第42話
以前にまして、望乃は退屈な日々を送っていた。
あれ以来葵は梓と共に出掛けてばかりで、殆ど家を開けてしまっている。
久しぶりの友人との再会に、楽しげに観光案内をしているようだった。
余程盛り上がっているのか、葵はいつも遅くに帰ってくる。
本当は今日だって一緒にお洋服を見に行く予定だったというのに、気を利かせて別日にずらしたため何の予定もなくなってしまった。
時計を見れば夜の21時で、すっかりお腹を空かせながら葵の帰りを待ち侘びているのだ。
「……梓ちゃん可愛かったな」
ハキハキとした口調に愛嬌たっぷりな笑顔。
彼女の明るい性格はきっと男女問わず好かれるのだろう。
スタイルもよく、ルックスだって整っていた。
葵の隣にいてしっくりくるのは、あんな風にキラキラとした女の子なのだ。
鏡に近づいて、ジッと自分の姿を眺める。
メイクはするけれど、面倒くさくて必要最低限にしか施していない。
化粧品もそこまで興味はないために、4月以降新しいものは購入していない。
可愛くなるための努力は最近はすっかり怠っている。
先ほど風呂上がりにドライヤーをした時も、温風で適当に乾かしてブローもしなかった。
梓にコンプレックスを刺激されたというのに、それを改善するための努力を何もしなかったのだ。
自己嫌悪に駆られていれば、機嫌良く葵が帰ってくる。
「葵ちゃん…」
「ただいま。遅くなった」
「その、楽しかった…?」
首を縦に振る姿に、内心複雑だった。
友達と遊ぶ姿にモヤモヤとしてしまうなんて、一体何様のつもりなのだろう。
「明日も遊ぶの…?」
「いや、バイト。明後日はまた会う予定だけど…」
「そうなんだ…」
葵は快活な人を思いやれる優しい女の子で、わざわざ遊びに来てくれた友達を無下にするはずがない。
そんな葵の優しさが、望乃は大好きだったはずなのに、今はそれが寂しくて仕方ないのだ。
ベッドに寝転がって、拗ねるように布団を被る。
言いようのない感情のせいで、可愛げのない表情を浮かべてしまっていた。
「夜ご飯遅くなってごめんね」
ギシッとベッドが軋んで、すぐそばに葵が腰を掛けているのが分かる。
恐る恐る目元だけを出せば、首筋をこちらに見せつけている様が視界に入った。
いつもだったら血を求めて首筋に噛み付いているところだが、今日はそれよりももっと欲しい何かがある。
上体を起こしてから、正面からギュッと葵に抱きついた。
「飲まないの…?」
「いまは、こうしてたい」
彼女の肩にスリスリと額を擦り付ければ、そっと体に腕を回される。
ギュッとされる感覚とふんわりと漂うベルガモットの香りが酷く心地良い。
「好きなだけ甘えなよ」
梓が現れてから、望乃はずっと心に余裕がないのだ。
葵を取られてしまったようで、梓に嫉妬してしまっている。
ただの幼馴染みで、吸血パートナー関係を結んでいるだけの間柄に、そんな権利ないというのに。
この関係が発展すれば、嫉妬をする権利を得ることが出来るのだろうか。
もっと構ってほしいと、甘えることが許されるのだろうか。
梓よりも望乃を見て、なんて困らせると分かっているのに。
少しでも気を抜けば、葵に嫉妬心を打ち明けてしまいそうだった。
翌朝アルバイトへ出掛ける葵を見送ってから、望乃は掃除に洗濯と家事に励んでいた。
働いて疲れて帰ってくる葵を少しでも癒してあげたくて、出来る家事は全てこなしてしまおうと考えたのだ。
掃除機を掛け終えて、次は何をしようかと考えていれば向こう側からインターホンを鳴らされる。
扉を開いた先にいる人物を見て、望乃は自身の頬が引き攣ってしまうのを感じていた。
「葵ちゃんはいませんよ…?」
「知ってる。いれて」
返事も聞かずにズカズカと室内に入ってきたのは、葵の友達である梓だった。
留守であることを知っているのならば、一体何をしに来たのか。
戸惑っていれば、彼女は部屋の隅に置かれているクイーンサイズのベッドを指さした。
「……いつもここでヤッてるんだ」
「やってる……?」
「セックス」
「セ……!?」
予想外のワードにぶんぶんと首を横に振れば、梓が少しだけ意外そうな顔をする。
葵と望乃が特別な間柄であると、何故か彼女は勘違いしているのだ。
「へえ…手出されてないんだ」
そう言いながら見下ろしてくる梓の瞳は、葵に向けるキラキラとしたものとは全然違う。
威圧的なオーラを纏って、まるで別人のように黒い笑みを浮かべている。
「良いこと教えてあげよっか」
「なんですか…」
「あの子の初めて、私だから」
衝撃で思わず目を見開いていた。
含みのある物言いが何を指すのか、分からないほど子供ではない。
足元が覚束なくなる感覚の中、震える声を漏らす。
「は、初めてって…」
「まあご想像にお任せするけど。すごい可愛がってもらってたの。だからさあ…吸血パートナー関係、解消して欲しいんだよね」
腕を強く掴まれて、痛みで表情を歪める。
その力強さから、梓の望乃に対する嫌悪感が伝わってきそうだった。
「あなたじゃ葵に釣り合わない。私の方が葵のことよく知ってるから」
「……それは」
「幼稚園が一緒で親同士が仲良かったから、一時的に関係を結んだんでしょ?」
唇を噛み締めれば、予想通りの反応だったのか梓が口角を上げて見せる。
望乃の心を掻き乱して楽しんでいるのだ。
「所詮は腐れ縁みたいな関係で葵を縛りつけないでよ。葵、あなたのこと重荷だって言ってたよ」
「重荷…?」
「親同士が決めた取り付けが迷惑だって」
「……わ、私は…」
今までだったらきっと、ここで頷いてしまっていた。
誰かから詰め寄られることが怖くて、相手の申し出を簡単に飲んでしまっていただろう。
しかし、ここだけは譲りたくない。
もう2度と自分のことを軽蔑したくないからこそ、望乃は勇気を出して口を開いた。
「…私だって葵ちゃんのこと沢山知ってるもん」
雨とプールが苦手なこと。
料理や家事が得意で、文武両道の優等生。
人望がある割に言葉遣いは悪いけれど、そこには確かな優しさが隠れていて。
望乃を大切に思ってくれていることは、そばにいるだけで十分伝わってくるのだ。
だからこそ、望乃を傷つけるために葵を使った梓が許せない。
葵の望乃に対する優しさを、侮辱することだけは許せなかった。
「…葵ちゃんはそんなこと言ったりしない…っ。すごく優しい人だから、本当に不満なら陰口じゃなくて直接私に言うはず」
「……ッ」
「そうやって間接的に葵ちゃんを悪く言わないでよ…!」
言い返してきた望乃に対して、梓が罰が悪そうな顔を浮かべる。
居心地が悪そうに爪を弄りながら、冷たい声を落とした。
「つまんないの」
舌打ちを残してから、梓が帰って行く。
去ったことにホッとしながら、思い浮かぶのは先程の梓の言葉だった。
『葵の初めては私だから』
その言葉に何故か酷くショックを受けてしまっている。
葵は人気者で男女ともに人気があるのだから、そういった経験を済ませていても何も不思議ではないというのに。
醜い感情が込み上げて、胸が痛んで仕方ないのだ。
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