第32話
どうやら今日から梅雨入りをしたらしく、放課後になってもザァザァと雨は降り注いでいた。
そのおかげでお花係の仕事は暫くお休みなため、いつもより早い時間に自宅へと戻ってくる。
部屋は真っ暗で、葵はアルバイトにでも行っているのだろうかと考えていれば、ベッドに横たわっている彼女の姿に気づいて目を見開いた。
「葵ちゃん…!?」
心配で駆け寄れば、額に冷却シートが貼られていることに気づく。
今朝までいつも通りだったため、学校にいる間に熱を出してしまったのかもしれない。
「風邪引いたの…?」
「望乃…?」
望乃の存在を確かめるように、葵が苦しげに声を漏らす。
目は少し虚で、いつもの覇気はない。
「大丈夫?」
「平気…微熱だし」
「病院は?行ったの?」
「うん……この時期さ、毎年一回は熱出るの…6月が嫌いなんだ」
「どうして…」
「……昔嫌なことがあった1ヶ月だから」
思い出したのは、以前真央が口にしていた言葉。
転校先で、葵が1ヶ月ほどクラスメイトに虐められていたという…あまりにも辛すぎる過去だった。
どんな言葉を掛けるか悩んだ末に、あえて明るい声色で語りかける。
弱っている彼女に元気を出して欲しくて、そのことにはあえて触れなかった。
「何か食べたいものある?」
「ケーキ…商店街のケーキ屋さんの、ベリータルトが食べたい」
「他には?」
「栄養ドリンクと…おかゆ」
「ちょっと待ってて」
雨に濡れた傘を取って、制服のままで再び家を出る。
近くのスーパーではゼリーやプリン、他にも栄養価の高い食材を買い込んでから、続いてリクエストされたケーキ屋さんまでやって来る。
望乃が苦手なキラキラしたお店。
「葵ちゃんのためだもん…」
普段だったら萎縮してしまう所だが、大切な葵のためだと勇気を出して店内に足を踏み入れた。
途端にスイーツの甘い香りが鼻腔をくすぐる。商品ディスプレイに飾られたケーキはもちろん、店員も店内も、全てが可愛らしい。
「いらっしゃいませぇ」
「あの、べ、ベリータルトを…」
「すみませんもう一度よろしいですかあ?」
「ベリータルトください!」
大きい声を出してしまい羞恥心に駆られるが、望乃からする大声が、周囲の人にとっての通常ボリュームなのだ。
店員はニコリとした笑みを浮かべて、テキパキと準備を進めていた。
「かしこまりましたぁ。すぐにご用意いたします」
宣言通りあっという間にケーキボックスに収められ、お金を払ってから商品を受け取る。
時間にすると、店内の滞在時間は5分も掛かってないだろう。
「あっさり買えちゃった…」
あまりにもスムーズにことを終えて、拍子抜けしてしまう。
こんなことなら何を怖じけていたのだろうと、安心感から笑ってしまいそうだった。
「……勇気出して、よかった」
以前の望乃だったら、店内の雰囲気に怖じけて入ることすら出来なかっただろう。
あの子のために、勇気を出そうと思えた。
葵のおかげで、以前より望乃は前を向けているのだ。
荷物を抱えて部屋に戻ってくれば、葵はぐっすりと眠っていた。
冷却シートを張り替えてあげようと、冷蔵庫から新しいのを取り出してベッドに近づく。
苦しそうな声で呻く姿に、心配から安心させるようにギュッと手を握った。
「……ちゃん」
「え…?」
「望乃おねえちゃん……」
そう言って、葵の目から一筋涙がこぼれ落ちる。
10年ぶりに見た、葵の泣き顔。きっと悪夢にうなされているのだ。
望乃の想像する何倍も、過去の出来事は葵の心の傷になってしまっている。
「大丈夫だよ」
安心させる言葉を吐きながら、目の前がジワジワとぼやけ出していた。
喉がキュッとしまり、声も震え始めてしまう。
「大丈夫……」
一体、何が大丈夫なのだろう。
酷いことを言われると、苦しいのだ。
言った側は何も覚えていないだろうけれど、された側はいつまでも忘れられずに苦しみ続ける。
先ほどクラスメイトに辛い言葉を掛けられたばかりの望乃が「大丈夫」と言っても、ちっとも説得力がない。
強がっているけれど、心は痛くて仕方ないのだ。
「……っ、ひっく…うぅ…」
葵を起こさないように、声を押し殺して涙を流す。
本当は苦しかった。
クラスメイトからあんな風に思われていることを目の当たりにして、ショックで堪らなかったのだ。
溢れる涙をそのままに、小さくしゃくりを上げながら泣いていれば、ピクリと握っていた手が動く。
「……望乃?」
バッと顔を上げれば、驚いたように彼女の目が見開かれる。
「どうしたの!?なにかされた?」
「ちがっ…」
「途中で何かあったの?それとも学校で…」
「ちがうの!」
起きあがろうとする、葵の体を押さえつける。
熱がある彼女には、安静にして欲しかったのだ。
「……私ね、葵ちゃんが6月に熱出す理由…知ってるの。真央ちゃんから聞いて…」
「え……」
「葵ちゃんのこと慰めたいのに…私じゃ出来ない。葵ちゃんの気持ち痛いほど分かるから…乗り越えてなんて、簡単に言えないよ」
押さえつける力を緩めれば、葵はこちらの想いなんてお構いなしに上体を起こしていた。
「……聞かせてよ」
「え……」
「望乃は私と離れていた間、どんな人生送ってきたの」
目を逸らそうとすれば、頬を両手で掴まれる。
強引さはない優しい力だというのに、望乃はされるがままになっていた。
「気持ちが分かり合えるからこそ…寄り添えることもあるかもしれないよ」
「葵ちゃ…」
「望乃のこと知りたい」
「お願い」と言われて心が揺れてしまうのは、可愛い年下の幼馴染の願いだからか。
本当はずっと、誰かに望乃の苦しさを聞いて欲しかったのか。
きっとどちらも本心で、ずっと苦しさを我慢してきた。
長年抑え込んできたものを開放するように、望乃は自身の身に起こった過去の出来事を少しずつ話し始めた。
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