第3話


 賑やかな教室に入っても、望乃に対して声を掛けてくる生徒なんて一人もいない。

 いつも空気のように静かでジッと下を向いている影美望乃に対して、良い印象を抱かないのは当然のことだ。


 多くの生徒は影美という名字を名前と勘違いしているようで、「影美ちゃん」という愛称で呼ばれている。


 新しいクラスに最初は浮き足立っていた生徒達も次第に慣れ始め、女子生徒は特定のグループが幾つか出来上がっていた。


 今更そこに入れてもらう度胸も、入れてもらいたいという欲すらない。


 小学校高学年の頃から、教室で誰とも喋らないことが望乃にとっての当たり前なのだ。


 イヤホンから流れるミュージックのボリュームを上げて、周囲からの情報をシャットアウトする。


 今聴いている曲は桜ソング。春らしく出会いと別れを歌った、アイドルの新曲だ。


  春になると、あの子のことを思い出す。

 春にしては珍しく大雨が降っていたあの日。


 あの子は両親に連れられて、泣きながら望乃の元を去ったのだ。


 愛らしいルックスに素直な性格。

 何より柔らかい言葉遣いはまるで天使のようで、望乃は本当の妹のように可愛がっていたのだ。


 まだ幼稚園に通っていた幼いあの子は、どんな女性に成長したのだろう。

 一つ年下なため、今年から高校生になっているはずだ。






 生きる上で血を食料にしているとはいえ、吸血鬼にだって味覚はある。

 人間のように五味を感じることが出来るため、栄養にはならないが血液以外の物も摂取するのだ。


 最近お気に入りのブルーハワイソーダを求めて購買へとやってきた望乃は、なぜ来てしまったのかと後悔の念に駆られていた。


 「まじ?オレ野球部入るかな」

 「同中のB組の鈴木も野球部って言ってた」

 「まじ?どんなやつ」


 新学年を迎えて以来、学校中が活気に溢れている。特に今年高校に入学した新入生は新たな出会いと環境により胸を躍らせているようだった。

 

 自動販売機の前で、ギュッと小銭ポーチを握りしめる。


 一列には並んでいないため、タイミングよく滑り込んで購入しなければならないのに、先ほどから割り込まれてばかりで購入出来ずにいた。


 「うわぁっ…!」


 背後からドンっと強い力で押されて、バランスを崩してその場に倒れ込む。

 驚いて振り返れば、こちらに背中を向けた女子生徒が、斜め向かいにいる相手と楽しげに話をしている姿が視界に入った。


 恐らく、会話に夢中になるあまり望乃に気づかずぶつかってしまったのだ。


 勿論気の弱い望乃がそれに文句を言えるはずもなく、転んだ衝撃でヒリヒリと痛む膝の痛みを堪えながら、散らばった小銭を拾っていた。

 

 もう、惨めという感情すら浮かんでこない。

 人から蔑ろな扱いを受けることに、心はすっかり慣れ切っているのだ。


 一人で黙々と小銭を拾っていれば、まだ真新しいネイビーカラーのブレザーを着込んだ長い腕がこちらに伸びてくる。


 「はい、これ」


 渡された百円玉を受け取ってから顔をあげれば、そこにはとても顔立ちの整った女子生徒の姿があった。


 長いロングヘアは手入れされていて枝毛ひとつない。

 学年カラーである青色のネクタイを付けているため新入生であることに違いないが、一つ年上の望乃よりも余程大人っぽかった。


 お礼を言おうと口を開くよりも先に、親切な下級生は望乃にぶつかった女子生徒に向かって声を上げる。


 「あんた、この子に謝りなよ」


 驚いたように振り返った女子生徒を見る限り、やはり望乃にぶつかったことにすら気づいていなかったらしい。

 

 未だにポツポツと散らばった小銭としゃがんでいる望乃を見て、怪訝な表情を浮かべていた。


 「え、その子誰?」

 「あんたが押した子」

 「まじ?気づかなかった。ごめんごめん」


 謝罪にしては軽い口調で言葉を掛けられた後、要は済んだと言わんばかりに女子生徒は友達を連れてその場を立ち去ってしまった。


 全ての小銭を拾い終えてから、ようやく立ち上がる。

 先ほどに比べれば、自動販売機に群がっていた人の数も引き始めていた。


 「ぼーっと突っ立ってるから舐められるんだよ」


 的確で鋭い指摘をしてから、小銭を拾うのを手伝ってくれた下級生が踵を返す。


 一つ下の新入生に説教をされれば、さすがの望乃もどこか複雑だ。


 「葵、人助け?」


 決して珍しく無い名前が耳に入って咄嗟に振り返る。たった今望乃にキツイ言葉を掛けた女子生徒が、友人と思わしき生徒にそう呼ばれていたのだ。


 「葵か……」


 同じ名前だというのに、あの子とはまるで正反対だ。


 一つ年下で、いつも望乃の手を握って「望乃お姉ちゃん」と後ろをついて回ってばかりいたあの子。


 今の姿を見られたのが、あの葵で無くて良かったかもしれない。

 背後から突き飛ばされて文句も言えず、黙々と小銭を拾う姿なんてみっともなさすぎる。


 心の底から高崎葵を可愛がっていたからこそ、せめてあの子の記憶の中だけでは憧れの「望乃お姉ちゃん」のままでありたいのだ。

 

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