最後の手段

 昔から世話焼きな性格だった。大人たちにもしっかりした子、という評価を受けることも多かった。人付き合いも得意で、友達と呼べる人は常にたくさんいた。他人と関わることで得られる物は私にとってたくさんあった。しかし……

「純先輩、お疲れ様です」

「陽菜、お疲れ」

 目下、私の悩みの種である後輩がこの東雲陽菜である。美術部の後輩である彼女は、私の絵を見てこの高校を選んだと言っていた。初めは誇張していると思っていたが、ここ最近の陽菜の様子を見るにどうも事実なのかもしれないと思い始めている。

「純先輩、少しいいですか?」

「何?陽菜」

「ここの色なんですけど、迷ってて……」

 陽菜のキャンバスには綺麗な紫のリナリアの花が描かれている。陽菜は背景をどうするか決めかねているようだ。

「そうね、私なら……」

 キャンパスを指さして説明するが、途中から陽菜の返答が無くなった。陽菜の方を見ると、私に熱っぽい視線を送って動かない。

「……陽菜、聞いてる?」

「はっ、すみません。純先輩が綺麗で……見とれてしまいました」

 真っ直ぐそう言われると何も言い返せない。陽菜には恥じらいが無いのか、畳み掛けるように私に顔を寄せてくる。

「純先輩、リナリアの花言葉、ご存知ですか?」

 私が黙っていると、陽菜は周りの部員に聞こえないよう小さな声で囁いた。

「この恋に気づいて、です」

 陽菜の視線にどんどん熱がこもっていく。耐えきれず、私は目を逸らした。

「幻想、っていうのもあるわよ」

「……純先輩は、どっちだと思いますか?」

「さあね」

 頬を膨らませる陽菜を他所に、私は自分のキャンバスに戻った。



――――――

「かんぱーい!」

 朱音ちゃんの元気な声とともにみんなでグラスを鳴らしあう。

 今日は芽衣と朱音ちゃんに呼ばれて杏奈と四人で宅飲みをしている。先日二十歳になった朱音ちゃんのお祝いだ。

「いやー、朱音がもう二十歳なんてね。あんなに小さかったのに」

「ちょっと杏ちゃん、いつの話してるの?」

「真希ちゃんと陽菜ちゃんは元気?」

「はい、この前陽菜も二十歳になったんで三人で飲みに行ってきました。元気そうでしたよ」

「へえ。朱音、結構お酒強い?」

 確かに、朱音ちゃんはさっさと一杯目を飲み終え既に二杯目だ。それももうあと少しになっている。

「んー、そうかな? 真希も陽菜も同じくらい飲めるからあんまわかんないけど……あ、芽衣さん、グラス空じゃないですか。お酒作りますね」

 朱音ちゃんが芽衣のグラスを持ってキッチンに向かうと、芽衣は慌ててそれを追いかけた。

「あ、朱音ちゃん、薄めでいいから。朱音ちゃんが作るといつも濃いんだって……」

