第8話


 朝ごはんを黙々と食べている葵をチラチラと見ながら、望乃は髪の毛をセットしていた。

 髪の毛を内巻きにする作業も毎朝していればお手の物で、5分も掛からずに終わらせてしまう。


 触れるだけのキスなんて小学生でも出来る。

 高校2年生にもなって、あれくらいでいちいち文句を言ったりなどしない。


 そうやって大人の女ぶろうとしたけれど、無理だった。


 生まれて初めてのキスで、相手はあの葵だ。

 どんな意図があってキスをしたのかと、気にならない方がおかしいだろう。


 「あ、あのさ…」

 「なに?あぁ、朝ごはんか」


 まさかの返しに、ビクッと肩を跳ねさせる。

 

 「あ、実は昨日の病院で出された分が結構量多くて…お腹いっぱいだから」


 疑うように、至近距離で葵にジッと見つめられる。

 しかし望乃の様子から言葉に嘘がないと判断したのか、どこか納得した様子だった。

 

 「じゃあ夜ね」


 こくりと頷いてから、二人で学校へ行くために家を出る。 

 

 とうとう、吸血行為本番を迎える日が来たのだ。

 緊張から、心臓が僅かに速くなっていた。


 なるべく痛みを与えたくはないが、上手くできるだろうか。


 生きた人間からの直接の吸血行為。

 未知なる体験に、好奇心よりも恐怖心の方が勝ってしまう。


 かつて自慢の妹のような存在だった葵からのキスは、吸血行為という話題を前にすっかり掻き消されてしまっていた。





 普段だったら絶対に立ち入らない都内でも有名な公園運動場。先ほどからすれ違う人はスポーツウェアを着た人ばかりで、望乃は自分が場違いのような気がしてならなかった。


 吸血鬼として葵の血を吸う前に、同じく吸血鬼である実の兄太陽から何かアドバイスを聞きたかったのだ。


 社外人の兄はフットサルチームに所属していて、練習が始まる前ならばと約束を取り付けてくれた。


 「女子高生だ」

 「まじだ。声掛ければ?」

 「捕まるって」


 年上の男性が話している声に、更に身を縮こまらせる。

 リュックの紐をギュッと握りながら下を向いていれば、聞き慣れた声で名を呼ばれて顔を上げた。


 「にいちゃん…」

 「ごめんごめん、電車遅延しててさ」

 「連絡してよ…」


 知っていれば、それに合わせて望乃も来る時間を遅らせて来たというのに。

 先ほどから居心地が悪くて仕方なかったのだ。


 スポーツウェアを着込んだ兄と、一つのベンチに並んで座る。

 目の前にある花壇をジッと見ながら、兄は望乃に声をかけた。


 「聞いたぞ。葵にパートナーになってもらったんだろ」

 「うん…それでさ、血の上手い吸い方ってある…?」


 早速本題に入れば、太陽はぽかんとした表情を浮かべている。

 幼い頃から友達が多かった兄は、高校一年生の時点でパートナーが存在した。


 吸血行為はいわば食事で、その作法を聞きに来るとは思いもしなかったのだろう。

 

 「そんなの本能だろ。けど、望乃が怯えて恐る恐る噛めば、その分葵も痛いと思う。思いっきり刺した方が痛みは少ないからな」

 「けど…血吸うとかやっぱり…」


 下手をすれば葵に痛みを与えてしまう。

 生きる上で必要なことだと分かっているが、それでも臆してしまうのは恐怖のせいだ。


 吸血行為に対して、望乃自身が怯えてしまっている。

 生き血を求める吸血行為を、心のどこかで軽蔑してしまっているのだ。


 「吸血鬼なのにそんなこと考えて…まあ、望乃は優しいからな」


 兄が真っ直ぐに指さしたのは、目の前にある花壇だった。


 「あの花綺麗だな」

 「うん…なんの花かな」

 「あれを摘むなんて勿体無いと俺は思うけど、あの花を摘んで例えばお茶にする人もいる」

 「え…」

 「豚に牛、馬やウサギと…食べるのを可哀想って思う人もいるけど、殆どの人は美味しく食べてる。吸血鬼が血を吸うのを残酷だと言う人もいるけど…生きるためには、俺たちに取っては必要な行為だ」


 兄が伝えようとしている意図を察して、望乃はジッと耳を傾けていた。


 「人それぞれ価値観があるから、正解なんて人によって違う。側から見たら指を刺される行為かもしれないけど…だからこそ、いただきますって感謝の気持ちを持って向き合うべきなんじゃないか」

 「にいちゃん…」

 「望乃は優しすぎる。全員の意見を取り入れて、皆んなから好かれようとしてるけど…一番大切なのは望乃の想いだってことを忘れるな。生きるためには必要なんだから、目を背けるな」


 今までは血液パックが支給される制度に甘えて、パートナー探しすら怠っていた。


 吸血鬼であることから目を背けて、現実から逃れようと吸血鬼のくせに吸血行為を軽蔑していたのだ。


 しかし望乃はもう16歳で、腹を括らなければいけない。

 自分が吸血鬼であることを受け入れて、一人前になるためにもパートナーから直接吸血をしなければいけないのだ。


 それが吸血鬼として生まれた望乃の運命。

 幼い頃は何度も恨んでいた自分の吸血鬼人生も、相手が葵ならばと少しだけ前向きに考えたくなってしまう。


 それが何故なのか、今の望乃には分からない。

 しかし不思議と葵と再会する前よりも、気持ちが明るくなっているのだ。

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