蛇になった僕

二酸化酸素

第1話 

僕が小学校6年生の頃に、死んだ蛇を触った。

その頃から僕は少しずつ、蛇のような見た目になっていった。

皮膚は剥がれて鱗が浮かんだ。

頭はおむすびみたいに三角になって、大きくなった眼球が頭蓋から飛び出しそうに膨張していた。

居なくなった鼻の代わりに、シュロシュロ鳴らせる長い舌が匂いを脳へ運ぶ。

母がすぐに連れて行った病院の先生から、信じられない話が出てきた。

人体蛇化症候群。

発病者は、全世界で僕1人だけで。

「分からないことだらけなので、その病気を治す事は難しい。」

医者から淡々と告げられた言葉は、僕のわずかな希望を完全に打ち砕いた。

現に今、25歳で会社勤めをしている僕の姿は爬虫類のそれでしかない。

学生時代の頃から、周りからよくからかわれていた。

今でも陰口は絶えない。業務連絡以外では話しかけてくる人もいない……………………………………

……………………………………………彼女以外は。

「やーはー、蛇男くぅーん。おはよ。」

僕の頭の鱗に、持っていたファイルでペシペシ叩きながら、美しい女性が話しかけてきた。

「おはようございます、平沢さん。」

「朝から冷たいぞぉ。そんなんらから25歳で独り身なんだぞ! 」

朝からかなりのテンションで話しかけてきた女性に

少し冷たく挨拶をする。

彼女は平沢さん。僕と同期だ。

こんな僕にも話しかけてくれる唯一の女性。

蛇男と呼んでくることは、今でも少し苦しいけど。

「ちゃんと朝ごはん食べれきたのかぁ。脳みそちゃんと回さないと仕事できないぞぉ。」

「平沢さんこそ呂律が回っていませんよ。もしかして……呑んでから出社したんですか。」

「違う違う!昨日から一睡もしてないからもう眠くて眠くて。」

ふわぁ、と大口を開けてだらしなく欠伸をしている。いつもこんな感じで不健康な生活を送っているらしいのだが、これほどまでとは。

業務を行うことが出来るのか不審に思って見ていると、視線に気づいた彼女は陽気に話し始めた。

「だいじょぶだいじょぶ。今から2時間寝て、起きてから2倍の効率で働けば。」

そう言うと彼女は、自分のデスクにフラフラしながら歩いて行った。

あんなふざけたことを供述していたが、あれでも彼女は僕ら同期のエース。

入社当初からこんな感じなのに、結果は完璧に残している。

周りからも変な人認定されているので、あまり人から話しかけられている印象は無い。

本当に最低な事だけど、彼女を見ていると安心する。

自分が一人でいるのが……見た目ではなく別の理由だと思えるから。

チラッと壁にかけてある時計を見ると、始業時間がとっくにすぎていることに気づいた。

慌てて仕事の準備に移って、今日も働く。

彼女とは違って僕は要領が悪いから、時間を無駄にすることなんて出来なかった。




「お先に失礼します。」

まだ人は結構居たけれど、いつも通り返事は無い。

今日の仕事を終えて、真っ直ぐに帰路へ着く。

次の電車まで30分。会社から駅までいつも20分。

この時間ならば、余裕で間に合うことができるだろう。

「お。蛇男くん上がり?」

明るい声音に呼び止められて、足を止めて返事をする。

「はい。もう仕事は終わらせたし、いい時間ですので。」

現在時刻は10:40分。

要領の悪い僕には、残業は必須なのだ。

「じゃあさ、今から吞みに行かない?オススメの店を教えてあげよう。」

「すみません、明日も仕事がありますので。」

胸を張って自慢げに話している彼女には申し訳ないが、その誘いには乗れない。

女性から……というより、他人から誘いを受けるのは人間だった頃以来だし、とても嬉しいのだが。

「あー……もしかして、そゆこと?」

「そゆこと」、が何を指すのかは分かっている。

この見た目のせいで、行きつけのスーパー以外では買い物すら出来ないのに、初めて行く店で理解を得られるとは思えない。

「すみませんが、もうそろそろ電車が来る時間なので。」

「待って待って!」

さっさと帰ろうとする僕のスーツの裾を思いっきり引っ張って、逃げられないように平沢さんは固く握っている。

焦りながら、彼女は新しい提案を僕にしてきた。

「んじゃあさ! 私のマンションで飲まない?

