第6話


 幼い頃から血液パックを朝と晩に摂取していた望乃は、生まれてこの方感じた事がないほどの空腹に襲われていた。


 授業中はまったく集中できず、体育の授業に至っては力が出ずに何度も教師から叱りの言葉を受けていた。


 授業の一環であるバスケットボールのミニ試合は、望乃のせいで何度も足を引っ張って結局ボロ負けしてしまったのだ。


 試合に負けたチームは授業後の後片付けをしなければならず、体育館には望乃を含む5人の女子生徒が残っていた。


 「最悪」

 「しょうがないじゃん。うちのチーム影美ちゃんいるんだから」

 「本当に鈍臭いよね」

 「暗いし。顔しか取り柄ないんじゃない?」


 クスクスと話す声に、持っていたモップを握る力が強くなる。

 涙を堪えながら、慣れっこだろうと心に喝を入れる。


 パートナーの血を吸えずに空腹状態で、いつにも増して力が出なかったなんてチームメンバーからすれば知ったことではない。


 根暗な吸血鬼を好意的に受け入れてくれる人の方が少ないのだ。





 お昼休みを迎える頃には、空腹のあまり意識が朦朧とし出していた。

 そんな日に限っていつも逃げ場所にしている図書室は空いておらず、第二の居場所である屋上へわざわざ足を運んで来ていた。


 最上階ゆえに、階段を登るたびにフラフラと体のバランスを崩してしまいそうだったのだ。


 ここまで血液を摂取しなかった経験はないため、一体どこまでが平気なのか自分でも分からない。


 まだ大丈夫と必死に己を奮い立たせるが、それで紛らわせるものでもない。


 壁にもたれ掛かりながら座り込んでいれば、唐突に目の前に影が差し込んで顔を上げる。


 朦朧としていたせいで、誰かがこちらに近づいて来たことすら気づかなかったのだ。


 「あれ、君吸血鬼ちゃんでしょ」


 腰を屈ませながらこちらを覗き込む女子生徒のことを、望乃は知らなかった。


 「何で、私のこと…」

 「有名だよ?吸血鬼って珍しいもん。いつもパーカー着てるから目印になるし……顔色悪いけど、どうしたの?」

 「お腹空いて…」

 「えー…パートナーは?」


 言葉を詰まらせる望乃に対して、女子生徒は何かを察したように含み笑いを浮かべていた。


 「こんな可愛い吸血鬼に、ひどい扱いしてるんだ」

 「ちが……っ私が、意気地なしだから…」

 「けど吸血鬼に血をあげるのはパートナーの義務でしょ?そんなパートナーやめたら?それか、分けてあげよっか」


 ワイシャツのボタンを緩めた女子生徒が、見せつけるように首筋を露わにする。


 吸血痕と鬱血痕に塗れたそこは、どこか浮世離れして見えた。


 「それ……」

 「私、吸血鬼に血をあげるボランティアしてるの。献血分とは別ね?」


 16歳未満の吸血鬼に血液パックを配布するため、健康な人間は献血を義務付けられているが、それとは別に直接吸血をさせてあげる人間のボランティアも存在するのだ。


 「あれボランティアって銘打ってるけど、実際は結構報酬あるの。あなた可愛いし、吸血鬼助けと思ってタダでいいよ」


 「ほら」と催促されて、昨夜とは違って自然と顔を近づけていた。

 空腹状態ではなく、おまけに相手が葵ではないからこそ理性ではなく本能的に食欲を優先してしまっている。


 本当は血液を飲みたくて仕方ないのだ。


 もしかしたら、これも練習になるかもしれない。

 昨夜のように葵を痛がらせてしまわないためにも、ここで一度吸血行為を練習する必要がある。


 そんな言い訳を考えていたのは僅かな間。

 今は目の前にある吸血痕だらけの首筋から、赤い液体を飲みたくて堪らない。


 「……痛かったらごめんなさい」


 謝りを入れてから、犬歯を突き立てる。

 そのまま力を込めようとすれば、突如耳に届いたあの子の声に一気に全身が冷え込んでいった。


 「何してんの」


 恐る恐る見やれば、酷く冷たい瞳でこちらを見下ろす葵の姿があった。

 慌てて女子生徒から距離を取るが、言い訳の言葉なんて何も浮かんできやしない。


 ウロウロと視線を彷徨わせていれば、葵が声を掛けたのは望乃ではなく、今目の前にいる女子生徒の方だった。


 「花怜かれん、あんたふざけるのも大概にして」

 「あちゃ〜…バレちゃった。この子倒れそうで可哀想だったんだもん」

 「良いから出てって」

 「はいはい、邪魔者は退散しますよ」


 たいして悪びれる様子もなく、花怜と呼ばれた女子生徒は手を振りながら屋上を後にして行った。


 「友達…?」

 「まあ、そう。私が望乃のパートナーになったの知ってるからちょっかい掛けたんだと思う」

 「そっか……」

 「望乃さ、いま花怜の血吸おうとしてたよね」


 決定的な場面を見られたため、言い逃れができるはずもない。

 

 そっと首を縦に振れば、葵から鋭い指摘が飛んでくる。


 「血液パック残ってるって嘘だったの?」

 「そ、それは……」


 血液パックがあるからと吸血行為を拒んでいた手前、その嘘は認めづらかった。


 しかし、葵は無言を肯定として受け取ったようで呆れたように大きくため息を吐いてしまう。

 

 「……バカじゃないの」

 「だって、葵ちゃんに痛い思いさせたくないし…」

 「吸血の痛みって献血くらいでしょ。上手くやれば」

 「でも、私下手だし…下手くそだから、あの子で練習できたらって…」

 「…なんでそんなに格好つけるわけ」

 「…年上で、私は葵ちゃんのお姉ちゃんだから…」


 幼い頃、いつも一緒にいた記憶が蘇る。望乃お姉ちゃんと後ろをついて回ってきた葵を、いつも可愛かってあげていた。


 そんな葵に痛い思いをさせたくなかったのだ。


 望乃の記憶で、数少ない幸せな思い出。


 「私、望乃のことお姉ちゃんって思ってないから」

 「え……」

 「何年前の話?昔のこといつまでも引っ張り出してこないでよ」


 授業の開始5分前を告げる予鈴が鳴り響く。

 それを聞いて、葵は不機嫌さを露わにしながらワイシャツのボタンを外していた。


 「ほら、もう時間ないから早く…」

 「……放課後まで我慢出来るよ」

 「は?でも……」

 「次移動教室だからもう行かなきゃ」


 ほとんど残っていなかった力を出しきって、走ってその場を後にする。

 不思議と涙は込み上げてこなかった。


 分かっていたのだ。あれは10年前のことで、葵にとっては過去の出来事。


 今を謳歌しているあの子にとって、望乃のことは幼少期の些細な思い出の一つに過ぎないのだ。


 にもかかわらず、過去に固執していた望乃は葵に対して必死にお姉さんぶろうとしていた。


 かつての影美望乃であろうと、空回りをしてしまったのだ。


 「こんな情けないお姉ちゃん、いらないよね…」


 自分より背も低く、友達もおらず言いたいことも言えない。

 そんな情け無い今の影美望乃は、かつてあの子が慕ってくれていた頃の面影なんてどこにもないのだ。


 午後の授業は空腹に加えて、葵の言葉に精神的にやられてしまったために、殆ど記憶が残っていなかった。

 

 

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