 二人がキッチンに行ってしまい、私と杏奈は取り残されてしまった。

「ふふ、仲良さそうで良かったね」

「うん。まあ、あの二人なら上手くやってると思ってたけど」

「そう言いつつ、芽衣が一人暮らししてる間は不安だったでしょ?」

「それは……雪もそうでしょ。ちょくちょく様子見に行ってたみたいだし」

 芽衣は大学に入ってから一年間は一人暮らしをしていた。そこに高校を卒業した朱音ちゃんが合流した形だ。

 その後もしばらく四人で飲みながら思い出話に花を咲かせ、お開きとなった。

「朱音、本当にお酒強いね。かなり飲んでたでしょ?」

「えー? みんなが飲まなすぎなんじゃない?」

「いやまあ……私も雪もそこまで強いほうじゃないけどさ」

 確かに、普段から私たちはそこまでお酒を飲むことは無い。けど、杏奈ならもうちょっと飲めそうだけど……

「じゃあまたね。楽しかった」

「うん! またねー」

 朱音ちゃんたちの家を出て、駅に向かう。もう夜はしっかり寒い時期で、思わず体が震える。

「杏奈、朱音ちゃんが飲みすぎないか心配であんまり飲まなかった?」

「え? あー、まあ。それもある、かな」

「ふふ、優しいね」

 私は少しお酒で浮かれていたのか、帰りのコンビニで追加のお酒を買った。というのも、杏奈にももう少し飲んでほしかったのだ。

「雪、結構飲んでたでしょ? あんまり無理しないでよ?」

「大丈夫だよ。このくらいなら」

 家に帰り、二人で改めて缶チューハイを開ける。

 飲み進めていくうちに、杏奈の姿勢がだんだんと崩れてきた。

「杏奈、大丈夫?」

「ん? んー……うん。大丈夫」

 杏奈は私をじっと見つめ、ゆっくり手を握ってきた。指一本一本の感触を確かめるように、両手で何やらいじってくる。

「杏奈、くすぐったいよ」

「え? えへへ……ごめん」

 そう言いつつ、杏奈は私の指をいじるのをやめない。私もくすぐったいと言ったが、嫌ではない。なぜなら、私はこの杏奈が見たかったからだ。

 杏奈は基本、誰かと飲んでいるときは常に冷静なままだ。誰かが酔いつぶれないか心配なのだろう。でも私と二人で飲んでいるときはその神経が緩むのか、ほんの数杯で割とゆるゆるになってしまう。

 その姿がかわいらしくて、たまにこうして飲ませてしまう。

「雪、もっとこっち来て」

「うん、いいよ」

 私が近寄ると、杏奈は私に寄りかかり、そのままずるずると私の膝まで崩れ落ちていった。

「杏奈、寝ちゃダメだよ」

「んー、寝ない寝ない」

 杏奈はしばらくもぞもぞした後、落ち着く体勢を見つけたのか動かなくなった。お風呂に入らないといけないんだけど、もう少しだけ寝かせてあげよう。杏奈の寝顔を愛おしく眺めながらそう思った。