ほら、その方が君も気が楽だろうし。」

確かに、見た目を気にしなくてもいいマンションは最適解だと思う。

普段があれなせいで時々忘れそうになるが、やはり有能株であることは間違いないらしい。


……………………………………………………あれ?





「お、お邪魔します。」

「はーい。適当に座っちゃってね〜。」

自分の人の欲望に従順してしまい、現在に至る。

誰かの家に遊びに行くなんて小6以来だし、女性の家に上がったことなんて1度も無い。

緊張で声が震えるが、彼女に気づかれたような素振りは無い。

床には物が散らかっていてるせいでどこに座ればいいのか分からなかったので、ソファーにちょこんと腰を下ろした。

不健康な生活に、物が散乱している部屋。

平沢さんは残念な美人なんだと確信した。

「蛇男くん何が飲める? 日本酒と缶ビールとチューハイの3つしかないけど。」

抱き抱えてめっちゃ持ってきた。

いや、確かにお酒の分類はおっしゃる通りなのだろうが、量が多い。

辛口や甘口、アルコール度数や味で分かれているらしいが、それにしても量が多い。

合わせて30本は確実にある。

「じゃ……じゃあチューハイで。」

群れたお酒の中から、比較的飲みやすい、アルコール度数の少ないはちみつレモン味が、怪物の手に引き抜かれた。

「女子か! OLか! 日本酒とかラッパ飲みしそうなのにぃ!」

「そんなことしませんし、期待しないでください。それに僕、あんまり飲まないんですよ、お酒。」

なんか不機嫌になっている彼女を放っておいて、鱗の鎧を着た指でチューハイの封を開けると、カシュッ、と爽やかな音を立てる。

ちなみに彼女は福の神のビールを開けて、グビグビ飲んでいる。





「ふにゃあ〜〜。」

情けない鳴き声でテーブルに突っ伏した彼女は、ピクリとも動かない。

あれからビールを3本、日本酒を1本飲み干したのだから当たり前だよね。

「大丈夫ですか、平沢さん。」

「無理、死ぬぅ〜〜。仕事やだぁ。」

突っ伏したまま両腕を上下させて、全社会人の心情を代弁している。

僕はさっき開けたチューハイの半分も飲みきっていなかった。自分がどれくらい飲めるのか、考えながら飲んでいたらいつの間にか彼女が潰れていた。

今の時刻は0時前、そろそろ出なければ終電を逃してしまう。

「平沢さん。僕もうお暇しますのでちゃんと鍵、かけてくださいよ。」

肩を揺らしながら、帰宅する旨を伝えようとするが、いくら呼びかけても返事は無かった。

寝ているわけでは無いらしいのに頑なに反応しない。

「もう帰りますからね! 鍵はちゃんとかけてくださいよ! 」

刻一刻と迫ってくる終電の時間に向けて、もう行かないといけない。

「待って。」

玄関で靴を履こうとしている僕に、テーブルに突っ伏したままこちらを向いて、上目遣いで引き止めてきた。

お酒が入っているせいで顔が赤く、普段では絶対にありえない色気が溢れ出ている。

少し……いや、かなり僕は狼狽えている。

「あ、あの、終電。逃しちゃうので。」

唐突に放たれたフェロモンにタジタジになりながらも、自分の意見をしっかり伝えた。

「泊まっていけばいいじゃん。スーツ脱いで、明日はここから会社に行けば良いよ。」

泊まっ………いや、ダメでしょ!

人付き合いがあまりにも少ないせいで、どう反応すればいいか分からないけど、これはダメでしょ!

