第18話
各クラスごとに割り振られたバスが学校に到着する頃には、夕暮れ時を迎えていた。
バスから降りてしまえば後は自由帰宅なため、望乃もさっさと帰ってしまおうと足を進める。
赤色のジャージで街中を歩くのは少し恥ずかしかったけれど、いちいち着替える方が面倒くさい。
いまだガヤガヤと楽しげに話している周囲を尻目に歩いていれば、突然腕をグイッと引っ張られて目を見開いた。
「痛っ……」
「ちょっといい?」
返事を聞かずに、高野がグイグイと望乃の腕を引っ張ってくる。
怒りを露わにした様子から、小夏を助けたのが望乃であると彼女は確信しているのだ。
内心、怖くて堪らなかった。人から怒りを向けられると、心臓がバクバクと悲鳴をあげてしまう。
その感覚が苦手で、いつも何も言えなくなってしまったけれど、望乃は変わりたいのだ。
勇気を出して、「離して」と叫ぼうとした時だった。
パシンという乾いた音が響いて、驚いてギュッと目をつむる。
叩かれたと思ったのに、一向に痛みは襲ってこない。
恐る恐る目を開けば、痛そうに自身の手を押さえる高野の姿があった。
「え……?」
「何してるんですか」
背後から聞こえた声に、驚いて振り返る。
そこには青色のジャージを着た葵の姿があったのだ。
辺りを見渡しても、青色のジャージを着ているのは葵ただ一人だけ。
他の一年生はとっくに帰路に着いているであろうに、どうして葵だけ残っているのか不思議で仕方なかった。
「嫌がってますよね」
「関係ないでしょ」
「私のパートナーなんで」
望乃を隠すように、葵が高野の前に立ちはだかる。
年下とはいえスラリと背の高い葵に見下ろされて、高野は怯えたように後退りをしていた。
「今度望乃に手出したらタダじゃ済まないから」
葵ではなく望乃をキッと睨みつけ、高野は忌々しそうにその場を後にしていった。
上級生の間でも話題になっている、人気者の美人とトラブルは起こしたくなかったのかもしれない。
それくらい、葵が人から憧れられて人望のある証拠だ。
「帰るよ」
手を取られていたために、葵が歩き出したことで望乃も自然に足を進める。
いつものスクールバッグではなく、シンプルなリュックサックを背負っている葵の姿が新鮮だった。
「葵ちゃん、どうしてあの場所にいたの?一年生ジャージ着てたの葵ちゃんだけだったよ」
先ほどの疑問をぶつけても、返事はない。
聞こえているであろうに、答えたくないのか教えてくれないのだ。
しかし、いまはそれを問い詰めるよりも言わなければいけないことがある。
「助けてくれて、ありがとね」
「私がお姉ちゃんなのにって言わないんだ」
「……うん」
もう、あの頃とは違う。
望乃も葵も、良いようにも悪いようにも変わっているけれど、人として大切な何かは変わっていない筈だ。
今まで変化は怖かったけど、変化を成長だと考えれば不思議と受け入れられるような気がした。
葵だって色々な経験をして強くなっているのだから、望乃もまた前に踏み出さなければいけないとようやく気づけたのだ。
家を開けたのはたった一日だというのに、踏み入れた途端に懐かしさが込み上げる。
やはり慣れ親しんだ部屋の方が、何倍も安心感があるのだ。
さっさと着替えようとジャージのファスナーを下ろそうとすれば、やけに視線を感じて顔を上げた。
「葵ちゃん…?」
「それって……」
胸元付近に視線を感じて、恥ずかしさから咄嗟に隠そうとする。
しかし腕を掴まれてしまったために、それは叶わなかった。
マジマジと膨らみを凝視されて、頬に熱が溜まり始める。
「な、なに」
「柚木…?やけにダボダボだなとは思ってたけど…」
どうやら彼女が見ていたのは、白い糸で刺繍された「柚木小夏」の名前だったのだ。
ファスナーに手をかけられてから、問答無用で下される。
あっという間に脱がされてしまった小夏のジャージは、少し雑な手つきで放られてしまった。
「どういうこと」
「その…私のジャージ汚れちゃったから、代わりに友達が貸してくれて…」
なるべく簡潔に分かりやすく説明すれば、葵は納得がいったように頷いていた。
「もう夕方だけど、早めの夜ご飯にする?」
二つ返事をすれば、いつもだったら吸いやすいように軽く屈んでくれる。
それを期待していたというのに、葵は何故か体制を変えてくれなかった。
必死に背伸びをしても届かず、あたふたしていれば葵がおかしそうに笑ってしまう。
「何で笑うの…いじわる」
「可愛かったから」
リップ音と共にキスを落とされて、カァッと頬を赤らめる。
不意打ちに唇を奪われて文句を言いたい所だと言うのに、葵は余裕の表情で顔色ひとつ変えていない。
「はい、どうぞ」
大人の余裕を見せながら、吸いやすいように葵が屈んでくれる。
舌を這わせてから犬歯を突き立てる感覚。
ジュルリと吸い上げてから、口内に広がった味わいに思わず目を見開いた。
「美味しい…!?」
林間学校で飲んだ血液パックとは比べ物にならないほど、葵の血は美味しくて堪らないのだ。
何故かは分からないが、格別に美味しく感じてしまう。
一日ぶりの甘美に夢中になってちゅーちゅーと飲んでいれば、優しく背中を撫でられる。
「……キス、慣れてきたの?」
口元を押さえながら、咄嗟に顔を離す。
まさか葵の方から蒸し返されるとは思わなかったのだ。
「だって葵ちゃんがするから…」
「避けないなら嫌じゃないのかなって」
「何で葵ちゃんは私にキスするの…?」
「さあね」
してやったりの表情を浮かべている葵に、やはり翻弄されてばかりだ。
確かに指摘通り葵とのキスは嫌じゃない。
柔らかい感触も、した後に嬉しそうにする葵の表情も。
可愛いと思ってしまう自分がいる。
血を吸わせてもらっているのだから、それくらいは良いかとハードルが低くなってしまっているのかもしれない。
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