第20話


 ワイワイと賑わう教室の前で、望乃はポツンと立ち尽くしていた。右手には普段葵が持ち運んでいるランチバック。


 日直だった葵は今朝、望乃より先に家を出たのだが、手作りのお弁当を忘れて行ってしまったのだ。


 届けてあげようと勇気を出したまでは良かったが、望乃はあの子が学年の人気者であることをすっかり忘れていた。


 「どうしよう……」


 ランチバックの紐を握り直すのは何回目だろう。葵は一番後ろの席で、容姿の整った生徒に囲まれている。


 「…やっぱり人気者なんだな」


 このまま教室の扉前で立ち尽くしていても不審者のようで、先ほどから周囲の視線が痛くて仕方ない。


 SNSで連絡を入れて取りに来てもらうか…と考えたが、そのせいで今楽しそうに話しているグループの輪を乱したくない。


 どうしようと焦っていれば、突然肩を叩かれる。背後から伸びて来たために全く気づかなかったせいで、驚きで何とも情けない声を上げてしまっていた。


 「う、うわあ!」


 バッと振り返った先にいた女子生徒の顔には見覚えがあった。


 「望乃さん覚えてます?私のこと」


 グイッと見せつけて来た首筋には、沢山の吸血痕が刻まれている。

 以前、屋上で栄養不足で蹲っていた際に声を掛けてくれた女子生徒。


 葵の友達の夢原ゆめはら花怜かれんだった。


 小夏とは逆に、様々な吸血鬼に対して血を分け与えているのが花怜という女の子だ。


 「葵に用?呼んであげよっか」

 「いや、いいよ…これ、渡しといて欲しいの」


 ランチバックを受け取りながら、花怜はどこか考え込むような素振りを見せる。

 

 「直接渡した方が葵は喜ぶと思うけど」

 「葵ちゃんは人気者だから…」

 「望乃さんだって有名人じゃん」


 それは有名というよりも、吸血鬼として悪い意味で目立っているだけだ。

 リアクションに困った末に、苦笑いを浮かべてしまっていた。


 「葵ちゃんによろしくね」

 「まかせてください」


 花怜と別れてから、望乃は一人で図書室へやって来ていた。

 いつものように誰もいない空間は、望乃にとっての避難場所。


 小夏は高野との件で懲りて、女子生徒との派手な遊びは控えるようになったらしいが、学校をサボりがちなことに変わりはない。


 結局ぼっち生活にあまり変化はなく、お昼休み時間はいつもここにいる。


 シンとした空間は慣れたはずだったというのに、何故か寂しさを感じてしまう。

 

 葵や小夏といるうちに、望乃は無意識に人といる生活が当たり前になっていたのかもしれない。








 チラリと時計を見れば時刻は既に21時を越えていて、更に心配が募る。

 葵は友達が多いため、遅い時間に帰ってくることは珍しくないが、今日は連絡を入れても一向に返事がないのだ。


 しつこくしてうざがられるのも嫌なため、一件だけ送って既読がつかないトーク画面を悶々としながら眺めていた。

 

 「もう一回送る…?でも、うざいって言われたら嫌だし…けど心配…ううん、でも……」


 そんなことを繰り返していれば、玄関からガチャリと鍵を開錠する音が聞こえてくる。


 慌てて駆け寄れば、いつもより疲れた様子な葵の姿があった。


 「おかえり、葵ちゃん」

 「ただいま。疲れたから風呂入る」


 ローファーを無造作に脱ぎ捨てて、葵は宣言通り風呂場へ行ってしまう。


 珍しくグッタリしていて、戻ってきたらマッサージでもしてあげようかと考えていた。


 ちょこんとベッドの上で座りながら気に入っている小説を読んでいれば、30分ほどして脱衣所の扉が開く。


 「暑い…クーラー入れたい」

 「ま、まだ5月だし…」


 目を逸らしながら、蚊が鳴くような声を漏らす。

 風呂場から出てきた葵は暑いのか上の服を着ておらず、黒い下着を付けただけの状態で出てきてしまったのだ。


 大人っぽいレースのついた下着から覗く谷間があまりにも刺激的で、直視することが出来ない。


 なるべく葵の方を見ないようにしながら、必死に平静ぶっていた。


 「きょ、今日遅かったね」

 「先週からバイト始めたから」

 「え……そうなの?」

 「友達に誘われて。学校の最寄駅にカフェあるじゃん、そこで働いてる」


 確かお洒落な雰囲気の落ち着いたカフェテリアだ。

 年齢より大人びている葵のイメージにぴったりで、テキパキと働く姿が容易に想像できる。


 「あと、お弁当ありがとね」

 「うん…気にしないで」


 葵はどんどん大人っぽくなっている。


 下着は望乃のものより何倍も色気があって、望乃が経験したことのないアルバイトだって始めている。


 体付きもよほど女性らしく、どんどん置いていかれるような寂しさを感じてしまっていた。


 「あ、ご飯食べる?」


 ドキドキしているこちらなんてお構いなしに、葵は下着姿のまま望乃のすぐ側で腰を下ろす。


 緊張しながら肩に手をおけば、ボディクリームを塗りたてのもっちりとした、吸い付くような手触りだ。


 バニラのような甘い香りはボディクリームのものか。牙が滑らないようにぬめりを取るため、彼女の首筋に舌を這わせた。


 「ちょっ…」

 

 珍しく擽ったそうに眉間に皺を寄せていて、その姿が新鮮だった。

 

 狙いを定めてから犬歯を突き立てれば、葵だけが持つ格別な甘味が広がってゆく。


 「んっ…あまいっ……」


 こんなに美味しいというのに、人間は自身の血液が鉄のような臭いに感じるらしい。


 吸血鬼同士で吸血すると酷い不味さを感じるのと同じなのだろうが、葵の血をそんな風に感じるなんて信じられなかった。


 「……美味しい?」

 「葵ちゃんの血が一番美味しい」

 「じゃあ、私なしじゃ生きられないね」

 「ずっと一緒がいいな……」


 自然と思い浮かんだ言葉を口にすれば、なぜか強い力で抱きしめられる。

 

 半袖のTシャツから伸びる手が彼女の肌に直接触れて、それが余計に望乃をドキドキとさせていた。


 「葵ちゃん…苦しいよ」


 早鳴る心臓を聞かれたくなくて離れようとしても、葵は返事をしてくれない。


 されるがままに抱きしめられながら、葵の心臓も望乃と同じくらい高鳴っていることに気づいた。


 望乃の心臓の音も、きっと葵に伝わっている。

 お互い様だと思いつつも、やはり羞恥心は拭えない。


 なぜ抱きしめられているのか。

 突っぱねて理由を聞かなければいけないのにされるがままになってしまうのは、葵との抱擁が嫌ではなく…寧ろとても心地よかったせいだろう。

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