「いや、その、み、未婚の女性の部屋に泊まるのは、よろしくない……かと。」

頼むから誰か殺してくれ。

この容姿のせいで、友達もできず、女性経験も無く、コミュニケーション能力も無いのだから、こんな時もなんて言えばいいのか分からないんです。

心の中で体育座りして落ち込んでいる僕に、彼女はハッキリとした滑舌で答えた。

「大丈夫だよ。だって私、君のこと好きだし。」

「……………………え。」

「好きなんだよ……君が。」

アルコールなんて、入っていなかったんじゃないかと思うくらいハッキリとした口調で、告白された。

平沢さんが。僕のことが好き………?

頭に血が昇ったのか、顔が熱い。

一体………………………なんの冗談なのだろうか。

悪質なドッキリだと分かっていても、ドギマギしてしまう。

「からかうのはやめてくださいよ。酔っ払いながら言われても、説得力が無いです。」

こんな見た目の僕を好きになるなんて有り得ない。

お金なのか? それとも仕事を手伝わせるため?

なんの目的か分からないけど、こんな手段でなくても平沢さんの頼みならいくらでも手伝うのに。

「あはは。そんなに説得力無かったかな?」

乾いた笑いで、誤魔化すように、彼女は傷付いていく。

「そりゃ確かにお酒はいっぱい飲んだけど、結構意識はハッキリしているし、嘘をついたつもりも無いんだけど。」

愛を乗せた言葉を信じてもらうために、証明しようと言葉を並べ続けている。

「いや、平沢さんみたいな美人な人が、僕みたいな……やつを好きになる理由なんて見つからなくて。」

正直な感想を伝えた。

正しいことだと思っていたのに。

その時に彼女が初めて見せた、悔しそうな、苦しそうな表情を、僕は忘れることが出来なかった。

「君はさ……。」

何も音の無い今の部屋でなければ、聞き逃していただろうくらいに小さな声で、彼女は訴え始める。

「私が、見た目だけで人を好きになると思ったの? 顔さえ良ければ、誰でも良いと思ってるの!?」

美しい顔に、儚い表情で、水晶から溢れる宝石に目を奪われた。

「私に何か非があるなら、納得することもできたよ。でも君は、自分の見た目を理由にして、私の言葉を信じようともしなかった。なんで? そんなに自分が傷つきたくないの? 今の君は、自分の不幸を理由にして、誰かを傷つけてるだけだよ……。」

後半になるにつれて、彼女の声は薄くなっていく。

目の前で泣かせて、傷つけてしまった。

泣いている姿を見たくなくて、声をかけようとするけれども、言葉は一向に思い浮かんで来ない。

僕が泣かせているのに、僕がかける言葉なんてあるはずないんだ。

「結局さ、君も同じなんだよ。人を見た目で判断している、君の嫌いな人達と同じ、最低な人間だ。」

お腹の中に包丁が刺さったみたいに、その言葉はとんでもない衝撃で僕の心を抉った。

同じ。

僕と、僕の陰口を言う人が。

人の見た目を理由にして、人を傷つける、最低な。

今の僕と何一つ変わらないじゃないか。

全部、この見た目を理由にして逃げていた。

ありえないと決めつけて、遠ざかろうとしていた。

彼女の気持ちに……答えすらもしなかった。

「すみません……。」

「いいよ、もう。終電そろそろなんでしょ?」

もう彼女の目に涙は無かった。

だけど、もう僕には興味も無さそうだった。

気まずい雰囲気の中で玄関のドアを開ける。

外に1歩出ると、夏の熱風がたちまち僕を包んだ。

すぐに後ろで鍵をかける音が聞こえた。

終電は、逃してしまった。













〜あとがき〜

私はハッピーエンドが苦手なんです。

少し関係ないですが、幸せは人それぞれあって、取りようによってはパッピーだったりバットになったりするのが大好きなんです。

その、メリーバッドエンド?に向けて書きましたが、気づいた時にはバッドエンドになってしまいました。

今回の話も設定も、先日に思いついて、今日で一気に書きあげた短編ですが、今後もこのような話が増えていくと思います。

私の話を読んで頂き、本当にありがとうございました。これからも書き続けようと思うので、どうかよろしくお願いします。



























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