後編

小さな世界

――――――

『ちょっと寄り道してから帰ってきて!』

 入学式が終わり帰宅しようとすると雪から不思議なメッセージが入っていた。

 お互いの大学から交通の便がちょうどいい立地を選んで決めた二人の家。正直早く帰って雪に会いたいのだが。

 何で? とメッセージを返す。

『杏奈におかえりって言いたくて。私より先に帰っちゃったら言えないから』

「なっ……」

 思わず、一人で声を出してしまった。慌てて周りを見たが特に気づかれてはなさそうだ。そう言わたらもう私はそうするしかないじゃないか。

 とりあえず大学から最寄り駅には入らず、一駅歩いて帰ることにする。説明会などで何度か訪れてはいたが、あまり周りに何があるかは知らない。歩いてみると大学の近くとあって若者向けのお店が多かった。

 ふと、一軒の洋菓子店が目に入った。店内には色鮮やかなケーキが並んでいる。立ち止まってみていたからか、店員さんと目が合ってしまった。

「どうぞー、見ていってください」

「あ、はは……どうも」

 ちょっと恥ずかしくなりつつ、店内に入った。今日はお互い入学式だし、引越しのお祝いもなんだかんだ忙しくてできなかったし、こういうのを買っていくのもいいかもしれない。

「ありがとうございましたー」

 結局、ショートケーキを二つ購入した。私も雪も誕生日が年末なこともあり、ケーキを食べる機会になかなか恵まれない。こういうちょっとしたお祝いに買うのも悪くないだろう。

『ごめんね、もう着いたよ』

 もうすぐ駅に着くかという頃、雪から連絡が来た。私は了解と返信し、電車に乗った。

――――――



「じゃあ今日はこのくらいにしようかな、みんなまたねー」

 他のコメントに混じって、私もお疲れ様ですとコメントを入れた。数秒後、画面が暗くなり配信終了の文字が写し出される。

「ふう……」

 イヤホンを外し、一息つく。ゲームの続きをやろうかとも思ったけれど、もうそろそろ寝ておこう。

 机の上に置かれた紙袋に目をやる。以前、修学旅行で訪れたお店でお土産として購入したものだ。家族にではない。学校の後輩……戸田さんのためだ。明日こそは渡さなくては。と思いつつ日が経ってしまっている。賞味期限は大丈夫だけれど、そういう問題じゃない。

 渡そうにも、きっかけが無い。急に渡したら不審に思われるだろうし、そもそもあのお店を知ったのは配信で言っていたからで、そのことを説明したら私が配信を聞いていることがバレる。

 杏奈に気持ちを伝えたときとは違う勇気が必要で、こればかりは相談も難しい。パッと渡せたらいいんだけど……いや、渡してしまえばいいか。さり気なく、好きそうだったからみたいな感じで。

 これ以上悩んでも仕方ないと、明日さっと渡そうと思う。毎日そう思ってはいるのだけれど。

――――――

 配信アプリを閉じ、マイクの電源を切る。水を一口飲んで、喉を潤した。『Akane』の配信は週に一度、多いときは二、三回。三十分程度の短い配信だが、何だかんだそれなりに人が集まるようになってきた。初めの頃に頑張って交友関係を広げた甲斐があった。

 中学で真希と出会って、やりたいことをやる勇気を貰えた。実際、真希はこういったネットのことは詳しくないので言ってもあまりよくわかってない感じだったけれど、私にとってきっかけは真希だった。初めの頃は会話に慣れるためにやっていたけれど、だんだん楽しくなってきた。

 改めて、SNSにお礼の投稿をする。ぽつぽつといいねが着いた。そのうちの一つのアカウントが目につく。『epitaph』というアカウントだ。配信を初めて割とすぐの頃に知り合った人で、確か最初はゲームのボスを一緒に倒すために繋がった気がする。畑の違う人だしすぐに関わらなくなるかなと思っていたけれど、意外と私の配信に興味を持ってくれたらしくほとんど毎回来てくれる。

「どんな人なのかな……」

 聞いてくれる人に優劣をつけるわけじゃないけれど、この人はちょっと気になる。SNSでの印象だと落ち着いた雰囲気の大人。社会人って感じじゃなさそうだし、大学生だろうか。少し憧れてしまう。

