。
「あれ、ひょっとして深見さん……あの『門川砲』のこと気にしてるんですか?」
わざとらしくなく……だが間違いなくコイツは意図的に、周囲に聞こえるような声でその言葉を吐いた。
『門川砲』という日常では使わない言葉が聞こえてきたことに、会社の同僚たちも一瞬だけ引っ掛かりを覚えたことが俺には見て取れた。
「いや……自分は全然大丈夫ですんで……」
「いやぁ、マジで大変っすよねぇ! オレも昔アイドルとか好きだったんでわかるっすよ! でも深見さんもあんま気にしちゃダメっすよ!」
コイツがアイドルを推していた……なんて話は一度も聞いたことがない。
コイツが中高生の性欲まっしぐらな時期にグラビアアイドルをエロい目で見ていたことと、俺と真子の関係を同一視して話を1ミリも進めて欲しくはなかったのだが、すでにヤツは聞く耳を持っていなかった。
むろん最初から俺の話を聞くつもりなど1ピコもなかったのだろう。
「深見さんって、俺より年上でしたよね? まあ『みなさか』も良いっすけど、もう少し現実を見るのも悪くないんじゃないっすか? いい歳して彼女も作らず、一回り年下のアイドルにワンチャン期待してるのって……どうなんすかねぇ? あ、いや、別に自由だと思いますし、深見さんが楽しければ全然良いんっすよ!? でも、もし深見さんの親御さんが、そういう状況を知ったらどう思うんすかねぇ?」
また例によってネチネチとした嫌味が始まった。
まあ、コイツはコイツなりに色々と精神的な問題を抱えており、それを俺にぶつけてきているのだろう。わざわざその捌け口に俺がなってやる正当な理由は1ナノもないのだが、まあ仕方ない。あえて引き受けてやる存在も必要だろう。
というかそんな世間一般で言われるようなことは俺に何のダメージも与えることはない。ステレオタイプのドルオタに対する悪口などとっくに耐性が出来ているのだ。
俺はコイツの話を聞き流すことに集中した。
「…………………………………………しっかしまぁ、女の方もまあ悪いっちゃあ悪いっすよね? っていうかやっぱりああいうアイドルのシステム自体が問題だと思うんすよね、オレは! 疑似恋愛チラつかせて弱者男性から金を引っ張れるだけ引っ張って、その一方で自分はパパ活で上級男子を品定めして本命探しつつ、そっちでも金引っ張ってたんすもんね」
「…………は?」
前半のコイツの言葉をまったく聞いていなかったら、思わぬ方向に話が飛んでいた。
「いや、オレも深見さんのことが気になって記事を読んでみたんすけどねぇ……やっぱ彼女はホストとかに入れ込んでたんだと思いますよ? 今けっこう社会問題になってるじゃないっすか! ホストに入れ込んでるうちに金を溶かしてパパ活もやめられなくなってゆくっていう……。一回そのサイクルに入っちゃうと中々抜け出せないみたいっすからねぇ」
俺自身のことはいくら悪口を言われてもまるで気にならなかったが、流石に真子のことまで悪く言われては俺も黙っていられない。
「いや、風祭さん、それは無いですから。あんまりデタラメなことを言わないで下さい……」
だがコイツは俺の反論など聞いちゃいない。そもそも聞く気がない。ただただ正論を言っている気持ち良さに酔っているだけだ。
「しかしまあ、雲の上の事態を知らない深見さんみたいな養分が一番の被害者っちゃあ被害者っすよねぇ!そういう事態が明るみに出てどうですか? まあ深見さんにとってはショックな部分もあったでしょうけど、良い機会なんじゃないっすか? 今までアイドルに貢いでいた自分を反省してこれからは真面目にコツコツやっていくっていう生き方も悪くないんじゃないっすか?」
バシッ!
普段あまり耳にしない音を聴いて驚いた。そして事態を把握してもっと驚いた。
俺の右手が風祭翔太の左頬に飛んでいっていたのだ。
コイツのあまりに異常な挑発の仕方に、俺は自分が何をしているか意識するよりも先に拳として怒りを表出させていたようだ。
「あ、え……」
驚いた風祭翔太のマヌケ面を俺は死ぬまで忘れないだろう。
もう一度、今度はきちんと軸足の左足を踏み込んで、腰を返して右拳を振り抜く。
バキッ!
さっきよりも大きくアゴの骨を打つ音がした。
そしてそのまま風祭はグニャリとだらしなく床に転がった。
「きゃあ!!!」
近くにいた同僚の
すぐに周囲の同僚たちがガタンガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「な……! どういうつもりだよ!」
風祭が左頬を押さえながら立ち上がって俺を見る。その目は怒りでも恐れでもなく困惑の色が濃かった。
「どういうって……アンタは俺を怒らせたかったんじゃないのかよ? もう良いから黙れって……」
俺の頭は不思議と冷静だった。いつもよりもスラスラと自分の言葉と感情が一致して出てきている実感があった。
冷静に俺はもう一度左足を踏み込んだ。お前は俺に殴られることを望んでいて挑発してきたんだろう?
「やめて!!!」
だが俺の3発目の右ストレートがヤツに届くことはなかった。
水野愛子が再び悲鳴を上げた瞬間に、俺は後方から男性の同僚にタックルされて身体の自由を失ったからだ。
すぐに2人目の同僚が加勢に入ってきて、俺の身体を押さえ付けて俺の身体の自由を奪う。
そのまま引きずられるようにして俺は風祭と引き離された。
水野愛子の悲しそうな表情が目に入った。
それを見て少しだけ俺は申し訳ない気持ちを覚えた。依然として頬を押さえている風祭のマヌケ面には何の感慨も湧かなかったが。
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