喫茶にて(2)
「じゃあいいよ。毎日じゃないかもしれないけど弾かせてもらう」
ため息をつきながら答えると、下を向いた視界の中にコーヒーが差し出されて
「じゃ、よろしくな」
と短く返された。
瞬の顔が音が出そうなほどの満面の笑みだったから、いいことでもしたのかなと思いつつコーヒーを一口飲む。
やっぱり今日も甘ったるい。
人に必要とされるってこんなに不思議な気持ちになるんだなと呟いた声は誰にも拾われなかった。
それでもいい。
死にたいって言っていた自分が遠い昔のようで幸せ色の湯気に包まれながらあれは白昼夢だったのかもしれないと思った。
窓の外の空はもう夜で一番星がちゃんと見える。
ブルーアワーに落ちるフェルメールブルーの色。
決して美しいばかりではない夜を待つ時を眺む。
「もう夜かー、、、」
僕の視線の先を見て瞬が
「ほんとだ」
驚いたように言った光哉の顔があまりにわざとらしくて笑えてくる。
「さっきまで出てたんだから知ってただろ」
僕が笑いながら言うと、
「従業員としては当然ですよ」
と微笑み返された。
僕の頭じゃこいつを言いくるめられない。
光哉とは格が違いすぎる。
僕も一応は大学を卒業したのだけれども、、、。
僕は創作のためだけに入ったけれど、あいつは違うからな。
しっかりした、明確な目標がある人っていうのは強い。
誰にも負けないし、折れることもない。
ほぼ無敵の存在と言っても過言ではない。
そんな人にぶれている人が勝てるわけない。
「っていうかさ。秋翔、最近曲書いてるの?」
瞬が軽いノリで言ったのが気に食わない。
それがどんなに辛くて、どんなに楽しくて、どんなに深いかわかってないくせに。
「一応な。創作の手だけは止めたくない」
僕は抗議するように今の自分の深刻な精神状態だけは隠して言った。
伝える訳にはいかない。
伝えたら最後、北欧に連れていかれる。
それだけは避けなければならない。
兄さんだけは本当に勘弁して欲しい。
「相変わらずとは思ってましたけど本当に変わらないんですねー」
光哉の笑い声が聞こえる。
「変わらないし変われないよ。それが業だから」
意外と思ったままのことが言葉に出た。
隠すことに慣れているからそれが不自然で仕方ない。
それに不自然さを感じることがおかしいことくらい頭の片隅で理解しているけれど、それとは別で底なしの違和感を感じている僕がいる。
「そうそう。ここにさどっかのバンドのボーカルの女の子がよく来るんだけどさ、秋翔って誰かと組んだりしないの?」
瞬がふとそんなことを言う。
自分でも確かになと思った。
なぜ誰とも組まないんだろう。
考えもしなかった。
「秋翔が憧れてる人もボーカル迎えて2人で活動してたよな?それで不思議に思ってさ」
「とてもじゃないけど、今そんな気分になれたとしたら奇跡だと思うよ」
僕は下を向いたまま瞬に言った。
悔しい気持ちと、情けない気持ちの板挟みだ。
「俺はそれで秋翔の気持ちが安定するならオススメしたいんだけどさ、今は逆に荒れそうだからしない方がいいね」
幼馴染にそんなことを思われて暮らしてるっていう現実が有難くて、それでいて苦しい。
それでもまだ見限られてないだけ僕はマシかもしれない。
そう思って僕は微笑んだ。
夜も更けつつある街は静かで、自分の足音や遠くの電車の音がよく聞こえる。
そんな音が鳴る狭い世界で1人葛藤しているのがなんだか馬鹿らしくなった夜だった。
僕は心の安定なんて望んでいなくて、むしろもう引き返せないところまで自分が進んでいるから心はついて行くしかない。
だから安定なんてどうでもいい。
それでもただ創作をしていたい。
それを望んではいけないのかと誰かに無性に問いたくなった。
辛くてもいい。
妥協はしたくない。
そんな想いが今の僕を動かしている。
Nulli est homini perpetuum bonum.
“誰しも永遠の幸せはない。”
だからこれでいいんだ。
「案外生きててもいいのかもしれないな」
独りごちた言葉は光哉には届いたようで驚いた顔を浮かべていた。
瞬には届いていなかったからそれはそれで安心だ。
宵闇を照らす街灯と月光が心做しか穏やかだった。
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