 私は一人っ子で、小さい頃は杏ちゃんや真帆ちゃんとよく遊んでいたこともあり年上や包容力のある人に憧れるようになった。真希みたいな世話のかかる子も好きだけど、それは友達としてだ。

「会ってみたいけどなぁ」

 けれど、あまり人と関わりたがるタイプじゃなさそうだし、躊躇してしまう。そういう一匹狼的なのもいい所なんだけど。



「芽衣、また明日ね」

「うん、また明日」

 放課後、雪と挨拶をして教室を出る。カバンにはまだお土産は残っている。まあ普段はなかなか会う機会も無いし……いや、偶然会うのを待ってたらいつまで経っても渡せないままじゃないだろうか。

 そうは言っても、図書委員の仕事があるため図書室に行かないといけない。だから今日は仕方ない……仕方ない。

「芽衣ー、お疲れ」

 受付で座っていると、杏奈がやってきた。修学旅行以来、気まずくなったら嫌だなと思っていたけれど、杏奈は以前と変わらず接してくれる。軽く手を振って答えると、その後ろに戸田さんの姿が見えた。

「芽衣先輩、こんにちは」

「こ、こんにちは」

「宮川さんが部活終わるの待ってるんだって。うるさくはしないからさ」

「うん、全然。ゆっくりしてって」

 思わずカバンに目を向ける。そこではお土産が出番だと主張しているが、今は杏奈もいる。戸田さんにお土産を渡したら杏奈に何でわざわざと疑われるかもしれない。今はまだ出番じゃない……!

