第9話


 それから兄と世間話をして運動場で別れた後、葵と暮らす家に着く頃には19時を越えてしまっていた。


 どうやら葵は既に風呂には入り終えていたらしく、ゴロゴロとベッドに転がってスマートフォンを弄っていた。


 「おかえり」

 「ただいま、葵ちゃん。もうご飯食べたの?」

 「友達と食べてきた。望乃はどうする?」


 今後回しにしても、これから朝と晩毎日葵に吸血して、栄養を補給しなければならないのだ。


 「い、いま飲んでもいい…?」

 「わかった」


 制服を着たままベッドの上で膝立ちになれば、寝込んでいた葵が上体を起こす。


 手入れの行き届いた葵の長い髪をサラリと掻き分けてから、彼女の首筋を露わにした。


 真っ白なそこに顔を近づければ、ほんのりとベルガモットの香りがする。


 「す、吸うよ……?」


 犬歯を突き立てて、勇気を出してから彼女の首筋に食らいつく。

 唇をピタリと肌に当ててから、そっと葵の生き血を吸い込んだ。


 「……ッ!?」


 途端に口内に広がってきた甘みに、思わず目を見開く。


 葵の血は今まで感じた事がない程新鮮で甘く、おまけに深みがある。


 支給された血液パックとは比べ物にならないくらい、美味しくて仕方がないのだ。


 採れたて新鮮ということもあり、鮮度が段違いなのが理由だろうか。


 「……ッん、んぅっ…チュッ…っ」

 「変な声出さないでよ…ちょっと!」


 吸いやすいように葵をベッドに押し倒して、角度を変えて再び食らいつく。


 飲み込めずに首筋を伝ってしまった分は、ペロペロと舌を這わせて味わっていた。


 「くすぐったいって…」

 「ンッ…だって…美味しいから…」


 葵を見下ろしながら感想を伝えれば、突然視界が反転する。

 

 背中には柔らかい感触が伝わって、電気の明かりがやけに眩しい。


 先ほどとは体制が逆転して、葵に押し倒されてしまっているのだ。


 「葵ちゃん…?ひゃっ…なんで首触るの…ッ」


 人差し指で首筋を撫でられたかと思えば、そのまま顔を埋められる。そして、望乃がしたように思い切りそこに吸い付かれた。


 「な、なんで…?葵ちゃんも血吸うの…?」

 「そんなわけないでしょ。バカじゃないの」


 何故そんなことをされているのか分からずに戸惑っていれば、無防備になっていた唇を当たり前のように塞がれる。


 以前と同じ、触れるだけの口付け。

 望乃の唇の端についていたのか、葵の口元に赤い血がうつっていた。


 「うえ、血の味する」


 これではまるで、どちらが吸血鬼か分からない。

 顔を歪めながら口もとを拭う葵を見て、魅力的だと思ってしまう。


 初めての吸血行為は決して怖いものではなく、寧ろ未知なる味に無我夢中になってしまっていて。


 望乃は吸血鬼としての吸血デビューを、何とか無事に済ませる事が出来たのだ。





 朝の準備時間は限られているため悠長にしていられないというのに、望乃は先ほどから洗面鏡の前でジッと自身の首筋を眺めていた。


 昨夜、葵に吸い付かれた箇所はすっかり跡が残ってしまっている。

 いくら経験のない望乃とはいえ、これが世間一般的にどうみられる印なのかは理解していた。


 「どうしよう…」


 パーカーで上手く隠せるだろうが、こんなの万が一誰かに見られたら間違いなく勘違いされる。


 恋人がいるの?と揶揄われて上手く誤魔化せる自信だってなかった。


 そこまで考えて、とあることを思い出す。


 「私、友達いないんだった…」


 至近距離まで近づいてパーカーの中をよく見なければ、恐らく気付かれることはない。


 学校で望乃のパーソナルスペースに近づいてくる人物なんていないのだから、そもそも取り越し苦労だったのだ。


 「まだ見てんの?」

 

 声を掛けられて振り返れば、いつも通り平常心のあの子の姿がある。


 二箇所の吸血跡と吸血痕はちっとも隠されておらず、気にしていないようで堂々としていた。


 「葵ちゃん…なんでわたしにもこの跡付けたの?」

 「私ばっかり吸われて癪だったから」


 「ほら行くよ」と急かされて、慌ててリュックサックを引っ掴む。

 葵のペースに呑まれてばかりいるけれど、何だかんだそれも悪いものではなかった。







 体育の授業前に更衣室で着替えていれば、やけにジロジロと視線が集まっていることに気づいた。


 不思議に思いつつ、慣れない視線に必死に身を縮こまらせる。


 ボソボソと内緒話をするような声は、ギリギリの所で望乃の耳に届かない。


 「ねえ、あれってやっぱ…」

 「うわ、まじだ」

 「大人しそうな見た目なのにやることやってんだね。意外」

 「相手どんな人かな?」


 クルリと振り返れば一斉に視線は消えるが、また正面を向き直せばヒソヒソと話し声が聞こえて来る。


 「ああいう大人しいタイプは大体年上にリードしてもらってるよ」

 「うわ、想像できる」

 「まああの子顔は可愛いし」


 何か悪いことでもしただろうかと不安に思っていれば、少し離れたところで着替えていた女性生徒にトントンと肩を叩かれた。


 「え…?」

 「影美ちゃんもエロいことすんだね」 


 視線の先を理解して、咄嗟に葵に付けられたキスマークを隠す。


 痛みもないため授業を受ける間にすっかり忘れていたが、ここには目立つ印がしっかりと刻まれているのだ。


 自分でも頬が赤く染まっていくのがわかる。

 恋人につけられたわけでもないのだから、蚊に噛まれたとでも思っておけば良いのに。


 何故か葵に付けられたものだと思うと、恥ずかしくて堪らなくなるのだ。

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