第16話


 宿泊教室最終日である2日目は、朝から広間に集められて勉強会だ。

 各班ごとに集まって、決められた課題さえ解いてしまえば後は自由時間。

 

 大声でなければ話しても良いらしく、辺りはガヤガヤと賑わっている。


 望乃の所属している班は大人しい生徒が多いために、皆が黙々と目の前の課題に向き合っていた。


 そのせいで、どこからか聞こえてくる声が自然と耳に入ってきてしまうのだ。


 「柚木、一体どこいったんですかね」

 「まったくですよ。あいつは問題を起こしてばかりで…」


 小夏の担任教師と、学年主任の話し声。

 半ば諦めたように、呆れた声色でため息を吐いてしまっている。


 どうやら、またどこかでサボっているらしい。


 彼女の奔放さに手を焼いている教師を見て、隣の班からヒソヒソと話し声が上がり始める。


 「柚木って、学年の女子取っ替え引っ替えしてるらしいよ」

 「女の子が好きってこと?てか、相手にする女子も女子だよね」

 「じゃあサボってどっかで血吸ってるんじゃない?」


 昨日もそんなことの繰り返しだったため、恐らく指摘通りで間違いないだろう。


 それよりも今は目の前の課題だとシャープペンシルを持ち替えれば、背後から聞こえてくる学年主任の言葉が耳に引っかかる。


 「今いないのは、柚木だけですよね?」


 つまり、小夏は誰かの血を飲んでいるわけではない。

 一人でサボっているのだろうけれど、何故か言いようのない違和感が込み上げてくる。


 しかし何かの気のせいだろうと、改めて課題に向き直った。


 勉強は得意ではない。

 音楽や美術、家庭科の方が好きで、勉強会の時間が苦痛で仕方ないのだ。


 ようやく課題を解き終えて、時計の針が12時を回る前には望乃の班は自由時間を迎えていた。


 あとは帰りのバスの時間まで好きにしていていいため、人気の少ない方へと進んでいく。

 

 人気スポットである川から離れて、バーベキュー場へとやってきていた。


 昨日たまたま見つけたスポットで、配布された地図には記載されていなかったため、望乃以外の生徒は誰もいない。


 整備された丸太椅子に腰をかけて、ポチポチとスマートフォンをいじっていた。


 山の中でも電波が繋がることにホッとしながら、子猫の動画を見ていれば、一件メッセージが届く。


 「葵ちゃん……?」


 友達の多い葵は忙しいだろうから、こちらから連絡を入れるのを我慢していたのだ。


 僅かに胸を躍らせながら、すぐにタップをしてトーク画面を開く。

 そこには、『望乃ちゃん元気〜?』という何とも葵らしくない文面が表示されていた。


 小首を傾げれば、続いて葵と彼女の友達である花怜のツーショット写真が送られてくる。


 「楽しそう…」


 海の前で、串に刺さったお肉や野菜を美味しそうに食べている。

 望乃とは違って、葵は宿泊教室を楽しんでいるのだ。


 ホッとしていれば、すぐに文章の方が送信取り消しされてしまう。即座に送られてきたのは、葵らしい『気にしないで』という素っ気ない文面だった。


 恐らく、花怜にスマートフォンを弄られてしまったのだろう。


 焦る葵を想像して、そっと笑みを浮かべてしまう。


 たった1日会っていないだけなのに、もう既に会いたくなってしまっていた。


 バスの時間が早く来ないかと待ち遠しく思っていれば、突然驚いたような声が耳に入った。


 「え、まじで閉じ込めたの?」


 不吉な言葉に、キョロキョロと辺りを見渡すと、バーベキュー場に併設されたコンロの前に集まる女子生徒たちの姿が視界に入る。


 四人組の中には。昨夜小夏を訪ねてきた高野という女子生徒の姿もあった。


 望乃の存在に気づいていない高野達は、更に会話を続ける。


 「声でかいって」

 「けど、午前中からってことは…もう3時間くらい…」

 「小夏が悪いのよ。私たちのこと良いように扱ってさあ」


 話の内容から恐らく、全員小夏と関係のあった生徒たちだろう。


 全員が険しい表情を浮かべているというのに、その声色はいきいきとしていた。


 「けどよく閉じ込められたね」

 「昨日カレー作った時にさ、貸出品置く小屋あったじゃん。そこに呼び出して、勢いよく閉めて塞いだの」

 「けど、高野とか特に小夏好きじゃなかった?うちらは遊びって感じだったけど……」

 「…私のものにならないなら、いらないし」


 勉強会の最中に小夏の姿がなかった真実。

 咄嗟に口元を覆って、体を縮こまらせる。


 つまり、小夏はずっと閉じ込められているのだ。


 聞き耳を立てていたのがバレないように後退りをすれば、運の悪いことに側にあった小枝を踏んでしまう。


 パキッとした小気味良い音に、4人組は一斉に振り返っていた。


 「誰…!?て、影美ちゃんじゃん」


 高野が焦った表情を浮かべたのは本当に一瞬だった。


 こいつなら問題ないと判断したのか、いつものように見下した目を向けられる。


 「今の聞いてた?」


 どう答えるのが正解なのか言葉を探していれば、高野は畳み掛けるように圧を掛けてくる。


 「……分かってるよね?」

 