 言葉通り、杏奈も戸田さんも静かに本を読んでいる。私は少しもどかしく思いつつ、携帯ゲームに興じる。

 しばらく経つと、杏奈が席を立って出口に向かった。戸田さんはまだ座ったままだ。慌てて杏奈の背中を追いかける。

「あれ、杏奈は帰るの?」

「うん。バイトあるから」

 そう言うと、杏奈はさっさと帰ってしまった。そうなると、今はもう戸田さんと二人きり……いや、他の生徒もいるから二人きりではないんだけれど。

「芽衣先輩」

「ひゃっ……と、戸田さん」

 いつの間にか背後に立っていた戸田さんに耳元で名前を呼ばれ、驚く。生声の迫力は桁違いだ。

 耳を抑え半歩下がった私に戸田さんは笑いかけた。

「ちょっと課題でわかんない所があって……教えてもらえます?」

「あ、うん。私でよければ」

 図書室の端で戸田さんの隣に座り、ノートを開く。幸い、私の得意な数学の課題だったので教えやすかった。

「……ここは、この公式の応用だね」

「えっと、こういうことですか?」

「……っ、うん。合ってる」

 戸田さんが喋るたび、身体が震えてしまう。あまり大声で話せないため、ささやき声なのも心臓に悪い。

「ありがとうございます、芽衣先輩。助かりました」

「いや、このくらいなら……」

 一段落ついたので、すすっと距離を取る。

「……すみません。やっぱり迷惑でしたよね」

 突然、戸田さんが俯きながらそう呟いた。

「えっ、な、なんで?」

「芽衣先輩、私と距離あると思ってて……もっと仲良くなりたかったんですけど、やっぱり迷惑だったかなって……」

「ち、違うよ。そんな、全然……」

 なんという事を。私は自分のことばかり考えて、後輩にそんな気を使わせてしまうなんて……

「本当ですか?」

「うん。私こそ、ごめん。あんまり……人と話すの得意じゃなくて」

「いえ、私は芽衣先輩と話すの楽しいですよ。迷惑じゃなくて嬉しいです」

 戸田さんが私の腕に抱きついてきた。いい匂いがするし、柔らかい。

「う、あ……」

「また、勉強教えてもらえます?」

「は、はい……」

「やった。じゃあ、そろそろ行きますね」

「あ、あのっ」

 今しかない。慌てて立ち上がり、カバンを漁る。

「これ、修学旅行のお土産。食べて」

「え、いいんですか? わー、ありがとうございます」

 戸田さんは受け取ると、紙袋に書かれた店名を見て何か気づいたような顔をした。

「あれ、ここって……」

「じゃ、じゃあまたね。ほら、宮川さん待ってるよ」

 それ以上気づかれないように、急いで戸田さんを図書室から出した。受付に戻り、頭を抱えた。今日は、ゲームに集中できないだろう。



「朱音ちゃーん!お待たせ!」

 図書室を出て玄関に向かうと、ちょうど真希が来た。

「あれ? それどうしたの?」

 真希は私が持っている紙袋に気づき、覗き込んできた。

「ああ、さっき芽衣先輩から貰ったんだ。修学旅行のお土産だって」

「そうなんだ! 私も雪先輩から同じの貰ったんだ。美味しかった〜」

「そうなの? ちなみに、雪先輩ってこのお店のこと知ってた?」

「え? うーん……確か芽衣先輩が教えてくれたって言ってたかな?」

「そっか……」

「朱音ちゃん?」

「いや、なんでもない。行こっか」

 このお店のことは、以前配信で話した記憶がある。ネットの記事で見かけたものだから芽衣先輩が同じ物を見てたとしても不思議じゃないけれど……

 芽衣先輩の明らかに私を意識している態度といい、ちょっと引っかかる。



「朱音ちゃん、帰ろー!」

 放課後、真希と陽菜が帰り支度をして私の席に来た。

「あ、ごめん。ちょっと寄る所あるから二人で先に帰ってて」

「そうなの?じゃあ、また明日ね。朱音ちゃん」

 二人を見送り、図書室に向かう。もうじき期末試験があり、図書室には自習をしている生徒が複数いる。その中に雪先輩と芽衣先輩の姿を見つけた。

「こんにちは。隣、いいですか?」

「と、戸田さん」

「朱音ちゃん、こんにちは」

 椅子を寄せて、芽衣先輩の隣に座らせてもらう。芽衣先輩の肩が明らかに堅くなっていて、面白い。二人が取り組んでいたのは数学で、私もノートを開いて教えてもらいつつペンを進める。

「そういえば、杏ちゃんは一緒じゃないんですか?」

「えっ、う、うん」

 雪先輩の顔が一気に赤くなり、動揺している。芽衣先輩は少し呆れ気味だ。

「……よかったら、杏ちゃん呼びます?」

「い、いや、それは……」

「ふふ、冗談ですよ」

「あ、朱音ちゃん……」

 どうやら、何か進展があったらしい。後で杏ちゃんに詳しく聞いてみよう。

「ふう……私たちはそろそろ帰るけど、朱音ちゃんはどうする?」

「じゃあ、私も帰ります。ありがとうございました」

「あ、ねえ芽衣。せっかくなら朱音ちゃんも……」

 何やら、雪先輩と芽衣先輩がこそこそ話している。

「朱音ちゃん、ちょっと寄り道しない?」

――――――

 二人に連れてこられた場所は、駅前のゲームセンターだった。勉強の疲れを取るため、たまに寄っているらしい。

「朱音ちゃんは来たことある?」

「何度かは……雪先輩、意外とこういうの好きなんですね」

「あはは……うん。よく言われる」

 雪先輩のイメージだとクレーンゲームのかわいいぬいぐるみの方がありそうだけど、雪先輩はお店の奥にあるシューティングゲームの方に歩いていった。

「そういえば芽衣先輩、射的めちゃくちゃ上手かったですよね」

「そんな、普通くらいだよ……あっ」

 芽衣先輩は慣れた手つきで財布からカードを取りだしゲームの筐体にかざした。データを保存しておくためのものらしく、画面に大きく芽衣先輩のゲーム内の情報が映し出された。そこには『epitaph』という名前が出ている。

「エピタフ……?」

「あ、えっと……」

 芽衣先輩はどうにか誤魔化そうとしているが、私はしっかり見てしまった。

「芽衣、またレベル上がった? すごいね」

「あ、うん。早く飛ばそう」

 芽衣先輩が素早くボタンを連打して画面を進めるが端の方で常に名前は表示されている。芽衣先輩は私の方は見ず、ひたすら画面に出てくる敵を打ち倒していった。

「芽衣、今日は絶好調だね」

「そ、そうかな。まあ今日はこのくらいにしとこう」

「えっ、芽衣?」

 芽衣先輩は慌てた様子で荷物をまとめ、さっさと出口に向かった。私と雪先輩も急いで追いかける。

「じゃあ、またね。朱音ちゃん」

「はい、ありがとうございました」

 結局、芽衣先輩は私と目を合わさずそのまま帰ってしまった。

――――――

「じゃあ、今日はこのくらいで。みんなありがとー」

 配信を切る。もしかしたら今日は来ないんじゃないかと思ったけど、エピタフさん、もとい芽衣先輩はしっかり聞きに来てくれた。いつも通りコメントは特にしてないけど。

「どうしよっかな……」

 まだ、少し驚いている。私の中のイメージと芽衣先輩はかけ離れていたからだ。あの場で何も言わなかったということは芽衣先輩も隠したかったのだろう。あまり突っつくのも良くないかもしれないが……

