第6話 最初の友達、そして

「ほれ。」


司は二つ持ったうち一つの缶をベンチに座る西宮に差し出した。


しかし、彼女は何も言わずそっぽを向いてしまう。


うむ、こう言う時の対応は一つと決まっている。


「ひゃぁっ、なにっ!?」


頬に伝わるヒヤリとした感触に、思わず、西宮は声を出した。


「声が出せるなら最初から何か言え。人形であるまいし」


そう問いかける司を、西宮は瞼のかかった瞳で憎らしげに睨んだ。


悪いが、そのような可愛げのある顔では全くもって怖くない。寧ろ、揶揄いたくなるくらいだ。


「取り敢えず持て。捨てるかどうかはお前に任せる。」


「..捨てるのなんか勿体無いし。お金払うよ。」


「いらぬ、この程度のもてなしも出来ないなど、天勝 司の名の恥になるからな。」


なに、お前こそ中学生の癖にお金はあるのかって。安心しろ。財布の中身は残り150円。元から致命傷だ。


「ふーん、そっか」


そう言って、西宮は缶の蓋を開けて一度口に運んだ。


「で、何が狙い。」


「何とは何だ。」


「今日で2回も私を助けた。目的ないと態々見ず知らずの他人に関わらないでしょ。」


「そうか、例外は案外多いものだと思うがな。」


「少なくとも、これまで私に近づいてきた人はみんなそうだったから。」


「ほう、辛い人生を歩んで来たんだな。」


「...だから、例外とかそういうの急に言われても困る。」


再び静寂が訪れる。19時を回っているローカル線のこの駅はすっかりと人気のない無人駅へと化してきた。


「...ねぇ、君は怖くないの。」


静けさの中、最初に口を開いたのは意外にも西宮の方だった。


「怖いだと?」


「朝のことも、さっきのことも。みんなその場の空気に怯えてたのに、君だけ何か違った気がする。まるで自分には関係ないみたいに。」


「関係なくは無いが怖くはない。一番俺が怖いのは目の前のことを諦めた時の後悔だ。」


「それって私を助けたのも?」


「あぁ、お前を見捨てると俺が後悔する。だから助けた。思えば、所詮は優越感に浸っていたいだけなんだろう。だが、それでも、俺は間違ってると思っていない。どんな事情があれ、やらないよりはやったほうが幾分かはマシだ。」


その言葉に彼女の反論は無かった。多少なりとも共感できる部分はあったのだろうか。


そして、間を開けて再び彼女の口が開く。


「....私の知っている君はそういうの言う子じゃないと思ってた。いつも一人でいて、うわの空で窓越しに雲を見ていて、私と同じ人間なんだなって。でも、今の君は違う。まるで中身が誰かと入れ替わったみたいに。」


黒く透き通る瞳が司の顔を捉える。


一瞬、ドキッとしたが、この目からするにただの偶然だろう。それ程、昔と今の俺に違いがあるということか。確かに、教師も、今日は学校きたんですね、と意味深なことを言っていたが..。


だが、それ自体はきっと些細なことに過ぎん。


「俺は俺だ。外見だって同じだ。声だって変わっていない。だが、何かが変わったというのなら変わっているのだろう。しかし、所詮は目に見えない程度のもの。それだけの差。言うなれば、気持ちの持ち様だな。」


「でも、私にはその差がとても大きく見える。」


今度は顔を見ずにそう呟く。その横顔から見える目は遠くを見つめ何処か羨望にも似た表情に見えた。


「なんだ、俺のことが羨ましいか?」


「そう言うんじゃないし...。でも、私も自分を変えたいって思ってるから..。」


「人間というのはそう簡単に変わらんぞ。それこそ、既に15年も染み付いた人間性は尚のことな。」


「でも、君は変われたんだね。」


「俺は例外だ。」


「なにそれ。」


「そもそも、お前は変わる必要ないと思うぞ。」


「え?」


司の声に、西宮は小首を傾げた。


「漆黒の瞳の中に秘密を宿したミステリアスな女。どうだ、良い響きだろ。」


「いや、思わないし、意味わかんないし..」


「そうか?今のお前にピッタリな気がするがな。」


それを見て、西宮は切なそうに顔を俯かせる。


「...君は知らないだけだよ。私が本当はどんな人間か。」


「じゃあ、本当のお前とやらを見せてみろ。」


途端、司の顔が西宮に迫る。


「えっ、うわっ」


突然のことに驚いたのか西宮は勢いよくベンチから滑り落ちた。


「イタタ...」


「大丈夫か」


「大丈夫って...君が急に近寄るから」


焦った様子で表情を崩している。こうしていると、中身も可愛らしい奴だ。イジリがいはあるが、イジメられるような玉ではない。それこそ、このままでいれば友人にも恵まれそうなものだが。


「立てるか。」


そう言って、手を差し伸べた。


「...っ!」


パシッ!!