――――――



「もうすぐ三年生だからな。進路の事、しっかり考えとけよー」

 担任の笠原先生からホームルームでそう告げられた。

 年が明け、三学期。もうあと少しで三年生になる。いよいよ、進路について真面目に考えなくてはならない。

「芽衣は、進学?」

「うん。とりあえずプログラミングとかの勉強ができるとこがいいかなって思ってる」

「プログラミング……芽衣、ゲーム好きだもんね」

 得意なこととか、好きなことを学べるのは良いと思う。純もデザイン系の学部があるとこにするって言ってたし……

 私の得意なこと……ピアノは弾けるけど、音大なんて目指せる実力は無い。得意科目っていうのも特に無いし、どうしようか。

「杏奈は、進路どうするの?」

 放課後、駅に向かう帰り道で杏奈にも聞いてみた。

「私は、とりあえず進学はするつもり。学部とかは……まあ、文系のどっかかな」

「そっか……杏奈は小説があるもんね」

「まあ、ね。でも一人暮らしでバイトしながらだと時間作るの大変そうだけどね」

「えっ?」

 杏奈の言葉が引っかかって、思わず驚いてしまった。杏奈も私の顔を見て驚いている。

「な、なに?」

「一人暮らしじゃないでしょ?」

「ん? えっ、と……?」

 杏奈のリアクションを見て、私はさらに驚く。もしかして、杏奈は一人暮らしするつもりだったのだろうか。

「私も、一緒じゃないの?」

「え、あ。いいの?」

「いいのっていうか、そういう話だったじゃん!」

「ご、ごめん。いや、雪がそこまでしてくれると思ってなくて……」

「もう、ずっと一緒って言ったのに」

「そうだよね、うん。そうだ……そうなると、余計に時間無いかも……」

 杏奈は何やら考え込んでしまった。そして顔も少し赤くなっている。

「杏奈?」

「あ、いや。なんでもない。うん、ゆっくりやっていこう」

「……何の話?」

「いや、こっちの話」

 どいうことだろう? よくわからなかったけど、杏奈はそれ以上特に何も言わず帰ってしまった。

――――――

 帰る前に本屋に寄って、何か興味のある事柄でも無いか探していると、珍しく朱音ちゃんの姿を見かけた。何やら真剣な目で本を見ている。

「朱音ちゃん、どうかした?」

「わっ! ゆ、雪先輩……」

「……? 朱音ちゃん、お菓子作りするんだ」

 朱音ちゃんが真剣に見ていた本にはお菓子作りのレシピが書かれていた。よく見ると、その辺りにはバレンタイン特集と銘打ってそれらしい本が並んでいる。

「そっか、バレンタイン……」

 進路のことで忘れていたけれど、そういえばもうすぐバレンタインだ。去年は純たちとチョコレートを交換したし、今年もやるだろう。

「あ……そうだ。雪先輩、協力しませんか?」

「協力?」

 朱音ちゃんは私の手を握って、熱のこもった声でそう言った。

「バレンタインのチョコ作り、手伝ってください!」



「雪、帰ろー」

 放課後、雪を教室まで迎えに行くと、朱音も来ていた。芽衣を探してるのかな、と思ったけれど、朱音は雪のほうに歩いていった。

「ごめん、杏奈。今日はちょっと用事があって……」

「え? う、うん。わかった」

 朱音と雪、珍しい組み合わせだなと思うし、私が一緒じゃまずいことなんてあるだろうか。なんか、怪しい。

「あ、芽衣」

 芽衣もてっきり朱音が自分を迎えに来たと思っていたらしく、不思議そうな顔をしている。

「芽衣も、何も聞いてない?」

「うん。どうしたんだろう……」



――――――

 杏ちゃんたちを見送り、玄関の鍵を閉める。居間に戻ると、芽衣さんが赤い顔でグラスを持っていた。その隣に座り、私も一口飲む。

「芽衣さん、大丈夫です?」

「うん、大丈夫」

 そう言いつつ、芽衣さんの目は少しとろけている。赤くなった頬に今すぐにでも口付けをしたいけれど、ぐっと堪える。

「芽衣さん、先にお風呂入ります?」

「ん……どっちでも、いいよ」

「じゃあ、一緒に入ります?」

「……朱音ちゃんがそうしたいなら、いいよ」

 芽衣さんの顔がまたさらに赤くなる。酔うといつもより素直になってかわいい。

「じゃあ、私がそうしたいので、そうしましょう」

「……朱音ちゃん、連れてって」

「はいはい、行きましょう」

 芽衣さんの両手を引いて、立たせる。そのまま芽衣さんは私に体重を預けてきた。

「芽衣さん、歩きづらいです」

「んー……」

