第25話


 紙袋を片手にそっと玄関扉を開けば、中は暗闇に包まれている。

 葵にしては早い就寝時刻なため、恐らく望乃と顔を合わせたくなかったのだろう。


 「…これ、真央ちゃんが持ってきてくれたよ」


 ベッドに向かって声を掛けても、返事はない。ワンルームなために、気まずくても一つの部屋にいなければいけないのだ。


 「……これって」


 机の上には、「冷蔵庫みて」とぶっきらぼうに書かれた紙が置かれていた。

 それを片手に冷蔵庫をあければ、血液パックが3つも入っている。


 一つだけでも高いというのに、わざわざ望乃のために買ってきてくれたのだ。


 ストローを指してから、チュウッと血液を吸い込む。やはり、葵のものに比べれば味気ない。


 「……葵ちゃんのがいい」


 葵は優しいから、気まずい中でも望乃が食事を取れるように気を回してくれた。

  

 しかし肥えてしまった舌は何とも贅沢で、我儘な想いに駆られてしまっている。


 歯を磨いてから同じベッドに潜り込んでも、背中を向けられているため彼女の寝顔すら見ることができない。


 同じ部屋で、同じベッドの上にいるというのに。

 手を伸ばせば触れられる距離にいるからこそ、いまの気まずさが切なくて仕方ないのだ。





 翌朝目覚めれば、すでにベッドはぬけのからだった。

 避けられている状況に寂しさを覚えながら、昨夜葵が用意してくれた血液パックを飲んで学校へと向かう。


 電車は郊外へ向かっているため、通勤ラッシュとは正反対だ。

 朝にしては快適な車内でぼんやりと窓の外を眺めていれば、見覚えのある顔を見つける。


 あちらも望乃に気付いて、手を上げながらこちらに駆け寄ってきた。


 「望乃さんだ。おはよう」


 葵の友達である夢原花怜。

 朝に会うのは初めてで、同じ路線の電車に乗っていることも今日初めて知った。


 「路線一緒だったんだね」

 「だね、びっくり」

 「葵は一緒じゃないの?」

 「うん…」


 当然のように、花怜は望乃の隣に腰を掛けた。

 人懐っこい彼女はひっきりなしに望乃に話しかけてくれるため、こちらもリラックスして返事をすることが出来る。


 朝から人と話している状況に、今更ながら有り難みを感じる。

 相変わらずクラスに友達はいないけれど、他クラスには小夏がいる。


 廊下ですれ違えば花怜が話しかけてくれて、今まででは考えられないほど、望乃の周りには人がいるのだ。


 それは全て、あの子がいるから。

 葵に釣り合う人間になりたくて、望乃が変わろうと頑張ってきたから、今の状況があるのだ。


 「望乃さん、葵が嫉妬深くて大変じゃない?」

 「嫉妬深い…?」

 「周囲に自分がパートナーだって公にしてるのも、望乃ちゃん取られないためでしょ?」


 初めて聞く話は、にわかに信じがたかった。

 今まで一緒にいて、あの子が嫉妬深いと感じたことなんて一度もない。


 どちらかといえば、望乃の方が葵に対して執着しているとばかり思っていた。


 「けどまあ…望乃さんに酷いことする奴には牽制してるみたいだし、悪い子じゃないからさ」


 カラッとした笑みを浮かべている花怜を見て、何とも言えない気持ちが込み上げてくる。


 思い返してみれば、1年生の頃に比べたら嫌な役割を押し付けられる回数は減っていた。


 お花係を決めたのは葵とパートナーになる前だったため、周囲は遠慮なく望乃に役割を押し付けてきたが、それ以降はめっきりだ。


 葵はそうなることをわかっていたから、周囲にパートナーであることを公言したのだ。


 「あの子望乃ちゃんのこと大好きだからね」


 堪らなく、胸が熱くなる。

 そんなふうに守ろうとしてくれていたことを、望乃は知らなかった。


 望乃を傷つけるものから、必死に守ろうとしてくれていた。

 だからこそ良い噂を聞かない小夏から、望乃を遠ざけようとしたのだ。


 本当の小夏を知らない葵は、望乃が傷つかないように守ろうと必死だった。


 「葵ちゃん…」


 葵の本心に気付いてしまったからこそ、ちゃんと話したいと思ってしまう。


 望乃の唯一の友達は決して悪い人ではない。あの子であれば、絶対にそれを理解してくれるはずだ。





 帰ったらきちんと葵と話し合おう。

 分かりにくいけれど葵はきちんと望乃のことを考えてくれていて、とても優しい女の子なのだ。


 話せばきっと分かり合えるはずだと考えながら、放課後までの時間が長くて待ち遠しく思える。


 昼休み前の4時間目の授業中。

 早く時間が過ぎないかと待ち侘びていれば、ふとあることを思い出す。


 「あれ…?」


 帰ってきたら葵と話そうと考えていたが、もしかしたら帰ってこない可能性もあるのではないか。


 二人で暮らしていると言っても、電車で30分もしない距離に2人の実家はあるわけで。


 昨夜はすぐに寝てしまい、今朝だって望乃より早く家を出てしまった。


 気まずさから帰ってこない可能性は大いにあるのではないだろうか。


 避けられているのは明確で、もしかしたら望乃ともう向き合ってくれないかもしれない。


 「……ッ」


 お昼時間を告げるチャイムを聞くのと同時に、堪らずに立ち上がる。


 それ以上考えるよりも先に、体が反射的に動いていた。


 階段を一つ上がって、一年生の教室がある最上階へ。


 お昼時間ということもあって廊下はザワザワと賑わいを見せていた。


 「あれって2年の吸血鬼じゃない?」


 視線を感じてフードを被ってしまおうかと悩むが、堂々としていようと前を向く。


 葵の所属するB組の教室の前で足を止めた。

 

 一度大きく深呼吸をして、扉に手を掛ける。


 前お弁当を届けに来た時は、怖くて入れなかったのだ。


 「……頑張らなきゃ」


 勇気を出して扉を開ければ、教室中の視線が望乃へ注がれる。


 まさか来るとは思わなかったのか、葵も驚いた様子でこちらを凝視していた。


 派手な容姿の人に囲まれた、葵の元まで足を運ぶ。花怜がにこにことしながら手招きしてくれるのが、唯一の救いだろう。


 「あ、葵ちゃん。話が……ありますので」


 着いてきて欲しい、という声は殆ど音にならなかった。

 葵の友人らの好奇心に溢れた視線を見てられなくて、視線も段々と下がっていく。ついには床の模様をジッと眺めてしまっていた。


 「……わかった」


 その声にバッと顔をあげれば、「行くよ」と葵に手を取られる。

 ホッとしながら彼女の後ろをついていれば、教室のどこかから話し声が聞こえてきた。


 「あの子が高崎の吸血鬼?」

 「らしいよ」

 「なんか大人しそう。地味じゃん」


 指摘通り望乃は地味で、何一つ間違ったことは言っていない。

 寧ろ噂話にすれば悪意のない方だと気にせずにいれば、葵はその生徒に向かって低い声で牽制した。


 「黙ってくれる」


 その声に、教室がシンと静まり返る。

 望乃は陰口になれているというのに、葵は庇おうとしてくれた。


 花怜の言う通り、葵は望乃を守ろうとしてくれているのだ。


 不器用な彼女の優しさが、望乃は嬉しくて仕方なかった。

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