第23話
帰宅後に早速風呂に入った望乃は、洗面鏡の前で先ほど購入した下着を身につけていた。
イエローカラーでオレンジ色の花柄があしらわれている、可愛らしい下着。
大人っぽいデザインのものを身につけるのは初めてで、鏡の向こうにいる自分の顔はどこか自信なさげだ。
「……変じゃないかな」
セットのショーツも合わせて着たら、もっと可愛いのだろうか。
自信はないけれど、一歩踏み出せた事実は僅かに望乃の心を明るくさせているのだ。
部屋着のショートパンツを履いていれば、玄関の方から扉が開く音がする。
そこまで広さのない部屋を行き来するのはあっという間で、Tシャツを着る暇もなく葵が洗面所に顔を出した。
着替え中とは思わなかったのか、彼女の表情が僅かに驚いたようなものになる。
「うわ、びっくりした…」
「葵ちゃん、おかえりなさい」
「……それ、買ったの」
「う、うん…」
「……なんか、望乃っぽくない」
それはつまり、似合っていないということだろうか。
密かにショックを受けていれば、強引に肩を掴まれ、力強く体を引き寄せられる。
「きゃっ……」
悲鳴に近い声が漏れ出たのは、突然葵が望乃の胸元に顔を埋めたからだ。
熱い息が風呂上がりの肌に触れたかと思えば、葵は何も言わずにそこに吸い付いた。
肩を押してもちっとも離れる気配はなかった。
「葵ちゃん…?どうしたの…っ」
ようやく葵の顔が離れたかと思えば、左鎖骨下の胸元にはくっきりと鬱血痕が付けられていた。
赤く変色したそこを一瞥だけして、葵は洗面所を後にしてしまう。
彼女が機嫌を悪くしているのは一目瞭然で、望乃は慌ててTシャツを着直してから葵の後を追った。
「今日一緒に来てた子、柚木小夏でしょ」
「小夏ちゃんのこと知ってたの…?」
「有名でしょ。女取っ替え引っ替えしてる吸血鬼」
吸血鬼というだけでも目立つのに、派手な行動ばかりしている小夏は余計に人々の興味を駆り立てるのかもしれない。
下級生にまで伝わっている噂は、決して良いものではなさそうだった。
「そんな子と仲良くするとか何考えてるの」
「え…」
「あの子女癖めちゃくちゃ悪いんでしょ。油断させて、望乃にも手出すつもりかもしれないじゃん」
「そんなこと…」
「何かあってからじゃ遅いんだよ」
確かにその噂は間違っていないけれど、望乃の前の小夏は違う。
年相応の女の子らしくケーキを食べて喜んで、一緒に下着を選んでくれる甲斐甲斐しさもある。
友達だと言ってくれたあの言葉に嘘がないと知っているから、どうして葵がこんなに怒っているのか分からないのだ。
「落ち着いてよ…」
「友達作るにしても…もっと相手選びなって」
「こ、小夏ちゃんのこと悪く言わないで!」
小夏はこんな望乃にとっての唯一の友達なのだ。
いくら葵とはいえ、そんな相手を悪くいうのは許せなかった。
「確かに小夏ちゃんはその…そういうことに対してオープンな所あるけど、根は優しくて…私のことは全然そういう目で見てないよ」
「分かんないでしょ」
「小夏ちゃんのこと…友達のこと悪く言わないで」
望乃の言葉に、葵は呆れたようにため息を吐いた。
そして、軽蔑したように望乃の胸元を指さしたのだ。
「……その下着だって柚木小夏が選んだんでしょ」
「え……」
「食べる気満々じゃん。友達と思ってるのは望乃だけなんじゃないの」
言わずとも小夏との秘密がバレてしまった驚きよりも、ショックで胸がヒリヒリと痛んでいた。
葵も、小夏も。望乃にとって本当に大切な存在だというのに、どれだけ弁解しても理解してもらえない。
おまけに二人の関係までそんな風に言われて、ショックでジワジワと涙が込み上げ始めたのだ。
「そんなことない…」
声を震わせて今にも泣きそうな望乃を見て、珍しく葵が焦っているのがぼやけた視界越しに分かった。
「あ、葵ちゃんだって……私の知らないところでアルバイト始めて、色んな人と仲良くしてる…」
「は…?」
「自分は男の人と良い感じになってるのに…私ばっかり責めないでよ」
返事を聞かずに、望乃はその場から飛び出してしまっていた。
コンビニへ行くときに愛用しているキャラクターもののスリッパを履いて、何も持たずにマンション階段を駆け降りる。
ひっきりなしに涙が止まらないのは、小夏との関係を詰られたから以上に、どれだけ言っても葵に聞く耳を持ってもらえなかったことが、酷くショックだったからだ。
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