 思っていたより、飲ませちゃったかもしれない。それに私も、飲みすぎたかもしれない。このままお風呂に入るのも危ないし、ちょっと酔いを覚ました方がいいかな。

「……? 朱音ちゃん、お風呂は?」

「……やっぱり、先にいただいちゃいますね」

 芽衣さんをベッドに寝かせる。抵抗もなく、私もベッドに吸い込まれた。

――――――



「……やっぱり、やめたほうがいいんじゃない?」

「いや、ここまで来てそれは……ていうか、芽衣も気になるでしょ?」

 結局、私と芽衣はあれから朱音と雪を尾行していた。二人はスーパーで何か買い物をしている。

「買い物なら、私たちとすればいいのに……」

「ていうか、あれ買うってことは……」

 芽衣は二人の買い物の内容で何か気づいたらしい。

「え、なに?」

「……いや、杏奈が気づいてないなら言わない」

「なにそれ? 気になるんだけど」

 話しているうちに二人は買い物を終え、スーパーから出ていた。慌てて追うと、二人は朱音の家に入っていった。

「え、ちょっと。朱音の家だよ。ここ」

「うん、知ってる。多分行くと思ってたし……」

「な、何で芽衣はそんな冷静なの? これ、もしかして……」

 いや、雪がそんなことするわけない。するわけないけど、今目の前で……

「杏奈が思ってるようなことじゃないから。絶対」

「なんなの、本当に。何で芽衣はわかってるの? 教えてよ!」

「いや……わかんないけど、知らないほうが幸せかも」

「幸せじゃないよ! 気が気じゃないよ!」

 必死に芽衣の肩を揺らしたが、芽衣は何も答えてはくれなかった。

――――――

「いやー、雪先輩が手伝ってくれて助かります」

「私こそ、杏奈の好み教えてくれてありがとう」

 朱音ちゃんの家は聞いてた通り誰もいなくて、そもそも生活感があまりなかった。杏奈の部屋でも同じことを思ったけれど、朱音ちゃんの家はリビングにすらあまり物が無い。キッチンにも最低限の物しか置いてなかった。

「多分、道具はあるもので足りると思います。とりあえずお湯沸かしますね」

 朱音ちゃんが鍋でお湯を沸かしてくれる。

 今日は私と朱音ちゃんで、バレンタインのチョコ作りをする。朱音ちゃんは芽衣に、私は杏奈に渡すためのチョコを作る。お互いの相手の好みを知っているから、都合が良かったのだ。

「まあ、杏ちゃんは雪先輩から貰ったものなら何でも喜びそうですけどね」

「そ、そんなことないよ。私、料理って全然したことないし……」

「え、そうなんですか?」

「うん……だから上手くできないかも。あ、お湯沸いたね。じゃあチョコを……」

 お湯にチョコを入れようとしたら、朱音ちゃんが焦って止めてきた。

「ゆ、雪先輩! 湯煎です! ボウル使ってください!」

「あ、そうなんだ……ごめんね。全然知らなくて……」

「い、いえ……私こそ、すみません。勝手にできると思い込んでました」

 そう思われるのは嬉しいような、嬉しくないような……

 その後も私が何かする度に朱音ちゃんからツッコミが入った。

「はあ……とりあえず、後は冷やすだけですね」

「う、うん。ごめんね……朱音ちゃん」

 朱音ちゃんはぐったりとソファに座り込んだ。多分、その疲れのほとんどは私の責任だろう。

「いえ……ふふ。やっぱり雪先輩って、親しみやすいですよね」

「そ、そうかな」

「はい。なんか不思議と近くにいたくなるっていうか……近くにいると、安心します」

「あ、ありがとう」

 そうなのか。自分ではあまり感じないけれど、後輩にそう思ってもらえてるのは嬉しい。

「杏ちゃんも、そういうところが好きになったのかもしれないですね」

「そ、そうかな」

 聞いたことは無いけれど、そうだったら嬉しい。少し恥ずかしくて、話題を変えてしまう。

「朱音ちゃんは、料理よくするの?」

「まあ……両親があんまり帰ってこないんですよね」

 朱音ちゃんの声が少し低くなって、私はしまったと思った。あまり聞いちゃいけないことだったかもしれない。

「ご、ごめん。嫌だった?」

「あ、いえ全然。ただあんまり面白い話じゃないんですけど……いいですか?」

「うん、私は大丈夫」

 朱音ちゃんは暗くならないよう話を続けてくれた。

「うちの両親、あんまり仲良くないんですよ。それで……まあ、お互い外に居場所作ってて、この家にはあんまり帰ってこないんです」

 朱音ちゃんは言葉を濁したけれど、それでも言いたいことは伝わってしまった。つまり、両親がそれぞれ浮気をしている、ということだろう。そして、それをお互い黙認している。

