芽生え
「芽衣、お菓子食べる?」
「うん、ありがとう」
「雫ちゃんも、どうぞ」
「私はいい……雪、私に気使わなくていいよ」
そう言うと雫ちゃんはイヤホンを取り出して音楽を聞き始めてしまった。そうなると必然的に芽衣と二人で話すことになるのだが、私は正直少し、気まずい。
早く着かないかな、と思いつつ新幹線の窓の外を眺める。素早く流れていく景色は段々と自然が多くなっていて、遠くに来ていることを実感する。
――――――
「私……修学旅行で、杏奈に好きって言う」
文化祭の後、芽衣からそう言われた。前に杏奈と話さなくなっていた時にも一度、芽衣から話は聞いていた。芽衣が杏奈のことが好きだということを。
「そ、そっか。うん、応援する」
モヤモヤした感情はあったが、私は応援すると言った。芽衣は中学生の頃から杏奈と友達だ。私よりも杏奈のことは知っている。
きっとこのモヤモヤは、中学のトラウマが原因だ。でも芽衣の気持ちが実れば、このモヤモヤもきっと無くなる。そう思っていたのだが、杏奈と仲直りした後の空気を思い出すと、体の奥が熱くなってしまう。
「……ねえ、雪ってば」
「え、なに?」
少しぼーっとしてしまって、芽衣の話を聞いていなかった。未だ新幹線は速度を緩めず走り続けている。
「天羽さん、何か辛そうじゃない?」
芽衣の言う通り、雫ちゃんはいつの間にか携帯から目を離していて、頭を抱えて辛そうだ。
「雫ちゃん、大丈夫?」
雫ちゃんの耳からイヤホンをそっと外して、声をかける。雫ちゃんは虚ろな目で私を見た。
「……気持ち悪い」
「酔っちゃったのかな。先生呼んでこようか」
「大丈夫……ちょっと、手洗い行ってくる」
そう言って雫ちゃんはふらふらと立ち上がったが、足元がおぼつかない。どう見ても一人では危ないと思い、私も付き添うことにした。
「雫ちゃん、私も行くよ」
「ありがとう……雪」
雫ちゃんは小柄とはいえ狭い通路で、更に揺れる新幹線を歩くのは中々一苦労だ。やっぱり先生に言ったほうがいいかと考えていると、後ろから伸びてきた手に雫ちゃんがすっと支えられた。
「ゆ、優希ちゃん」
優希ちゃんは私に軽く笑いかけて返事をすると、すぐ雫ちゃんの様子を確認した。
「雫、大丈夫?」
「う……優希?いや、ダメかも」
「はあ……だから乗り物で携帯見るなって言ってるでしょ」
優希ちゃんに手伝ってもらい、何とか雫ちゃんをお手洗いまで連れてこれた。雫ちゃんがしばらく休んでいる間、何となく優希ちゃんと待つ流れになった。
話題が無いわけじゃないけれど、バンドのことを保留にしているのもあり、何を話せばいいか困ってしまう。そんな私を見かねてか、優希ちゃんから話しかけてきた。
「ふふ、そんな緊張しないでよ」
「あ……あはは、ごめんね」
「……バンドのことは気にしなくていいからね」
「そ、そう?」
「雪のやりたいようにしていいよ。それにバンドっていう繋がりが無くても、私は雪のこと……」
優希ちゃんの透き通った瞳が私を映している。
そこから続く言葉を私は聞いちゃいけない気がして、遮ろうとした瞬間、雫ちゃんが入っている方とは別の、隣の個室の扉が開いた。
「あ、杏奈……」
「あれ、雪。立花さんも、どうしたの?」
「雫が気分悪くなったから、待ってる」
優希ちゃんがどことなく不機嫌になっている。杏奈はそれを知ってか知らずか、いつもの調子で話している。
「ふーん、大変だ。そういえば立花さん、さっき班の子が探してたよ」
「……後で行くよ」
「そう?ていうか天羽さん大丈夫?先生呼んでこようか?」
どこか不穏な空気が二人の間に流れる。杏奈はにこやかに話しているようだが、その笑顔は私が見たことの無い表情だった。
「いい……大丈夫」
ちょうど雫ちゃんが個室から出てきて、空気が少し緩んだ。雫ちゃんは顔色はまだ少し悪いが、さっきよりは足元もしっかりしている。
「雫ちゃん、本当に大丈夫?」
私が支えようとしたが、雫ちゃんは一人で歩けるとそれを制止した。
