月光の下

ここ最近の話をしようか。

瞬の誘いのあと本当にストリートミュージシャンの真似のようなことをしているのだが、これが意外なことを起こらせている。

それは、僕の曲に足を止める人がいることだ。

なんなら泣いていく人もいる。そんなに僕は惨めに見えるだろうか。

この間など僕が泣かせたと文句を言ってくる奴がいた。

本当に最悪だった。そんなこと言われたって「はいはいそうですか」くらいしか感じない。

「だから嫌だ」と思いながらも結局今日も行こうとしていた。

嫌だと思っているのにどこか嬉しい気持ちが混じっているからだ。

認められている気がどことなくする。





最期の日くらいは行かなくてもいいなんて少しよぎりはしたけれど、染み付いてしまった新しい習慣は意外と崩せなかった。

不思議だなと窓の外を見る。

平安の時代に趣があると言われたものは、何年たっても美しかった。

冬の早朝。

中学生の時に国語で習ったあの一節をふと思い出して懐かしんだ。

古典は面白かったなと思い出す。

ただあの作品と今日が違うのは、雨上がりだということと雪がないということ。


そしてなんだか創作をしたい気分になった。

最期の日くらい曲でも創ろうか。

だって創っている間は幸せだから。


「創るか」


窓向きに置いた机の上に散らばる紙をまとめ、ノートパソコンを開いた僕は呟く。

冬の朝の冷たい空気がこの部屋を満たしている。

窓に残る水滴とマグカップから上がり続ける白い湯気。

視界の端に映っている無雑作に置かれたギター。

僕はそれを自分の手に取ると、ついでにと友人へのメールを打つ。


「今日、死ぬことにした」


予想通り友人からの返信はない。まぁそうだろう。

まだ営業中だった筈だ。

それでいい。

ギターの弦を弾きつつ最期の曲をなんとなく構想する。

前から頭の中にあったものを形にするだけだが。

それにもう半分以上は完成していて、あとは自分の納得がいくように調整するだけだ。


最期だ。

ならやっぱりここはこうしよう。

そういう頭の中の独り言で僕は曲を創っていた。


別に誰かが聞くわけでもない完全なる自己満足。

そういう創作がしたくて今こうしている。

歌詞はあの場所と死と想いだけのせればいいや。

もうとっくに決まってるから。

あとはこの文章を詩にするだけ。


そうして僕はいつもの時刻にあの場所に向かう。


いつの間にか夕方になっていてやっぱり創作ってすごいなと思う。

靴を履いて外に出ることがいつもよりも億劫でなくて、むしろ心のままに動いているような軽さを感じていた。

雨がまだコンクリートに残っている。

冬近くの闇は僕よりも明るい。

そんなこととっくにわかっている。

だから僕は死のうと思ったんだ。

レンガの壁に背を預けてお気に入りの曲とさっき創った最期の曲の譜面を思い出す。

そういえばこんな曲だったなと笑った。

お気に入りの曲なんか僕がまだ作曲家として活動していたときのものだから、他の人から見るとカバー曲に見えるんだろうな。

そう思ったらまた笑えた。

僕が作った曲なのに僕じゃない人が作ったみたいに見えるんだな、他の人には。


何となく幸せだった。もうすぐ人生が終わるから心が軽くなったのかもしれない。

冷たい風が通り抜けていく中で僕は一音目を発した。

まずは一番納得できた曲。いつ聞いてもこれ以上にできたものはないと思う。だってこれを創ったときの感情は質が良かったから。感情の質って大事だなとつくづく思う。

そして最期の曲。その第一音目を僕は弾いた。

音に身をまかせていよう。

音に合わせて言葉を吐こう。

そう思って弾いたら自然と笑みがこぼれていた。

笑みと言っても嘲笑に近い。

僕への嘲笑。僕への嗤い。

最悪で最良で最低で最高な僕の人生への嗤いだ。


そんなときに僕は道の奥に人影を認めた。

肩で息をしながら現れた彼女はあろうことか僕が苦手な泣き顔だった。

月夜が僕の人生の最期に見せた幻覚のように輝いていた。

ここで見える月が僕を見送っているのかもしれない。

なんだかそう思ったら嬉しくなった。

僕にそんな価値があるかもしれないという無意味な幻想だ。

でも彼女を見ていたらそんな気持ちになった。

僕は思っていたよりもこの世界に未練がないのかもしれない。

だって命を捨てることをこんなにも簡単に受け入れてしまっているのだから。

そんなことを考えるうちに曲が終わってしまった。

僕の人生最期の曲が。


弾き終わって帰ろうとすると泣いていた彼女が目の前にいた。

その表情に僕は驚いた。

そして彼女は瞳を濡らしたまま僕の目をまっすぐ見た。

何かを決意した顔。そう、僕にはない明日を見つめた顔だった。

それが僕には何だか懐かしかった。

昔の僕はきっとあんな目をしていたに違いない。

そして彼女は深く息を吸った。


「私にあなたの曲をください!」

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