「朱音ちゃんは、大丈夫なの……?」

「私はまあ、一人で自由にさせてもらってるんで。お金は貰ってますし」

 朱音ちゃんはそう言って笑ったけれど、その笑顔は私には作ったものに見えた。まだ子どもなのに、こんな強がりを言う必要なんてないはずだ。

「朱音ちゃん。何か困ったら芽衣でも私でも、杏奈でも誰にでも言ってね。絶対に力になるから」

 朱音ちゃんの手をぎゅっと握り、目を見て伝える。こんなことしかできないけれど、できることならなんだってしたい。

「あ、ありがとうございます……やっぱり、雪先輩は頼りになります」

「ありがとう……料理は、あんまりできないけどね」

「ふふ、それも含めてですよ。雪先輩、進路悩んでるって言ってましたよね?」

 そういえば、前に少しそんな事を言ったかもしれない。

「私は、先生とか向いてるんじゃないかなって思います。雪先輩、話しやすいし」

「先生……そう、かな」

 私に務まるだろうか。でも、朱音ちゃんにそう言われると、少し自信がつく。

「さて。もう遅いし、そろそろ帰ったほうがいいですよ。チョコは明日持っていくんで、味見しましょう」

「うん、ありがとね。朱音ちゃん」

「あ、そうだ。雪先輩、杏ちゃんからリップ貰ったんですよね?」

「え? うん。貰ったよ」

「それなら、いい作戦が……」

 朱音ちゃんが耳打ちしてきた作戦は私にはハードルが高すぎて、驚いてしまった。まだ一年生なのに、なんでそんなことが思いつくのだろう。

「あ、朱音ちゃん。それはさすがに……」

「あはは。まあできたらでいいと思いますよ。杏ちゃんは絶対喜ぶんで」



――――――

「ねえねえ。君、綺麗だね。ちょっといいかな?」

 講義の合間、中庭で本を読んでいると頭上から声がした。声色から誰なのかは把握できて、無視することにした。

「……純、ごめんって」

「はぁ……なに? 立花」

 仕方なく、本を閉じ答える。立花は人あたりの良さそうな笑顔のまま私の隣に座った。同じ大学に通っているが、学部が違うのであまり顔を合わせることは無い。

「ちょっとお願いがあってさ。いいかな?」

「嫌」

「ひどいなあ。まあそういうクールなとこも純のいいところだと思うよ」

 馴れ馴れしさが腹立たしい。高校の頃からそんな仲良くなかっただろ、と思うが向こうはそう思ってないらしい。

「今度、曲を出す予定なんだけど、その動画を純に作ってほしいんだよね」

「は? 動画? なんで?」

 話が唐突すぎる。全部に疑問符をつけて返すと、立花は一つ一つに答えた。

「純、デザイン系の勉強してるでしょ? あと、純のイラストはかなりセンスあると思うし、曲のイメージに合うんだよね」

「確かにデザインの勉強はしてるけど……そういうのとは違うし。そもそも私、動画なんて作ったことないわよ」

「わかんないことは私も雫も手伝うからさ。今、曲のデータ送ったから、とりあえず聴いてみて」

「あ、ちょっと!」

 もうやる前提で話を進められて、一方的に会話が終了された。携帯を見ると立花から音声データが送られてきていた。

「全く……」

 一応聴いてやるかと再生してみると、私はすぐさまその世界観に飲み込まれた。静かなイントロから流れるように歌詞が入ってきて、サビの盛り上がりに吸い込まれる。聴き終わる頃には頭の中にイラストのイメージが浮かんできていた。