「はあ……じゃあ、またね。雪」
「う、うん」
優希ちゃんは雫ちゃんの後を追って、行ってしまった。杏奈の方に向き直ると、さっきまでと違いいつも通りの笑顔になっている。
「杏奈、その……優希ちゃんとの会話、聞いてた?」
「え?何か話してた?全然聞こえなかった」
「そ、そっか。ならいいんだけど」
何となく嘘をついているような気がしたけれど、私は追求できなかった。
――――――
しばらくして、ようやく新幹線は目的地に到着した。私たちの住んでいる地域とは違い、古い建物が多く風情を感じる街並みだ。
「どうしよっか。一旦部屋で休む?」
ホテルの前で解散しこれから夕食までは自由行動ということになっているが、雫ちゃんの様子を見る限り歩き回るのは難しそうだ。
「うん……そうしてもらえると助かる」
部屋の内装は寝室と洋間、バルコニーまであり広々としている。雫ちゃんは夕飯の時間になったら呼んでと言い、まっすぐ寝室に向かった。
「えっと……あ、私お茶いれるね。芽衣も飲む?」
「うん、ありがとう……あの、雪」
芽衣の緊張した声色で、私も思わず肩に力が入ってしまう。
「明日の、夕飯の後。杏奈に話すつもり」
「そ……そっか」
どこか、言葉が詰まってしまう。芽衣は大切な友達だし、応援したい気持ちは本心だ。
「杏奈と芽衣は中学からの友達だもんね。杏奈も芽衣には気を許してる感じだし……」
取り繕うように言葉を付け加えるほど、自分の本心と離れていく気がする。
「立花さん、どこ行くの?」
声に感情が出ないように、立花さんの背中に呼びかけた。立花さんも直接顔には出していないが、明らかに鬱陶しいという空気が出ている。
雪たちが宿舎に入っていき、それに続いて立花さんも入っていったのを見て、私は同じ班の純と未来に無理を言って先に宿舎に入った。二人は辺りを少し散策してくるらしい。
「桜井さん、さっきから何のつもり?」
「ん?何が?」
「はあ……回りくどいのは嫌いなんだよね。邪魔しないでよ」
もう立花さんは敵意を隠すこともせず私を睨んでいる。ならば私も、もう取り繕うのはやめよう。
「雪のところに行くんでしょ」
「だったら何?」
「……行かせたくない」
我ながら、子どもじみた発言だと思う。立花さんも呆れ顔だ。
「雪が決めることでしょ?そもそも、ただの友達の桜井さんに言われたくない」
「た、立花さんだって雪にとっては友達でしょ」
「雪にとってはね。私にとっては雪は好きな人だから。桜井さんとは違う」
図星を突かれて、言い返せないでいると立花さんは更に追い打ちをかけてくる。
「桜井さん、怖いんでしょ?私が雪に告白して、雪がそれを受け入れるのが。本心では自分より私のほうが相応しいって認めてるから」
その通りだった。それなのに、それを認めたくなくてこうして邪魔をしている。雪の幸せすらも。
「……まあ、いいや。今回の所は引くよ」
私の横を通り抜けていく立花さんに、結局何も言い返すことはできなかった。
その後の自由時間や、夕食の間も立花さんは隙を見ては雪に話しかけようとしていて私はそこに割って入る、というのを繰り返した。雪の前ではお互い険悪にはならないようにしているが、さすがに雪も私と立花さんの間に流れる空気を不自然に思っているような感じだった。
そんな攻防を経て、修学旅行の一日目は消灯を迎えた。純も未来も長旅で疲れたのか、消灯と共にすぐに寝てしまった。私も確かに疲れはあるのだけれど、どうにも頭が冴えてしまって眠れない。
しばらく目を瞑って意識を手放そうとしてみたものの、もしかしたら今こうしているうちにも立花さんと雪が二人でいるのではなどと考えてしまう。夜が更けていくにつれ、思考が嫌な方に進んでいってしまいそうになる。それを振り払うために一旦寝るのは諦め、水でも飲もうと立ち上がった。