次の瞬間、司の差し伸べた手は痛みとともに弾かれた。


赤くなる掌を見てやれやれと言った様子で告げる。


「揶揄ったのは悪かったが、そこまで拒絶されると傷つくぞ。」


しかし、直ぐに異変に気付いた。うずくまる西宮の肩は小刻みに震え、垂れ下がる髪の隙間からはぁはぁと息が漏れている。


「おい。」


恐る恐る手を差し伸べようとする。すると、彼女は怯えた様子で身体を逸らした。


「...御免なさい、御免なさい、もう我慢します。だから、そんな目で見ないで....。」


それから、数分間、俺は無言でただその光景を見ていた。


彼女が自分を変えたいと言った理由。正直、それを大した意味とは捉えていなかった。俺のから見た彼女はその辺の同年代より感情をハッキリ表に出せる子だ。なぜイジメなどを受けていたのかそちらの方が不自然と思えるほどに。

しかし、今目の前で引き起こされているこの光景を見て彼女の発言を理解するのに数秒とかからなかった。



「...まだいたんだ。」


隣のチラリと見た西宮、その顔はまだ血色が悪く青白い。


「流石にこのまま帰れんだろ。」


「...ごめん。」


「謝なくていい。」


「...私、ちょっと昔に色々あって。手が近付いてくるとダメっていうか。」


西宮は重々しい面持ちでこめかみを抑えている。


「だから、ごめんなさい。」


「謝らくていいと言っている。悪かったのは軽率な行為をした俺の方だ。」



司は強く拳を握る。その声には普段の余裕さが欠いて見えた。


「...怒ってる?」


「まぁな、自身の失態を悔いているところだ。子供程度と軽はずみ事を甘く見積もっていた。この天勝 司未来永劫通じての指10本に通じる恥。」


実際にさっきの非は完全にこちら側にある。子供相手とはいえ、相手への配慮が足りていなかったのは事実。経営者として相手へのリスペクトを欠かすことは挨拶が出来ないと同じくらい酷いことだ。


しかし、その姿を見て、西見は、意外にもクスクスと笑った。


「何がおかしい?」


「だって、さっきから喋り方とか偉い叔父さんじゃん。」


それは、話し方が古臭いと言うことか。年相応とはいえあまり嬉しいものでは無い。だが、初めて見せた西宮の微笑む様子はそれを差し引いても価値のあるものだった。


「そうやって、お前は笑っていれば良いさ。」


「バカにしてる。」


「何故そうなる。笑ってられることは人の生きる中で最も重要なことだ。」


飲み干した殻の空き缶を販売機の隣にあるゴミ箱に投げ入れた。


「人生なんて辛いことだらけだ。この俺でさえ何度血の涙を流したことか。」


「君が?本当に?」


「当たり前だ。眠れない夜だって幾つもあった。この世界は頑張れば頑張るほど辛い現実が待っている。だが、殆どはそれに気づかない。小さな箱の中が世界の全てではないと知った時、奴らは初めて絶望する。だからこそ、若い頃から現実を知っている人間は強い。それこそ、辛い経験など数年もすれば全て笑い話に出来てしまうくらいに。」


「もしかして、今励まされてる?」


「そう捉えて貰っても構わない。」


「変なの。」


「励ましてやったのにか。」


「変だよ。本当に同い年じゃないみたい。」


「見た目は子供、頭脳は大人なんでな。」


「それふざけてる?」


「大真面目だが。」


「やっぱり、変だ。」


「もうそれでいい。」


全くこの俺を変人呼ばわりとは。我が社の人間が聞いたら青ざめるぞ。


「何だか、君はこれまでの人とは少し違う気がする。」


先ほどとは違い、ワントーン上がった声で西宮はポツリと呟いた。


「ふっ、気がするではない、違うからな。人としての主に格が。」


「はいはい。」



司は、ベンチに背中をもたれさせ横目で呆れた口調の彼女に視線を送る。


その横顔は心なしか最初の時より楽しそうに見えた。


まぁ、少しでも良い方向に転んだのなら良いとしよう。


「ねぇ。」


すると、彼女は小さく口を開き問いかけてきた。いや、問いかけと言っていいのかは分からない。視線はこちらには向いておらず、その音は小さく耳を澄ませないと聞き取れないほどだった。