「……あー、悔しい」

 小さく呟いたが、口元は緩んでしまう。こんなにも、自分の中の創作意欲を刺激されたことは無い。

 急いで構内に戻る。早くこのイメージを形にしたい。駆け足で戻りながら、立花にも電話をかける。

『もしもし、純。どうかした?』

「やるわよ。動画」

『え? 早くない?』

「うるさい。やるからには完璧にやるから」

『はは。頼もしい』

――――――



「さてさて、雫。おやつの時間だよ」

 私たちが練習で使っている空き教室、その机の上にバラバラとチョコレートを並べた。どれもかわいらしくラッピングがされている。

「毎年ご苦労さまだね。いい加減断ればいいのに」

「まあ、貰えるものを断る理由は無いよ」

 一つ一つラッピングを剥がし、一口食べては雫に渡す。それぞれ味に個性があるのが面白い。

「市販のやつの方が美味しい」

「味はそうかもだけど、気持ちが乗ってるから」

 雫はそういうものかな、とあまりピンと来ない感じだ。そう言いつつも食べる手は休めない。なんだかんだ甘い物好きだ。

「はい、今日はここまで。あんまり食べさせるとおばさんに怒られちゃうからね」

 ある程度でストップをかける。中学の頃に貰ったチョコを雫にあげすぎて雫の母親にひどく叱られたことがあるからだ。

 雫は不満そうな顔を見せたが仕方ない。

「むっ……わかってるよ。私ももうやめようと思ってたし」

「ならいいんだけどさ。そういえば、雫はいつの間にか私にチョコくれなくなったね」

 お互い様なんだけれど。小さい頃は交換していた気がするが、いつの間にかバレンタインは私が貰ったチョコを二人で分け合う日になっていた。

「今更、そんなのいらないでしょ」

 雫が最後のチョコを口に入れた。口の端にチョコが付いているのを見て、珍しく雫を少しからかいたくなった。

「……私は、いつでも欲しいと思ってるよ?」

 身を乗り出して、雫の唇に指を当ててチョコを拭き取る。雫の驚いた顔を見て満足し、拭き取った指を舐めた。

 たまには悪くないかな、などと思っていると、雫が私の胸ぐらをぐいっと引っ張ってきた。そしてそのまま口が触れ、甘い塊が流れ込んでくる。

「……び、びっくりしたな。雫がそんなことするなんて」

「ふん。欲しいって言うからあげただけ」

 雫がぺろりと唇を舐めた。いつも隣にいたはずなのに、悪戯っぽい雫の笑みは初めて見る表情だった。

――――――

「芽衣さん、これ……バレンタインの、チョコです」

 予想通りというか、なんというか。朱音ちゃんからチョコを貰った。

 いや、嬉しい。めちゃくちゃ嬉しいんだけど、今朝SNSに『大切な人へ』という内容と共に投稿された写真と同じものを渡されて、正直気が気じゃない。覚悟はしていたけれど、いざ貰うとその破壊力は段違いだ。

「あ、ありがとう……私からも、市販のだけど」

 手作りは自信が無くて、結局朱音ちゃんが配信で好きだと言っていたチョコレートのお菓子を買った。一つだけというのも何なので、三種類の詰め合わせだ。

「わ、全部私が配信で好きって言ったやつじゃないですか」

「ごめん……ちょっと痛いよね。やっぱりやり過ぎだよね……」

 やっぱり一種類に絞るべきだったか。でも朱音ちゃんはどれも甲乙付け難いと言っていたし……いやでも好みは変わるからもしかしたらもう飽きてたりするかもしれない。そもそも、コンビニで買えるものだしわざわざ私が買わなくてもそれくらい自分で……