夜になるとなかなか寒く、カーディガンを一枚羽織って、財布を持って自販機に向かう。薄暗い廊下の向こうに自販機の明かりが見える。百円玉を一枚投入し水のボタンを押そうとしたら、横からさっとボタンを押された。
「うわっ!」
「わっ」
驚いて横を見ると、それは立花さんだった。立花さんは呆然とする私を尻目に、自販機から水を取り出し差し出してきた。
「はい」
「あ、ありがとう……」
面と向かうと立花さんは私より背が高く、姿勢もいいので余計見下ろされる。さっきまでと違い立花さんから敵意は感じないものの、それはそれで怖い。
「じゃ、おやすみ」
居心地が悪く、足早に立ち去ろうとする私を立花さんは呼び止めた。立花さんも水を買っていて、自販機の向かいにあるソファに腰掛けた。
「桜井さん、少し話そうよ」
めちゃくちゃ部屋に戻りたかったけれど、やたら態度の柔らかい立花さんが不気味過ぎて仕方なく少し離れた場所に座った。
「私さ、今まで出来なかったことって無いんだよね」
「……はい?」
急に何を言い出すのかと思ったが、立花さんは構わず話し続けた。
「勉強とかスポーツとか、ゲームも。やれば一通りは上手くやれてさ」
「あの、何が言いたいの?」
「まあ聞いてよ。それで、顔も良いから割と女の子からも声かけられることもあってさ」
何なんだ、次から次に。しかしその語り口は自慢げというより事実を淡々と述べている感じだ。それはそれでムカつく。
「そういう人たちに幸せを与えるのは持って生まれた私の義務だと思って、近寄ってくる子たちは誰でも受け入れてた」
「でも、雪は……」
「うん、雪は違った。最初はそういう所が気になったんだけど……雪って、一緒にいるとどんどん好きになってく不思議な魅力があるんだ。桜井さんなら、わかると思うけど」
確かに、雪にはどこか離れがたい何かがある。崩れそうな危うさと、包むような優しさが混在しているような、説明できない何かが。
「さっきは、桜井さんは私の方が雪に相応しいと思ってるから怖がってる、って言ったけど……案外、雪に必要なのは私みたいな人間じゃないかもしれない」
「……何それ、どういう意味?」
「あはは、これ以上敵に塩は送れないよ。そもそも、桜井さんの口から聞いてないしね」
何を、と言うのは流石に野暮だろうか。ずっと直視しないようにしてきた感情だけれど、もう目を逸らし続けるには大きくなりすぎてしまった。
「……うん。私は、雪のことが好きだよ」
言葉にすると気持ちはしっかりと輪郭を纏って、私の中にすっぽりと収まった。思っていたほど重たくはなく、むしろ私の足りなかった部分を補うようにしっくりくる。
「そっか。まあ私も諦めるわけじゃないから、よろしくね」
「え、それってどういう……」
立花さんはそれ以上何も言わずさっさと行ってしまった。
かなり遠回しだけれど、背中を押された、と捉えてもいいのだろうか。
「それにしては、重いな……」
焦って部屋の扉を閉め、その場に座り込んだ。動悸は治まらず、身体も熱い。頭の中には先程聞いてしまった杏奈の言葉が響き続けている。
『私は、雪のことが好きだよ』
眠れなくて、水を飲もうと思ったのだ。そしたら優希ちゃんと杏奈の話し声が聞こえて、盗み聞きをするつもりは無かったが、離れることもできなかった。
寝室では、芽衣が静かに眠っている。その顔を見ていると、思わず泣きそうになってしまう。
杏奈は、私のことが好き。芽衣は、杏奈のことが好き。私は……
芽衣の気持ちの邪魔をしてしまっていると思う反面、杏奈が私のことを好きだということに喜んでいる自分が確かに存在していて、それが更に自己嫌悪を加速させる。
「どうしよう……」
布団に潜り、このまま夜が明けなければいいのにと思うが、そんな私のことなど構わず太陽は顔を出す。
結局その日は、あまり眠れなかった。
「雪、雪ってば。朝だよ」
「んん、芽衣……」
いつの間にか眠っていたようだが、眠気は残ったままだ。
「雪って意外と寝起き悪い?」
「いや……ごめん、大丈夫」