「もし、もし私が...。」


瞬間、西宮の声はホームに到着した電車によってかき消された。


「電車きたぞ。お前のじゃないのか。」


「あ、うん、そうみたい。」


西宮は立ち上がる


「もう身体は大丈夫なのか。」


「平気。その、...ありがとう……。」


照れ臭そうに彼女が言うのを俺はわざと惚けて見せる。


「何か言ったか?」


「...やっぱ、何でもない。じゃあ」


ちょっと不機嫌そうに西宮は乗車口へと駆けて行った。


すると、ドアの直前で立ち止まった。そして、振り返って呟く。


「ねぇ、結構話しちゃったけど私たちの関係って何。」


その声色は、彼女らしく抑揚のないものだったが、確かな不安が感じ取れた。


「うむ、少なくとも恋人ではないな。」


「結構真剣に聞いてるんだけど...。」


「では、友達といこう。」


司の言葉に、西宮は目が開いた。


「...本当に?」


「少なくとも側から見ればそう見えているはずだ。だから、俺も今決めた。」


「勝手だ。」


「勝手が好きなんだ。次も困っていたら助けてやるさ。今度は友達特権としてな。」


「信じて良いのかな..。」


「当たり前だ。俺に名に誓ってここに約束してやる。」


その言葉に対する返事はなかった。ただ彼女の姿は電車から発せられる逆光に隠れる。


「また明日ね。天勝くん。」


聞こえた時にはドアは閉まっていた。そうして、一人の少女を乗せた電車は出発して行った。


友達か。まさかこのような形で一人目が出来るとは。


人生何が起きるか分からないものだな、と言っても一度経験した過去のはずだが、相変わらず、記憶が奥底から浮かび上がってくる気配はない。


しかし、西宮と話している時、俺は似合わず胸の騒めきを感じずにはいられなかった。


無論、今更、女との会話で動揺するタチではない。なら、この感覚はこの時代の身体に感覚的に刻まれたもの。


一体、この時代の俺と西宮には何があったんだ。


”ご武運を祈ります。彼女が救われる結末にたどり着けますように”


転移の瞬間、青年に言われた言葉が頭にチラつく。西宮がその”彼女”であろうが無かろうが、約束をした以上、俺は西宮の責任を背負う義務が出来た。


その彼女に纏わりつくトラウマ。そして、それを作り出している背後に存在する何か。


期間は3ヶ月と短いが、取り組まねばならない課題が出来たらしい。


ベンチにもたれ、空を見る。夕焼け色はとっくに消え星の無い暗闇だけが広がっている。


そういえば、下の名を聞くのを忘れた。向こうはこちらの苗字くらいは知っていたみたいだが。


まぁ、いい、彼女はもうこの場にはいない。明日にでも本人の口からその名を聞くことにしよう。


俺は小さく欠伸をし家に帰った。


たが、次の日、学校に西宮の姿はなかった。


司の隣の席は初日と同じようにぽつりと空いている。


彼女が学校を休むことはよくあることだと言う。ただ単に体調を崩しがちなのか、それとも、他の何かがあるのか。どっちにしろ、次登校してきた時に探るしかない。


だが、次の日もその次になっても西宮が現れることはなかった。そうして、気づくと、10日が経過していた。


これには流石の俺も気に掛けたくもなる。何か口実を作って教師に西宮の住所を聞き出すとするか。


それにしても、今日も退屈な授業を受けるのかと思うと気分が落ちるなぁ…。


欠伸をしながら頬杖をついていると、チャイムと共にドアから担任の姿が現れた。


担任である奥寺 祥子は朝礼の時、満遍の笑顔を振る舞う。


それによって、数名の男子の顔が綻ぶのを確認している。名付けるなら、ハッピーチャージ。


しかし、彼女の顔にはいつもの笑顔が無かった。


どうした、そんなしょぼくれて。あれか、女の日か。


この時の俺にはまだ余裕はあったのだろう。これまで積み上げてきた成功の数々。その一つ一つがこの世界での自信に繋がっていた。


しかし、俺はそれがただの甘さだったのだと知ることになる。この後に告げられる言葉によって。


祥子が深く息を吸った。


「3年4組 私たちのクラスの西宮 舞衣さんが先日亡くなられました。」


初めて彼女の名を知ったのは全てが終わってからだった。


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