3話 夢から醒めて

「深見、この間のアレクスコーポレーションとの契約決まったからな。これからはお前が担当なんだから、しっかりやれよ!」


それから1週間ほどが経ったある日の朝、課長にそう告げられた。


「……あ、え、自分が担当になるんですか?」


もちろん先日、課長とともにアレクスコーポレーションに契約に行った時のことは覚えている。

だがまさか自分がそのまま担当になるとは思ってもみなかった。今までの他の契約と同じように、課長が主たる業務を担当し、俺はその補佐に回るのだとばかり思っていた。


「深見ももうそろそろ1人で担当出来るだろ? 何かわからないことがあったら聞いてこい。……良いか、アフターケアまでしっかりやってこそ会社としての信用が得られるんだからな? しっかりやれよ!」


「……はい。わかりました」


俺がこの『藍沢建物管理』に入社して5年ほどが経つ。

鹿島真子に出会い、オタクとなってすぐの頃に転職して入社した会社だ。俺はその前のブラック企業で死にかけていた。俺がこんなに苦しいのは単に俺が無能で努力不足だからだ……とずっと思っていた時のことだ。


所詮無能はどこまで行っても無能だ。でも努力を続けようというモチベーションが保てれば、無能の幅も狭くすることが出来るし、人並み以上に頑張ることも出来る。


もちろん俺は真子が卒業したことを機に心機一転して仕事を頑張り始めたわけではない。

真子の卒業に向けて俺も最低限の仕事を頑張っていなければ、握手会やライブで真子に会いに行くにも罪悪感の方が勝ってしまっただろう。




「マコさんは、ちゃんとお仕事頑張ってね!」


それは彼女との約束でもあった。仕事に疲れていた時、何度も彼女に励ましてもらっていたのを思い出す。


接触に行っても(握手会など言葉を交わす機会があっても)最初の頃は彼女のアイドルとしての活動を褒めるだけだった。

もちろんそれで良かった。俺のような存在が彼女について言及出来るのはそれだけだ。

「今日も可愛かったです!」「笑顔が最高でした!」「あそこの表情が格好良かった!」「歌もすごく上手くなったよね!」

それだけで良かった。それを伝えるために俺たちは金を払い、握手列の膨大な待ち時間をものともせずに、彼女たちに会いに行くのだった。

だけど何度も握手会を重ね、何度も何度も対面で話していると次第に話題も尽きてくる。


「……マコさんは、普段何のお仕事してるんですか?」


少しの間が出来て彼女の方から話題を振られた時も、アイドルに対して自分のそんな俗なことを話して良いのかな? と思い、少しおっかなびっくり俺は答えた記憶がある。

でも真子はさして面白いわけもない俺の仕事の話を目を輝かせて聞いてくれた。そして時には一緒になって真剣に悩んでくれた。






「深見さん、担当決まったんですね。頑張ってください!」


職場の自分のデスクに戻って仕事をしていると、水野愛子みずのあいこがそう声を掛けてきた。

彼女は25歳。男ばかりのこの事業所で唯一の若い女性であり、いわばアイドル的存在である。(俺は自分がドルオタであるがゆえに『アイドル』という言葉を厳密に使いたいと思っており、彼女のことをそう呼ぶのは少し躊躇われるのではあるが)


「あ、水野さん。ありがとうございます、頑張ります」


「もう、深見さんいつまで私に敬語なんですか。もっとどっしり構えていて下さいよ!」


水野愛子の言葉に周囲の席の同僚たちも、笑い声を漏らす。

転職してきた当初は色々と迷惑を掛けもしたし、ドルオタであることを馬鹿にした物言いもされたことはあったが、最近になって周囲も少しずつ俺のことを認めてくれているように思う。




「あ、深見さん、お疲れっす! 担当決まったんですってね。頑張ってくださいよぉ!」


「……あ、風祭さん、ありがとうございます。頑張ります」


昼休みに入ったところで、今度は風祭翔太かざまつりしょうたに絡まれた。

俺はこの風祭翔太という人間が苦手だった。

28歳と俺より年下ながらも、入社歴で言えば先輩であり直接仕事を教えてもらっていた関係だからだ。

風祭翔太は一見明朗快活な雰囲気を出してはいるが、2人きりになるとその顔は崩れる。陰険な嫌がらせでミスを被せられたことも何度もあるし、ハッキリと恫喝めいたことを言われたこともある。ともかく俺にとってはなるべく関わり合いになりたくないナンバー1の人間だ。

じゃあ……と会釈をして去ろうとしたところ、肩を掴まれて呼び止められた。


「あれ、深見さんって『みなさか』でしたっけ? ……アイドルのファンでしたよね?」


「ええ、そうですけど……」


またドルオタであることをネチネチと馬鹿にされるのか、と思ったが……まあそんなことをどれだけこの男に言われても俺に心理的ダメージは与えられない。コイツとの感情的やり取りはとっくにシャットアウトしているのだ。


「あ、いえ、大丈夫かな? って思って……なんかまた『門川砲』が出たらしいじゃないですか? オレは全然詳しくないから、よくわかんないっすけど……なんかパパ活が発覚したとかで大変らしいっすね?」


「……あ、そうなんですか? ……それは知らなかったです。まあでも、自分の推しは最近卒業してしまったのであんまり関係ないかなと思います。自分もそろそろドルオタ卒業かもな、っていう気もしてますし、ははは」


門川砲もんかわほうというのは、ここ数年世間を騒がせてきたスクープのことだ。

週刊門川しゅうかんもんかわ』は元々は伝統ある文芸誌だったらしいのだが、最近はずいぶん下世話な通俗娯楽雑誌になり下がったという印象だ。芸能人の不倫だとか、スキャンダルをスクープしては『週刊門川』に掲載する。SNSの発達に伴いその影響力はさらに大きくなり、最近では『門川砲』と呼ばれるまでに至ったというわけだ。


「あ、なんか、それが最近卒業したメンバーのことらしいっすよ? オレも詳しいことは分かんないんすけど」


「…………」


……コイツ、風祭翔太の本当に嫌なところは、恐らくある程度事情を分かった上でそれを俺に言ってきている点だ。

如何にも心配至極「ファンであるお前のために一応情報を伝えておくよ?」といった表情を作ってはいるが、ほくそ笑む裏の顔が透けて見えるようだ。アイドルグループにスキャンダルが出て、それを知りたいと思う当該のオタクが果たして存在するだろうか? 少し考えればわかるはずだ。

それをわざわざ言ってくるなど、俺に対する攻撃の意図しかないことは明白なのだが……向こうが心配してきているという体裁を取っている以上、こちらとしてはすぐそれに臨戦態勢を取るわけにはいかない。



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