第10話
その日の夕食中。
夕食といっても葵はちゃちゃっとカレーを作って食べ終えてしまったため、正確には望乃の吸血タイム。
正面から葵の首筋に顔を埋めて血を飲んでから、望乃はポツリと不満の言葉を口にした。
「今日、クラスの子にき、キスマーク付いてるって勘違いされた」
「勘違いじゃなくてキスマークでしょ」
「恥ずかしいの……っ。私もこれから付かないように頑張って吸うから、葵ちゃんもやめてっ…あ、もうっ、話聞いてよ……」
話の途中で昨晩と同じように首筋に吸い付かれ、諦めから段々と声のボリュームが小さくなっていく。
やめさせるために怒っているフリをしても、葵はちっとも聞く耳を持たずに悪戯が成功した子供のように笑っていた。
「も、もう!やめてってば」
勇気を出して少し強い口調で言えば、なぜか満足そうな表情を返される。
「その調子でクラスメイトにも言い返しなって」
あやすように頭をぽんぽんと叩かれて、子供扱いされてるようで凹んでしまう。
望乃のほうが年上で、昔はお姉ちゃん面をしていたというのに。
どうにかして威厳を取り戻せないかと考えるが、名案はちっとも思い浮かびそうにない。
小さくため息を吐こうとすれば、室内にインターホンの呼び鈴が鳴り響いた。
「見てくるね」
ワンルームのマンションは玄関が近いため、返事をした後すぐに扉を開く。
そこに立っていたのは学ランを着た男子生徒。
望乃の知り合いではないため葵を呼びに行こうとすれば、ガシッと腕を掴まれてしまう。
「久しぶり、望乃ちゃん」
なぜ望乃の名前を知っているのか。
ただでさえ人見知りの激しい望乃は、内心この場から逃げ出したくて堪らなかった。
こんなことなら葵に応答して貰えば良かったと後悔していれば、目の前の男子は「オレだよ」と嬉々とした声をあげる。
「オレ、
真央という名前を聞いて、途端に幼い頃の記憶が蘇る。
泣き虫で、よく望乃が慰めていた弟のような存在。
懐かしさから真央に話しかけようとするより早く、背後から葵の面倒くさそうな声が聞こえてきた。
「いきなり何のよう」
「姉貴が全然連絡寄こさないから様子見てこいって。これ、お袋が持って行けってさ」
彼の名前は
望乃より二つ年下で葵と年子なため、確か今は中学3年生だろう。
よく見れば真央が今着ているのは、望乃がかつて通っていた中学校の男子制服だ。
現在は男女ともにブレザーなため、学ランを懐かしんでしまう。
「望乃ちゃん姉貴にいじめられてない?」
「うん、優しいよ」
「まじ?姉貴が?」
驚いたような真央の反応が癇に障ったのか、葵のスラリとした長い指が彼のおでこに直撃する。
デコピンにしては痛い音が響いたというのに、慣れっこなのか真央はケロッとしている。
「用済んだでしょ」
「いれてくんねえの?」
「狭いからあんたの座る場所ない」
「相変わらず性格キツイなあ」
想定内の返事だったのか、真央が手を上げてからその場を去ろうとする。
「送ろうか…?」
「それ女の子がいうセリフじゃないって」
おかしそうに真央が笑みを浮かべる。
望乃の心配なんて、全く伝わっていないようだった。
「けど、真央ちゃんは弟みたいなものだし…時間もう遅いよ」
真剣な声色で伝えれば、一瞬だけ真央は考え込むような表情を浮かべていた。
そして、どこか申し訳なさそうな声色で返事をくれる。
「…あれからさ、10年経ってるんだよ。オレはもう身長170近くあるし、姉貴だってすっかり変わった」
「葵ちゃん、強くなったよね…」
「……姉貴は強くなるしかなかったんだよ」
意味深な言葉の裏には、何かが隠されているような気がしてしまう。
葵は紙袋を受け取ってから部屋の奥へ行ってしまったため、姉には聞こえないような小さな声で真央が言葉を続けた。
「転校してその…色々あったからさ……まあとにかく、今は望乃ちゃんの方が夜道に一人で歩かせられないから。オレは一人で平気」
廊下を歩く真央の背中を見送りながら、確かに望乃とは比べ物にならないくらい体付きが良いことに気づいた。
そもそも性別が違うのだから当然だ。
幼稚園生の頃から何センチも背が伸びて、体つきも大人の男性に近づいている。
その背中が酷く、大きく見えてしまう。
あの頃は望乃が一番お姉さんで、二人を引っ張ってあげていたけど今は違う。
10年の歳月を経て、二人は望乃に守られる存在ではなくなったのだ。
その日の晩。ベッドの上で先に眠ってしまった葵の顔をジッと見つめていた。
彼女の手にそっと自身のものを重ねてみれば、望乃よりも一回り大きい。
「すっかり大人になったんだなあ…」
葵は大人っぽく、もしかしたら側から見ると望乃が妹に見えるのかもしれない。
成長は喜ばしいはずなのに、どこか寂しさを感じてしまう。
いかに自分が過去の葵を見ていたか、改めて気づかされたせいだろう。
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