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幸せを追うためだけに皆は生きる

やめてからどのくらいたっただろう。

僕はもう心が折れかけていた。

だって辛い。

誰も僕を認めてくれないし。

前とは「辛い」の質が違ったなと思う。

前の「辛い」の方が辛くなかった。

今のはもう死んでしまいたいくらい辛い。

毎日頭を抱えて夜の隅で蹲っているだけ。

もういいのに。

でも、自分で帰る場所を消したのは僕だ。

もう戻れない。

戻りたいって言う甘えが僕を蝕むことをわかっていたから消した。

それが僕には痛いほどわかるから戻らない。

もう戻れないし戻らない。


辛くても創る。

その先にいつか僕が求めていた情景が広がったならそれは、、、。


だから僕はずっと音に向き合って、自分の心を淘汰して、逃げて、また音に向き合って、生きている。


生きるということがどれだけ辛いかを僕はずっと前から知っていた。



高校生で、両親を亡くした。

僕が音楽を始めたのはその日だった。


両親は僕の誕生日プレゼントのためにでかけ、その帰りに事故にあった。


その誕生日プレゼントだけが、僕に届いた。


僕はその日兄から渡されたギターにただただ呆然とするしか無かった。

それはそうだ。

僕の手元に帰ってくるべきはこれじゃなくて両親だった。

こんなのはいいから帰ってきて欲しかった。

それでも兄が、


「こんなものじゃないだろ。最期のプレゼントをこんなものなんて言うな」


と言ったから僕は音楽を始めた。

あのギターで。

だからずっと前から僕にとって音楽は辛いことを思い出すことでもあったし、心の傷を治す道具でもあった。


ただ不思議だった。


辛いことが心を癒すのがずっと不思議だった。

生きることは、辛い。辛くて仕方ないことだけで綴られていると思うほどに辛い。

泣いてしまいたい夜がいくつもあることを僕は思い出すのも嫌なほど知っている。

それでも僅かな幸せが手の先にあるように感じるから僕らは生きる。


それだけの、希望でしかない幸せを追っていたくてみんな生きている。

願望にすらなれない、視界の端に少しだけちらつく程度の幸せを追っていたくてみんなは生きる。

それがわかっているのに、それを曲にしようとすればするほど、僕自身はどうなのか分からなくなって涙が出てくる。

いつの間にか流れている涙にこれだけ苦しめられたことはあっただろうか。


たまに瞬の喫茶店に行って少し話す。

それだけのくだらない時間がこれだけ幸せだったことなんて今までにあっただろうか。


朝の生存確認だけが人と会話している時間だなんてもう人間じゃない。


久しぶりにカーテンを開いてベランダに出た。

そこに広がる夕日があまりに綺麗だったから僕はキッチンでコーヒーを入れて、また戻ってきた。

ベランダでまだ熱いコーヒーを飲みながら僕は少し笑ってみた。


「今日はマジックアワーに出くわせたのか」


その一言自分で呟いただけなのにどうしても幸せな気分になってしまって、さっきまで頭を占めていた考えが消えてしまった。

それはそれでいいと思いつつ、それではダメだと思いつつ、僕はやけに甘ったるいコーヒーを飲んだ。


実はここでコーヒーを飲んだのは、

もし僕という物語があって僕が主人公なら、ここでコーヒーを飲んだらすごくシーン的にはいいなと思って演出しただけだった。

こんな甘いコーヒーを飲んで格好つけてる奴なんてどうせろくな奴がいないけれど、僕はブラックコーヒーが飲めないので仕方ない。というか喫茶店に行ったってコーヒーはすごく甘くしてもらっている。

これは通には怒られると思うけれど、それはそれで美味しいことを知って欲しい。


でも、僕の最近の小さい目標はブラックコーヒーを飲めるようになることだ。







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