何とか頭を起こし、支度をする。幸い、午前はバスでの移動時間があるのでそこで少しは眠れる。芽衣と今どんな顔をして話せばいいかもわからないし、丁度いい。
芽衣に到着したら起こしてほしいと伝えると、少し心配させてしまった。
「大丈夫?今朝から調子悪そうだけど」
「ちょっと寝れば大丈夫だよ。ありがとう」
昨晩とは違い、目を閉じるとすぐに意識は遠のいた。それでも気持ちが晴れるわけではなく、起こしてくれた芽衣の顔を見るとまた胸が苦しくなった。バスに乗り到着したのは大きな講堂で、午前中はここで土地の歴史などの話を聞く。
講堂の中には椅子が並べられていて、それぞれ仲のいい人同士で固まって座っていた。
「あ、雪ー!芽衣ー!」
先に入場していたらしい純が手を振って私たちを呼んだ。杏奈も隣に座っている。
「あ、純たちいるね。行こっか……雪?」
「……私、お手洗い行ってくるね。芽衣は先に行ってて」
芽衣はまた心配してくれたが、私は一人で大丈夫だと言いその場を離れた。
「はあ……」
個室に入り、大きくため息をついた。一度、考えを整理してみる。
芽衣は杏奈のことが好きだ。私のような曖昧な気持ちとは違う。それなら、芽衣のほうが杏奈と一緒になるべきだ。このモヤモヤは、友達二人の関係が変わることを恐れているだけだ。大丈夫。二人がめでたく一緒になれば、全部元通りだ。
考えをまとめて、個室を出た。鏡を見ると確かに心配されるのも無理はないと思うほど顔色が悪い。気休め程度に顔を洗い鏡に向き直ると、後ろに杏奈が立っていた。
「あ、杏奈。どうしたの?」
「いや、雪が体調悪そうって聞いて。大丈夫?」
嬉しいと思ってしまった。違う、それは友達としてだ。
「……私のことなんか、放っておいてよ」
「雪?……また何か悩んでる?」
咄嗟に冷たい態度をとってしまった。それでも杏奈は、私のことを心配してくれる。
「いいから……!私なんかより、芽衣のとこに行ってあげて」
「何で芽衣の名前が出てくるの……どうしたのかわかんないけど、もう放っておかないよ」
立ち去ろうとする私の手を、杏奈は掴んで離さない。その手の温もりも、優しさも、私の息を詰まらせる。
「ごめん……本当に、大丈夫だから」
「そんな顔して、大丈夫なわけ……!」
「お願い……私、二人と友達でいたいの……!」
杏奈の手を振り払い、振り返らず走った。明日になれば、また今まで通り笑える。みんなで。
結局、純たちのもとには行かず私は一人で講堂の端に座った。講義が終わるとすぐにバスに戻り、何とか平気な顔を作って芽衣を待った。
「雪、探したよ。どこ行ってたの?」
「人が多かったから、端のほうにいたんだ」
芽衣の様子を見る限り、杏奈は何も言ってないらしい。
幸い午後からは班行動だし、クラスの違う杏奈と会う可能性は低い。
――――――
バスで大きな駅まで移動し、そこからは班行動だ。いくつか決められたチェックポイントで先生のところに行けば他は好きな場所に行ける。私たちは事前に調べていた喫茶店に向かう。芽衣も雫ちゃんも甘いものが好きで、芽衣がネットで調べて見つけたお店らしい。
電車に乗り、三人で他愛のない会話をしている間は、余計なことを考えないでいられた。
「えっと……ここ、かな」
芽衣の携帯のナビに導かれたそこは、写真で見るより年季が入っていて、初見では少し入りづらい雰囲気だった。
「結構、すごいね……」
「うん、ど、どうする……?」
私と芽衣が入り口で躊躇していると、雫ちゃんが堂々とドアを開けた。
「し、雫ちゃん……!」
「どうしたの?二人とも、早く入ろう」
雫ちゃんの後ろにくっついて入ってみると、少し白髪の目立つ背の高い店主が出迎えてくれた。
窓際のテーブルに案内され、私はチーズケーキ、芽衣はチョコケーキ、雫ちゃんはパンケーキを注文した。
「修学旅行で来たのかな?うちの店に来る子は珍しいね」
確かに、私たち以外に学生のお客さんは見えない。
