第49話

  

 両手いっぱいにクラスメイト全員分のノートを抱えながら、モタモタとした足取りで学校の廊下を歩いていた。


 日直当番だったために、職員室へ呼び出されて運ぶよう頼まれたものだ。


 非力な望乃からすれば中々の重労働で、今にもノートをばら撒いてしまいそうな時だった。


 「手伝うよ」


 さっと半分ほどの量を持ってくれたのは、クラスメイトである隣の席の女子生徒だった。


 たまたま見かけて、手伝いを名乗り出てくれたのだ。


 「ありがとう」

 「気にしないで。この量1人で持たせるって先生も鬼畜だよ」


 最近はこうして声を掛けてくれるクラスメイトがチラホラいる。


 友達と呼べるほど仲が良いわけではないが、日常生活を送る上で、寂しさを覚えない程度には人に囲まれているのだ。


 「私、来月から予備校行かなきゃなんだよね」

 「小町さん頭良くない…?」

 「親がうるさくてさあ」


 小町は饒舌で話が面白く、彼女の言葉に相槌を打ちながら階段を登っていた。


 「あ……」


 望乃たちとは反対方向に降ってきた葵の姿に、思わず声を上げる。


 駆け寄ろうとすればバランスを崩して、ノートをその場にばら撒いてしまっていた。


 慌てて拾っていれば、小町は嫌な顔せずに拾うのを手伝ってくれる。


 しかし葵はこちらには声も掛けずに、そのまま立ち去ってしまった。


 「葵ちゃん……?」


 以前の葵なら真っ先に拾ってくれていた。

 「本当望乃はドジなんだから」と言いつつも、優しく笑ってくれただろうに。


 目は合っていたため、間違いなく望乃の姿に気づいていたのは確かだ。

 初めての出来事に、胸がザワザワと嫌な予感に駆られてしまっていた。





 両親から話し合うように言われているにも関わらず、結局何も行動を移さぬまま1週間が経過しようとしていた。


 一度葵と話し合わないといけないことは分かっているのに、あの話題に触れられないのは解約したいと言われることを恐れているから。


 まさかそんなはず…と思いつつも、もしかしたらといった可能性もある。


 恐怖心から、目を背け続けてしまっているのだ。


 今日も葵は友人らと遊びに出掛けているらしく、遅くなると連絡が入っていた。


 制服から着替えて部屋の掃除をしていれば、葵の机の上にあるものが置かれていることに気づいた。


 「なにこれ…?」


 参考書の間に挟まった、一枚の用紙。

 はみ出た部分から覗く「解約」という文字がやけに気になってしまったのだ。


 ドクドクと、一気に心臓が嫌な音を立て始める。


 見なければいいとわかっているのに、芽生えた好奇心を止めることができない。

  

 「……嘘」


 予想通り、そこに挟まっていたのは吸血パートナー関係の解約書類だった。


 手の力が抜けて、書類がパサリと音を立てながら地面に落ちる。

 

 人間の欄には葵の名前と住所が既に記載されていて、達筆な彼女の文字を呆然としながら見つめていた。


 「葵ちゃん、解約したかったんだ…」


 自然と溢れてきた涙を、必死に両手で拭っていた。


 罪悪感と、ショックで涙が止まらない。


 いまだ揺れる視界の中でペンを取る。

 自分の名前と住所を書こうとしても、それは叶わなかった。


 「嫌だよ……」


 葵と離れたくないと心の奥底から強く思っている状態で、署名が出来るはずがない。


 「どうしたらいいの……っ」


 望乃は解約したくないと願っているのに、葵は違う。

 どちらかの想いが叶わない中で、優先すべき意見が彼女のものであると分かっているのに。


 自分のせいで葵を縛り付けている自覚だってあるのに、それでも尚解約したくないと我儘な想いに駆られてしまう。


 あまりにも物分かりの悪い自身への自己嫌悪に襲われながら、望乃は薄暗い室内で1人涙を流していた。





 書類は元の場所に戻したというのに、彼女の方から解約したいという申し出はないままだった。


 それを良いことに、望乃は知らないふりをしてしまっている。

 卑怯なことだと自分でも分かっているが、吸血パートナー関係を1日でも長く続けようとしてしまっているのだ。


 しかし動揺から葵に対する態度は余所余所しいものとなり、そのせいで彼女から怪訝な表情を浮かべられる回数は増していた。


 笑みを浮かべようとすればするほど、空回ってぎこちなくなってしまうのだ。




 とある日の休日。

 心地の良い秋晴れの中で、葵は花怜と共にどこかへ出掛けてしまっていた。


 一人で部屋にいると、自然と嫌な方向へ気持ちが持っていかれそうになる。


 今日帰ってきたら解約を告げられるのではないかと、毎日ビクビクしながら生活しているのだ。


 「葵ちゃん、私のどこが嫌だったのかな…」


 そもそも、最初から関係を結ぶことに乗り気でなかったのだろうか。


 親に勧められて仕方なく断れずに、ズルズルと関係を続けてくれていたのかもしれない。


 ギュッと下唇を噛み締める。

 もしその憶測が正しいのであれば、何も気づかずに浮かれていた自分が恥ずかしくて仕方ない。


 更に自分への自己嫌悪に襲われそうになれば、スマートフォンに一件のメッセージが入った。


 「花怜ちゃんだ…」


 トーク画面を開けば、葵が体調を崩したために遊んでいる途中で帰ったという文が綴られている。


 朝は元気だったため、もしかしたら急に具合が悪くなってしまったのかもしれない。


 帰ってきたら看病をする準備を整え始めるが、それから1時間が経っても葵は一向に帰ってこない。


 「どうしたんだろう…」


 連絡を入れても返事がなく、益々心配で堪らなくなる。


 「あれ…」


 今更ながらに、外からパラパラとした音が聞こえてくることに気づく。


 ベランダ窓に近づけば、朝の晴天とは打って変わって、あの子が苦手とする土砂降りの雨が降り注いでいることに気づいた。

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