 幾ら気が弱いからと言って、望乃にだってプライドがある。

 高野の言葉に頷かないでいれば、イライラしたように舌打ちをされる。


 「まあ、影美ちゃんならいっか」

 「ビビって何もできないっしょ」


 バカにされているというのに、それにすら言い返す事が出来ない。


 ここまでくると自分のことが情けなくて、嫌いになってしまいそうだ。

 どうして言い返すことが出来ないのか。


 間違っているのは相手なのだから、ハッキリと言い返せばいいのに怖くて出来ない。


 「てかさ、影美ちゃんって一年の高崎葵がパートナーって本当なの?どういう関係?」

 「どういうって…」

 「接点ないじゃん」

 「親同士が仲良くて…小さい頃はよく遊んでたから…」

 「なるほどね。あの子と影美ちゃんじゃ全然釣り合わないもん」


 釣り合っていないことは、望乃が一番よく分かっている。

 美人で人気者な、堂々としている葵と、人の顔色ばかり伺って、いつも誰かに合わせてばかりいる望乃。


 自分の意見すら主張できない弱虫が、あの子に釣り合うわけがない。


 上級生からも葵は一目置かれていて、それくらい人気者な相手が望乃なんて誰もしっくり来ないのだ。


 「高崎葵も大変だよね、腐れ縁のせいでさ」

 「……ッ」


 人から嫌われるのは怖い。

 見下される目も、嫌なことを言われることも。


 自分の存在を否定される、足元がおぼつかなくなるような瞬間が怖くて仕方なかった。


 だからずっと周りに合わせて、空気を読んでいた。


 イエスマンでいれば、荒波が立たない。

 自分が我慢をすれば事を荒立てなくて済むと、人に流されてばかりいたツケがこれだ。


 嫌われるのが怖かったくせに、結局周囲から敬遠されている。


 そのせいで余計に自分を嫌いになって、自信を持てずにいたけれど、葵ならどうするだろう。


 10年ぶりに学校の購買で再会した時。

 葵は躊躇なく望乃と一緒に小銭を拾って、ぶつかってきた生徒に注意していた。


 そんな葵が、あまりにも格好良くて。

 到底釣り合わないと、心のどこかで諦めていた。


 「……私は」


 思い出したのは、昨夜の小夏の言葉。


 『自分の意見、ちゃんとハッキリ言える子にならないと…いつまで経ってもそのままだよ』


 何も間違っていない。怖がって人から逃げ続けたからこそ、望乃は自分を嫌いになった。


 葵の隣で劣等感を感じる自分が、情けなくて仕方なかったのだ。

 

 「……いやだ」


 このままずっと、葵と釣り合わないような…みっともない人間でありたくない。


 あの子の隣で堂々としていられる、そんな存在になりたい。


 変わりたいと、心の奥底から強く思うのだ。

 

 「……メだと思う」

 「は?聞こえないし」

 「人を閉じ込めるなんて、だめだと思う」

 「……人じゃないじゃん」


 自分よりも遥かに下に見ていた存在の口答えが気に食わなかったのだろう。

 

 高野から向けられる視線は、氷のように冷え切っていた。


 「あんたら、吸血鬼でしょ」


 吸血鬼だから。

 人の形をしているけれど、結局は人間ではないと考える人も少なくない。


 吸血鬼のために献血を義務付けられていることに対して、不満を抱く人も一定数存在する。

 

 差別のない世界を目指してはいるが、実際は容易なことではないのだ。


 高野達を置いて、望乃は一人で小夏が閉じ込められているであろう小屋まで走り出していた。


 先ほど立ち聞きをしていたおかげで、小夏がどこにいるのか分かる。


 小夏に手を差し述べれば、間違いなく今以上に高野からは嫌われるだろう。

 それがずっと怖くて、今だって恐怖感がなくなったわけではない。


 だけど何を大切にするべきかは自分で決めたかった。


 少なくとも、望乃に歩み寄ろうとしてくれたあの子を見捨てられるはずがなかったのだ。

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