第5話 機械のような少女

職員室に呼び出されたランチタイムを終え、午後の最初の授業が始まっていた。


科目は歴史だ。


「えー、江戸時代には、大阪は天下の台所と呼ばれ....。」


もう時期定年を迎えそうな教師がベラベラと教科書の内容を話している。


周りを見ると、大半がそれに聞く耳を持たず疼くまったり、隣の人間と話したりしている。


この光景を見た時、大抵の第三者は学生側を否定するだろう。


勉強は学生の義務だ。それが出来ないのなら何のために通ってるんだ。


俺もその意見には賛成だ。身近な機会を活かせない奴は簡単な目標さえ成し遂げられない。


それが天勝 司の自明の理。


だが、そんな俺でもこれは言っておこう。


....つまらん。


どうしようもなく致命的につまらん。声に抑揚がない為言葉が頭に入ってこないし、中途半端な静寂のせいで眠気を誘われる。


まず生徒が授業に集中出来ない理由の大半は、彼らが授業に参加しているという意識の欠如にある。言うなれば、ただ画面越しにテレビを見ている感覚だ。面白ければ見るが、つまらなければ見ない。それが今のこの場にも反映されている。


偏差値50後半の空間と考えれば、このような情景になるのも無理はない。


この授業に限って言えば、1対9で教師に非があるな。


これで金を貰えるとは所詮は社会を経験していない連中の集まりだな。


しかし、そんな環境下でも真面目にペンを動かす者もいる。


そう、例えば、俺のすぐ隣にいる西宮だ。


彼女の授業への姿勢は正に優等生と言えるものだろう。


このような環境下でさえそのノートのページをビッシリと埋められていく。


真面目な人間は良い。こう言う人間は遅かれ早かれしっかりと結果を出すからな。


というのはさておきー


彼女は個々人の感情渦巻くこの教室という空間でただ一人機械的な表情を浮かべていた。その瞳に感情はなくきっとノートをなぞるその行為にも意味を持ってはいないのだろう。


まるで心を何処か遠くに置いてきたかのように。


どのような境遇に合えばこんな無機物が出来てしまうのだろうか。


「...おい、おいって...。」


トントンッと肩に手が触れた。振り向くと、西宮とは反対側の席に座っていた男子生徒が俺の方を向いていた。


「授業中だぞ。話しがあるなら終わってからにしろ。」


「...いや、今じゃないと話せないでしょ。休み時間一緒にいたりしたら岡崎たちに絡まれそうだし...。」


コソコソとうっすい声。聞き取り難い、鬱陶しい。


「なぁ、天勝って喧嘩強いんだな。もしかして、普段からやってる?」


「喧嘩をしたことはない。格闘技と武道は習っていたがな。」


「あー、だからか。それにしても、岡崎も昔空手習ってたらしいのにそれボコすってスゲェな。」


男はベラベラと話しかけてくる。そう言えば、以前もこんな奴がいた。あれはそうだ。毎晩家の前で待ち構えていたマスゴミ。


面倒なので、俺は顔は顔を逸らし、再び気になっている少女の方を見た。


彼女には此方の会話は聞こえていない様で相変わらずノートと黒板に目を泳がせている。


「さっきから西宮さんのこと見てるけど気になるの?」


「まぁな。」


「朝のことで思ったんだけどさ、まさか、好きだったり?」


「さぁな。」


「確かに美人っちゃ美人だけどさ。余り何考えてるか分からないっつうか、正直、怖いっつうか。そんなんだから他の女子からもよく思われてないみたいだし。後、噂じゃ週末にスーツ来たおっさんとホテル入って行くの見たとか。後は体育教師に色目使って評定上げて貰ってるとか。」


その言葉に俺は再び、男を方を向いた。


「何故それを俺に言う。」


「いや、知りたそうだったから?」


「情報提供は感謝する。だから、お前はさっさとノートを取ることに集中しろ。」


白紙に近い男子生徒のノートを見て俺は再び会話を遮った。


すると、数秒の間の後、再び隣の小僧が口を開いた。


「...本当はさ、俺も止めたかったんだよ。だって、誰が見ても悪いことじゃん。でも、それが出来なくてさ。他の連中もしないんだから自分に出来やしないって言い聞かせてたんだ。」


その声色は、先ほどまでとは違っていた。決して暗くはなく、だけど、その中には確かな後悔があった。


「朝のお前正直カッコいいと思った。きっとお前はこの場の空気を相手にしても勝てるんだろうな。でも、何となくだけど西宮はそうじゃないと思うんだよ。なんかずっと何かを我慢してるっていうかさ..。それがどうにも見てられなくて..。」