「いいや。えいっ」

 思い切って、メッセージを送ってみる。

『お土産、美味しかったです』

 数分、待っていると返信が来た。

『よかった』

 それだけ? と思っていると、もう一件来た。

『ごめん。黙ってて』

『全然いいですよ。というか、いつもありがとうございます』

 そんなに視聴者が多いわけじゃないのに、まさかこんな身近にいるとは驚いたが、それが芽衣先輩なら悪くない、というか嬉しい。

『こちらこそ。応援してる』

 応援してる。そう言われることは何度かあったけれど、こうして知ってる人から言われると更に嬉しい。喜びのスタンプを送り、そこで会話は終了した。

 よく考えてみると、あの小さくて弱気な芽衣先輩が実はネットではゲームがめちゃくちゃ強くてクールっていうのはギャップがあっていいんじゃないだろうか。



「……よし。変なこと言ってない、よね」

 何度もメッセージを見直して、おかしい所が無いか確認する。恐らく、大丈夫だろう。朱音ちゃんに……今まで脳内でも戸田さんと呼んでいたけれど、もう区別する必要も無くなったので今まで通り朱音ちゃんと呼ばせてもらう。朱音ちゃんにバレるのは時間の問題だと思っていたけれど、いざこうなるとやっぱり焦る。バレたときは頭が働かなかったし。

 でもこのメッセージは上出来じゃないだろうか。一番最悪なのはリアルを知っていることをコメントに書き込んでマウントを取ろうとすることだ。そんなことは許されない。私は一視聴者で、朱音ちゃんの配信の平和を願っている。絶対に痛いファンだとは思われたくない。

 となると図書室での振る舞いはどうなんだと言われそうだが。あれは違う。そういうのじゃない。朱音ちゃんの顔と声が良すぎるのが悪いのだ。誰だってああなるはずだ。自分に必死で言い聞かす。

 私は決して、ガチ恋ではない。



――――――

『家に着いたら、インターホン押してね』

 雪から追加で注文が入る。何か理想の形があるらしい。駅から少し歩き、家に着く。家賃が少し高くなってしまったけれど、防犯には変えられずオートロック付きだ。もちろん鍵は持っているが注文通り部屋番号を押すと、雪の声が聞こえた。

「雪、開けてー」

「はーい」

 雪のいつもより少し弾んだ声と共に、ドアが開いた。エレベーターが下ってくるのを待つ時間すら、惜しく感じる。

 部屋に到着し、改めてインターホンを押す。すると中からパタパタと音が聞こえ、鍵が開いた。中から出迎えたのは、雪だるまの刺繍があしらわれたエプロンを身につけた雪だった。

「おかえり、杏奈」

「ただいま。それ、どうしたの?」

「えへへ、実はお母さんが買ってくれたの。今日は別に料理してないんだけど……一回、これで出迎えたくて」

 玄関で嬉しそうにくるっと回る雪。エプロン姿なんてバイトで見慣れてるはずなのに、家で見ると……なんか、こう……

「あれ。杏奈、それって……」

 雪が私の手元の袋を見た。

「ああ、ケーキ買ってきたんだ。ちょっとした入学祝い」

 雪の反応は私の想定と違って、複雑そうな表情だ。これは、まさか……

「私も、買ってきちゃった……」

「え、そうなの?」

「ごめん! 言わなかったから……」

「いやいや、私こそ……まあ、いいんじゃない?二つ食べちゃおうよ」

「えー? 太っちゃう……」

「大丈夫だって。もったいないしさ」

 案の定、私も雪も二つのケーキをペロリと平らげてしまった。私がまだいける気がすると呟くと雪も小さく頷いた。

 でもさすがにやめておこう。幸せはこのくらいでいい。

――――――


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