第7話


 あまにり長く空腹状態が長く続くと、体の至る所からアラートのようなものが鳴り響くらしい。


 放課後になって自宅に戻って来れば、未だ葵の姿はない。友達も多いであろうあの子のことだから、どこか寄り道でもしているのだろうか。


 スニーカーを玄関で脱いでから、部屋に上がろうと立ち上がった瞬間。


 一気に体の力が抜けて、望乃はその場に倒れ込んだ。


 「あ、あれ……?」


 体を動かそうとしてもピクリともしない。

 次第に血の気が引き始め、指先一つ動かす事が出来なかった。


 段々と意識が遠のき始め、とうとう目の前が暗闇に包まれる。


 先の見えない、真っ暗闇の世界。

 現実離れしてる景色は、簡単に夢の中なのだと理解する事が出来た。


 薄気味悪い世界で、望乃は一人ぼっちで歩いていた。

 トボトボと先の見えない道を進んでいくと、一際明るい光を見つける。


 走って駆け寄れば、そこにはかつての望乃と葵がお人形遊びをする姿があった。


 『望乃おねえちゃん、お腹すいた』

 『本当?葵ちゃんママ呼んでくるね』

 『やだ、おねえちゃんと離れたくないもん』


 これはいつの日の記憶か。

 こうやってべったりと甘えてくる葵が可愛くて仕方なかったのだ。


 度々夢の中でかつてのあの子と遊んでいた。


 離れ離れになってしまっても、望乃にとって葵は可愛い妹のような存在で、10年の歳月が経過しても色褪せることなかったのだ。


 しかし、突然パッと目の前にいた2人が消えてしまう。

  

 望乃の心の中の、唯一の明るい思い出。

 それが消えてしまえば、他に眩しい思い出なんてどこにもなくて。


 真っ暗な世界に引き戻されて、望乃は再び暗闇の中一人で歩いていた。


 『ごめんね、葵ちゃん…』


 葵にとっては些細な思い出だとしても、暗い人生を歩んできた望乃にとっては数少ない幸せな記憶だから。


 あの頃に戻りたいあまり、必死にお姉さんぶって葵の前で格好を付けようとした。


 憧れの望乃お姉ちゃんのままであろうとしてしまった。



 浮かれていたのかもしれない。

 あれ以来友達も出来ずひとりぼっちだった望乃は、長年葵を求めていた。


 ガチャリと、向こう側から扉が開く音がした。

 それが夢の中の出来事なのか、現実世界で起こっていることなのかも分からない。


 「望乃…!?」


 体を揺さぶられても、返事をする事が出来なかった。

 切羽詰まっているように、声が少し高くなっている。


 「何で倒れて…!?ねえ、大丈夫なの!?」


 誰もいなかった、真っ暗な望乃の世界。

 ひとりぼっちだった空間に、突然葵の声が響き渡る。


 その声を聞いて、何故か涙が込み上げてしまいそうだった。


 たとえお姉ちゃんと慕われなかったとしても、再び葵と再会できて、嬉しかったのだ。


 ひさしぶりに、この世界でひとりぼっちではないと思えた。


 思っていた未来ではなかったけれど、葵は望乃の暗がりの世界を少しだけ明るくしてくれた。


 長年孤独の中で蹲っていた望乃を、無理やり引っ張り出してくれたのだ。




 

 目が覚めて真っ先に視界に入ったのは、ベッドサイドに置かれたガードル台。

 血液パックが吊るされていて、細い管を伝って望乃の体内に血液が流し込まれているのだ。


 幾ら寝ぼけ眼でも、その状況から望乃は自分が病院のベッドの上にいるのが分かった。


 確か学校に帰ってきて直ぐに倒れ込んでしまったのだ。


 辺りには誰もいなかったが、直ぐ隣に置かれたパイプ椅子の上には見慣れたスクールバッグがあった。


 「これ、葵ちゃんの…」


 帰宅した葵が望乃を発見して、ここまで連れてきてくれたのだろうか。

 

 葵の姿を探していれば、辺りを囲っていたカーテンが開けられる。

 入ってきたのは、全身白色の白衣を着込んだ看護師だった。


 「あら、影美さん起きたんですね。パートナーの子呼んで来ますので」

 「葵ちゃんが連れてきてくれたんですか…?」

 「正確にはあの子が救急車を呼んだんですよ。吸血鬼が1日血液を摂取しないなんて、人間で言うと飲まず食わずの断食状態ですから倒れて当然です。パートナーの方、今は飲み物買いに行ってますけど、ベッドから離れずにずっと影美さんを心配してました」


 吸血鬼というのは実にシンプルで、血液さえあれば生命活動を続けられるが、摂取しないと簡単に命が奪われる。


 今日はこのまま帰れるそうだが、同じことがないように気をつけろとキツくお叱りを受けてしまった。


 「影美さん、パートナーの方から血貰ってないですよね?」

 「すみません…」

 「……もし、その…お相手の方が吸血行為を拒否しているのであれば、変更することもてきるはずですので」


 反射的に嫌だという思いが浮かんでくる。

 吸血パートナー関係を解約すれば、間違いなく葵との接点は無いに等しくなる。


 どうしてか、それだけは嫌だと心の底から思ってしまったのだ。


 「ご心配なく。これから毎日吸わせますんで」


 看護師の言葉を遮ったのは、葵の凛とした声色だった。


 「葵ちゃん……」

 

 その言葉に、どこかほっとしてしまっていた。

 この関係はどちらかが解約の意思を示せば、簡単に終わらせる事が出来てしまう。


 だからこそ、葵が「これから」を示す言葉を口にしてくれたのが嬉しかったのだ。




 

 諸々の手続きを済ませて帰路に着く頃には、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。

 人通りの少ない商店街で、二人の声が響く。


 「バカじゃないの。自分でなんとかするって言ってたくせに結局ぶっ倒れてるじゃん」

 「うん…格好悪いね」


 否定せずに受け止めれば、もどかしそうに葵が頭をかく。


 キツい物言いにも、少しだけ慣れ始めてしまっていた。


 「下向いてうじうじして…インキャのくせに何で私の前だと格好付けたがるの」

 「…だって、葵ちゃんは私のことお姉ちゃんって慕ってくれてて…そんな相手の前で格好悪いところ見せたくない」


 返事が返ってこなくなり、また怒らせてしまったのだろうかと後悔が募る。


 謝った方がいいのだろうかと葵の方に顔を向ければ、突如唇に触れた感触に驚いて目を見開いた。


 時間にすれば1秒にも満たない、一瞬だけ触れ合う口付け。


 しかし、キスが初めてだった望乃を狼狽えさせるには十分過ぎた。


 「私、望乃のことお姉ちゃんと思ってないって言ったでしょ」


 ズカズカと先を歩く葵の、半歩離れた斜め後ろをついて歩く。


 真横に並んでしまえば、真っ赤にのぼせた顔色を見られてしまう。


 平然としている葵に、このキスの意味を聞きたいけれど聞けなかった。


 大人っぽい葵にとって、きっとキスなんて大した事がない軽い行為なのだ。


 葵より年上だというのに、彼女からのキスに酷く心を掻き乱されていることを知られたくなかった。


 「やっぱり、何考えてるか分かんないよ…」


 10年ぶりに再開した葵は、かつての面影は無いほど気が強く成長していて、望乃よりも何倍も大人っぽい。


 しかし決して悪い人ではないことを、そばに居れば自然と理解できてしまう。


 だからこそ、望乃も葵を嫌いになれない。

 怖いことに変わりはないけれど、彼女に歩み寄りたいと思ってしまうのだ。



 

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