第50話


 先ほどにも増して、パラパラと地面を打つ雨音が大きくなる。

 それに釣られて頭痛は増していく一方で、葵は蹲りながら顔を歪めた。


 "あれ以来"ずっと、雨が降るたびに体調が悪くなるのだ。


 歩くのも辛くなり、人気の少ない路地裏に入ってへたり込む。


 傘も持っておらず、秋を迎えて冷え込んだ季節の中、雨に打たれる状況が不味いと分かっているのに一向に体は動かない。


 「望乃……」


 思い出すのはあの子のこと。

 会いたくて堪らないけれど、いずれは離れなければならない時が来る。


 今の関係は両親の勧めで結んだ一時的なもので、必ず終わりを迎える日がくるのだ。


 以前、学校の廊下でクラスメイトと楽しそうに歩いていた望乃の姿を思い出す。


 その相手に嫉妬して、彼女が落としたノートも拾わずに無視してしまったのだ。


 我ながら子供っぽいと分かっているが、今の葵には心に余裕がない。

 

 もう以前の望乃ではなくて、あの子は間違いなく良い方向に歩み出している。

 最近は噂でも明るくなっていると聞いていた。


 葵しか知らない望乃ではないのだ。

 いずれ、葵がいなくても大丈夫な時が来る。


 沢山の人と出会って、もし望乃に好きな人が出来た時。

 「この人とパートナーになりたいから関係を解約して欲しい」などと言われてしまえば、耐えられる自信がない。


 来月から血液パックが支給されるようになるのだから、いま葵がパートナーを解約しても望乃は困らない。


 自分が傷つく未来を恐れて、その前に離れようとしてしまっているのだ。


 「……雨、嫌だな」


 軽ければ偏頭痛程度で済むけれど、酷い時は熱まで出してしまう。


 小学校低学年の時に起きた僅かな間。

 期間にすれば1ヶ月ほどであるというのに、葵の心に傷を負わせるには十分過ぎた。


 梅雨の時期。

 クラスメイトの女子生徒全員から受けたいじめの記憶を、今も雨が降るたびに思い出す。


 「……ッ」


 人生で2番目に辛かった記憶。

 そして1番辛かったのは、望乃と離れ離れになったあの日の記憶だ。


 両親の都合で引っ越すことになった当日の朝も、桜の花を舞い落としてしまうほどの大雨が降り注いでいた。


 幼ながらに望乃に恋心を抱いていた葵は、離れるのが寂しくて仕方なかったのだ。


 弟のいる葵にとって、望乃は初めての年上の女の子。

 葵ちゃんと優しく可愛がってくれる望乃に対して、想いを寄せるのはあっという間だった。


 そして月日が流れて再び望乃と再会を果たして、葵はあの子の優しさに2度目の恋をしたのだ。


 梅雨の時期に望乃がおかゆを作ってくれたことを思い出す。


 本当は、ああやって何気ない生活をいつまでも送っていきたかった。


 自分から離れる決断をしたくせに、内心はこんなにも矛盾している。


 更に雨が強くなって、頭痛で頭を抱えた時。


 「葵ちゃん!」


 土砂降りの中、傘を指しながら駆け寄ってくるあの子の姿。


 一瞬幻覚かと思うが、心配そうに頬に手を添えられれば、愛おしい温もりが伝わってくる。


 堪らずに、気づけば望乃を強く抱きしめていた。


 初恋は幼い頃の影美望乃。

 2度目の恋は、今一生懸命前を向こうとしている現在の望乃だと知ったら、この子はどんな顔をするだろうか。

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