第43話


 アルバイト先から帰ってきた葵は、帰って早々にベッドに倒れ込んでいた。

 店内はいつにも増して忙しかったらしく、「疲れた」と言い残してグッタリしてしまっている。


 少しでも癒やしてあげたくて、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出してから、ベッドの上にいる葵に渡してあげる。


 「お疲れ様」


 冷蔵庫で冷やされたペットボトルを首筋に当てれば、くすぐったそうに葵が身を捩る。


 仕返しと言わんばかりに体を引き寄せられて、そのままベッドに引きずり込まれてしまった。


 向かい合って葵と横たわりながら、ジンと幸せを感じていた。


 ベッドからペットボトルが転げ落ちて、ガンッと音を立てながら地面に打ち付けられる。


 2人ともそれに目もくれず、至近距離で互いの瞳を見つめていた。


 「……癒される」


 その言葉が嬉しいのに、同時にもどかしさが込み上げる。


 癒されるだけの存在でありたくないと、我儘な想いに駆られていた。


 「あ、あのさ葵ちゃん…」


 ギュッと目を瞑りながら、望乃はそっと手を回して身につけていたエプロンの紐を解いた。


 布擦れの音が余計に羞恥心を煽る中で、勇気を出して身につけていたTシャツの裾を掴む。


 「望乃……?」


 戸惑っている葵を他所に、Tシャツを脱ぎ捨てる。

 部屋着の中は下着しか着ていなかったため、以前葵が選んでくれた黒色のブラが露わになる。


 羞恥心で全身を赤く染め上げながら、スルスルとハーフパンツを降ろせば、とうとう下着だけを身につけた姿になってしまっていた。


 「あの……」


 葵の手を取って、そっと望乃の胸元を触れさせる。

 柔肌に葵の手の温もりを感じながら、梓が去ってからずっと考えていた言葉を口にした。


 「……私も葵ちゃんに…か、可愛がられたい」


 驚いたように、胸に触れていた手がピクリと動く。

 上体を起こした葵が、下着姿の望乃を優しく抱きしめる。


 背中に回された彼女の手がブラのアンダーホックに触れて、外されることを覚悟してギュッと目を瞑った。


 しかし胸は相変わらず下着に支えられたままで、いつまでたっても解放感に襲われない。


 突然、ふわりと肌に柔らかい感触が触れる。


 不思議に思って瞑っていた目を開けば、体が薄手の掛け布団によって包み込まれていた。


 望乃の体を隠すように、葵が掛けてくれたのだ。


 「体震えてる」

 「……ッ」

 「まだ心の準備出来てないのに何で無理するの」


 そっと頭を撫でられて、ジワジワと涙が込み上げてくる。


 本当はまだ、そこを触られるのは怖かった。

 溺れるほどの快感を受け止める覚悟が、今の望乃にはまだないのだ。


 にも関わらず無理をしたのは、梓への対抗心。


 癒されるだけではなくて、欲をぶつけられる存在になりたかった。


 梓のように葵に可愛がって貰いたいと…そんな酷く醜い嫉妬だ。


 「……10年も離れてたから、私の知らない葵ちゃんが沢山いる」


 瞳から涙が溢れ出して、一筋頬を伝う。

 堪えることが出来ずに、次々と涙が零れてしまっていた。


 「小学生の頃の葵ちゃんも…中学生の頃の葵ちゃんも知らない…初恋も、好きになった人のことも…」


 そっと頭を撫でられる。

 しゃくりを上げながら言葉を続けた。


 「梓ちゃんが葵ちゃんの初めての相手だって聞いて…ずるいって…私だってって思って…」

 「初めての相手…?」


 戸惑ったような葵の表情に、少しだけ落ち着きを取り戻す。


 わけがわからないという様に、葵は表情を歪ませていた。


 「何のこと?」

 「え…」

 「私、そういうことは望乃としかしたことないんだけど」


 考え込む様に、葵は額を抑え込んでいる。

 

 「あ、もしかしたら…」

 「なに?」

 「一回貧血で梓が倒れた時に、吸血させてあげたの。もしかしたらそれのこと…?」

 「あ、梓ちゃんって吸血鬼なの!?」


 つまり梓が言っていた『はじめて』は吸血行為のことで、体を重ねる行為を指していたわけではない。


 勝手に勘違いをして、大胆な行為をしてしまった自分が恥ずかしくて堪らなかった。


 一気に引っ込んだ涙を拭いながら、顔を覆い隠そうと布団を掴む。


 頭まで被ろうとすれば、葵によって掛け布団は奪い取られてしまっていた。


 「あっ…」

 「初めてって聞いてエッチなこと連想したんだ」

 「うぅ…言わないで」

 「……可愛がられたいんだっけ?」


 ベッドに押し倒されてから、左足を持ち上げられる。


 太ももの付け根あたりにキスを落とされて、羞恥心から更に頬を紅潮させた。


 下着姿で足を開かされて、恥ずかしくないわけがないのだ。


 「……勘弁して」

 「望乃の方からキスしてくれたら、今日はそれで良いよ」


 「ほら」と言われて、吸い寄せられるように顔を近づける。


 当然触れ合うだけで終わるはずがなく、口内には葵の舌がねじ込まれていた。


 それを拒否できないのは、葵の熱を感じていたいから。


 葵との口付けが心地良くて、もっとしていたいと願ってしまうのだ。


 舌を絡め合うたびに、互いの唾液が交わっていく。

 どちらのものか分からない唾液が、望乃の顎を伝っていく。


 「んっ…ンンッ…」


 くぐもった声が零れるたびに、指で優しく耳をくすぐられる。


 耳の縁をなぞられて、軽く中に指を入れられれば、ゾワゾワとしたもどかしさが体に走る。


 「……本当,可愛い」


 唇を離してから、至近距離でそんな事を言われて嬉しくない訳がない。


 同時に、堪らなく葵に対する愛おしさが込み上げてきていた。


 「焦んないで……本当に望乃が触って欲しいと思った時に可愛くおねだりしてよ」


 葵の体に抱き着きながら、どうしてあんなに梓の言葉がショックだったのか、その理由にようやく気づいた。


 葵が望乃以外の誰かと体を重ねている姿を想像して、モヤモヤと胸が騒ついた理由。


 もっと一緒にいたいと、そばにいたいと。


 望乃だけを見て、一心に愛を注いで欲しいと願った。


 葵に対する嫉妬の権利が欲しいと切望した理由は、何とも単純な感情に繋がっていた。


 葵のことが好きなのだ。


 幼馴染みとしてではなく、吸血パートナー関係の相手としてでもない。


 家族愛や友情とも違う、愛欲と性欲をぶつけられる存在になりたいと、強く願ってしまった。


 葵のことが、好きで堪らないのだ。

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