辿々しく言葉をならべていく。

そして、彼は机の上でできる限り頭を下げた。


「勝手なこと言ってるのは分かってる。だけど、またああ言うことが起きたらその時も彼女を助けてあげてほしい。俺じゃきっと役に立てないからさ。」


その表情は硬く決意に包まれていた。長年沢山の人間を見てきたから分かる。今の言葉には嘘はない。


俺はポツリと告げた。


「お前、西宮のこと好きだろ。」


「はっ?!なにいっちゃんてんのっ!!」


男は驚いた声が教室中に響いた。


「日比谷くん、後で、職員室に来るように。」


「は、はい....。」


気落ちした様子で彼は再び席に座った。


バカで勝手な奴だ。自分が出来ないから人に頼むとは自分に自信がないが故にすることだ。


だが、気持ちに正直になれる奴は嫌いじゃい。


イジメを行う側と傍観する側しかいないゴミの溜まり場のようなクラスだと思ってはいたが、少しはマシなゴミもいたようだな。


「言われなくても場面に出くわせば助けてやるさ。」


そう顔も合わせずに返した。


隣からは、ありがとな、とまるで救われたかのような声が聞こえた。





天勝家のあるアパートは、学校から10キロほど離れた場所にある。自電車で行こうと思えば早くても30分はかかる。それでも、全然通える距離なのだが、雨の降る日は電車通学をする様にしていた。


今日は午前だけ雨が降っていたので、帰りもそのまま駅を使うことにする。


時間は下校時間から20分ほど離れた時間帯。


帰宅部の連中はとっくに帰宅し、部活組は学校に残る。


そんな時間帯の駅のホームはほとんど貸切に近い状態だった。


「おーい、どう責任取ってくれんだよ。」


司の立つ場所とは逆方面から声が聞こえた。


見ると、あからさまに柄の悪そうな男2人が一回りも小さな少女を囲むように立っている。


その少女には紛れもなく西宮だった。


とっくに帰ったと思っていたのだが。


というか、朝にしろ、今回にしろ、よく面倒ごとに絡まれるな...。


「...す、すみません。」


声にもならないような小さな声で西宮が言う。


「だから、言葉変えても意味変わってないんですけど、あーあ、肩痛えぇ。」


全く痛みの無さそうな甘ったるい声で1人が言う。


「あーあ、これじゃあ、慰謝料払ってもらわないとな、ねぇ、君の親に連絡してくれない。」


「っ!それだけは..」


珍しく西宮に感情的が現れた。それを制止するするようにもう1人の男が顔を近づける。


「あー、聞こえねぇ。無理ってんなら別の形で責任取ってもらおうか。」


「おいおい、ロリコン出てんぞー。」


周りにいた数名もこの光景はさぞ鮮明に目に写っていることだろう。しかし、彼らはまるで何も見なかったかのように視線を逸らし過ぎ去っていく。


人は責任を取ることを恐れる。それが集団ともなればその押し付け合いが始まる。そうやって全てが終わるその時まで彼らは傍観を続け、自身の行為に対する意味のない言い訳を探すのだ。


悲しいな、つくづく人間の社会ってのは。


「なぁ、どうすんだよ。」


「よう、西宮。さっきぶりだな。」


「なんだ、このガキ。同じ学校のやつか。」


「そうですけど。お兄さんたち誰ですか?」


「さっきこの子に当たられてよ。その部位が痛むもんだから慰謝料請求しようと思ってんだよ。俺らは被害者、ガキにも分かるだろ。」


「なるほど、それは仕方ないですね。」


「ふーん、話の分かるガキじゃねえか。」


「じゃあ、ちゃんと正規の手順で進めないとですね。」


「は?」


「後、慰謝料にもちゃんと計算方法があるんで、弁護士に聞くなり自分で調べるなりしてその後目標額を提示してください。その程度の精神的苦痛でも、頑張れば、100円くらいは得れるんじゃないですか。」


「何訳の分からねぇこと言ってんだ。このガキ。」


「分かってねぇのはテメェらだ。今やってること完全に脅迫だぞ。」


「なんだと、このマセガキがぁっ。」


腕をポキポキ鳴らしながら片方が近づいてくる。


それを西宮が不安そうな目で見つめていた。


確かに、この未発達の体じゃ、幾ら格闘技をかじっていたとは言え大の大人2人には勝てない。


しかしな、西宮。何も暴力だけが勝つ方法じゃないんだぞ。


司は大きく息を吸った。


「助けて、殺されるーっ!!」


壁に反響するように、司の声が駅中に響き回る。


「なっ!?」


これには、傍観しているだけだった連中も、ヒソヒソとざわめきはじめる。


“おい、ヤバくねぇか”


“どうする?警察呼ぶ?”


次第に過ぎ去るだけだった視線が男2人に集中していく。


「な、なんなんだよ...、お前ら。」


先ほどとは違い威勢の無い声が2人から出る。


「どうかされましたっ!!」


司の声を駆けつけたのか駅員がこちらに近づいてきた。


「やべっ、逃げるぞ。」


チンピラ二人組は尻尾を巻いたようにその場から逃げていった。


力で勝てないなら、社会の仕組みを利用する。これぞ弱者の最大の武器。

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