「いや、そういう意味じゃなくて……芽衣さん、私がお金好きって言ったらいくらでも出しそうですね」

「え、朱音ちゃんお金困ってるの? いくら?」

 急いで財布を取り出す。そこまで持ち合わせは無いけれど、家の貯金箱を開ければまだある。

「違いますよ! 愛されてるなって思っただけです」

「あ、あい……いや、えっと……」

 そうだけど、そう言われると、こう……

 慌てていると、朱音ちゃんに顔を引き寄せられて、一瞬唇が触れた。目の前も、思考も朱音ちゃんの綺麗な顔で埋め尽くされる。

「……私が好きなのは、芽衣さんですよ」

「ぅえ、あ、はい……」

――――――

「杏奈、はい。これ」

 雪との帰り道、綺麗にラッピングされた包みを手渡された。何か貰える日だっただろうかと頭を巡らせていると、雪が答えを言った。

「バレンタインの、チョコ」

「え……あ、ああ! バレンタイン!」

 そういえば、そんなイベントがあった。あまりにも人生で縁が無くて忘れていた。

「杏奈、たまにすごい抜けてるよね」

「そんなこと……あるかも」

 まだ心のどこかでそんな幸せあるわけないと思っている自分がいるのだろうか。

 とにかく、雪からチョコを貰った。それを見て、以前見かけた朱音と二人で買い物をしていたことに合点がいった。

「もしかして、朱音と買い物してたのってこれのこと?」

 すると雪は恥ずかしそうに目を逸らした。

「み、見てたの?」

「ごめん、気になって……そっか。ありがとね」

「まあ……朱音ちゃんが手伝ってくれたから、美味しくできたと思う」

 それは、朱音にも感謝しなくてはならない。

 食べるのがもったいないなとチョコを眺めていると、雪が何か言いたそうにこっちを見ている。

「雪、どうかした?」

「え、いや……な、なんでもない」

「そう?」

 しかし、またしばらくすると雪はちらちらと私の方を伺ってくる。

「やっぱり何かある?」

 もう一度聞いてみると、雪は少し迷ってからぼそぼそと話しだした。

「……もう一つ、チョコ、あるんだけど」

「え、そうなの?」

 さらに貰えるのか。それは嬉しいと思っていると、雪は指で自分の口を指した。

「杏奈がくれたリップ、付けてるの」

「……え、それって……え、ええ!?」

 それって、そういうことなのか。雪は恥ずかしさが限界を迎えたのか、顔を真っ赤にして俯いている。

「ど、どうする……?」

「どうするって、ええ……?」

 断る理由なんて無いけれど、貰う覚悟も……いや、欲しいけど。

 雪がゆっくり顔を上げる。紅い唇を見ていると、心臓が激しく脈打つ。

「ほ、本当に、いいの……?」

「う、うん。いいよ」

 辺りを見渡して、人がいないのを確認する。まだ駅からは離れているし、夕暮れで遠くからは見えづらいだろう。

 雪に向き直ると、目が合った。恥ずかしさで目が潤んでいる。

「じゃ、じゃあ……」

「う、うん……」

 お互い、自然と手を握りあっていた。ゆっくり顔を近づけると、雪がぎゅっと目を閉じる。私はどのタイミングで目を閉じたらいいのかわからず、そのまま雪との距離がゼロになった。

「…………」

 多分、一瞬。まるで感覚が雪の中に吸い込まれてしまったような錯覚の中で、不意に雪と目が合って意識が戻った。

「……はっ」

「……あ、杏奈。目、開けてたの?」

 唇を離すと、自分の唇からも微かに甘い香りがした。

「え、いやその……タイミングがわかんなくて」

「ずっと、見てたの……?」

 雪はさらに恥ずかしそうに両手で口を抑えている。その仕草がかわいらしくて、私も赤くなってしまう。

「いや、見てたっていうか、意識は向いてなかったし……」

「でも、恥ずかしい……次は、私からするからね」

「い、いやそれは、ちょっと……」

 あんなの、急に何度もやっていいことじゃない。多分、何かがもたないと思う。何かはわからないけど。

「もう一回、ほら。杏奈、目閉じて」

「いや、だから……まだ、ちょっと……」

 抵抗に力が入らず、雪が迫ってくる。何かスイッチが入ると、雪は止まらない。

 ぎゅっと目を閉じると私は再び、甘い香りに包まれた。


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