「あ、えっと……ネットで調べてきたんです」
「ネット?へえ、うちのことを書いてくれる人がいるんだね」
そうしてしばらく待っていると、注文したケーキが運ばれてきた。
「雫ちゃん、パンケーキ結構大きくない?大丈夫?」
「え?うん。これくらいなら」
言葉通り、雫ちゃんはその小さい身体からは想像できないほど素早くパンケーキを平らげてしまった。
「あ……私、ちょっとお手洗い行ってくるね」
芽衣が席を立って、自分でも気づかなかった緊張が緩んだのか、ため息が出てしまった。
「……あ、ごめん」
「いいけど。何か雪、やたら気使ってる?」
「いや、えーっと……」
少しでも荷を軽くしたくて相談したい気持ちはあるが、何をどう言えばいいかわからない。そもそも、雫ちゃんはそういう話は得意じゃない。
「……あっ」
窓の外をぼんやり見ていると、純たちの班が歩いているのが見えた。もちろん、杏奈もいる。
焦って窓から見えないよう身をかがめた。そうしてから、わざわざそんなことをする必要は無いような気もしてきた。
「……雪?」
「ご、ごめん。何でもない」
「お待たせ……雪、どうしたの?」
「あ、芽衣。いやほんとに、なんでもないよ……それ、どうしたの?」
戻ってきた芽衣は何か袋を手に持っていた。
「これは……お土産用に」
「へえ、そんなのあるんだ。私も買おうかな」
何とか話題を逸らせた。私もお土産に焼き菓子の詰め合わせを買い、お店を出た。
杏奈たちの姿は、もう見えなくなっていた。
「ね、純。さっきの喫茶店、すごい良い雰囲気だったよね」
「確かに、雪のバイト先もあんな感じだった気がする」
そう言われてみると、確かに似た雰囲気だ。
先程の雪との会話を思い出す。何か、悩んでいるようだった。しかも、私には話せないような感じだった。雪は人に頼るのがあまり得意じゃないが、それでも少し、私には肩を預けてくれると思っていたのだけれど……
「杏奈?」
少し考え込んでしまって、純が心配そうに話しかけてきた。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してて」
「……やっぱり、さっき雪と何かあったんじゃないの?」
「いや、何もないよ。ただちょっと疲れてるだけだって」
「まあ、杏奈がそう言うならそれでいいけどさ」
純なら、話せば力になってくれるかもしれない。雪も、純になら話しやすいのかもしれない。それでも、ここは私が何とかしたいと思ってしまう。エゴかもしれないけど、全部受け止めると決めたのだ。
「それにしても、杏奈は中学の頃よりずいぶん丸くなったよね」
「そ、そんなことないよ。未来の気のせいじゃない?」
「いやいや、前だったら体調悪い友達を心配して様子を見に行くなんてしなかったよ」
「へえ。そういえば杏奈の中学のころの話ってあんまり聞かないけど、どんなだったの?」
「いやそんな大した話ないから……」
話題を変えたいけれど、未来は話すのをやめない。
「すごかったよ。男子とも平気でケンカとかしてたみたいだし」
「え、やば……」
未来が誤解を招く言い方をしたせいで、純がかなり引いてる。
「違うから!あれは……いや、もうこの話やめよう?」
無理やり話を切り上げ、また歩き出す。もうすぐ最後のチェックポイントだ。
――――――
夜になり、夕食のため宿舎に戻った。夕食を食べる広間はクラス毎に場所が決められていて、雪の様子は伺えなかった。
「杏奈」
「芽衣、どうしたの?一人?」
夕食を終え宿舎の廊下を歩いていると、芽衣に会った。
「うん、雫が食べ過ぎで気持ち悪くなっちゃって……雪が介抱してる」
雫とは、天羽さんのことだろうか。たしかにあまり食べるタイプには見えなかった気がする。
「そうなんだ。それで、どうかした?」
「えっと……今夜、消灯前に少し、話したいんだけど」
「……?今じゃダメなの?」
「うん。まだ、ちょっと……じゃあ、ロビーで待ってる」
芽衣はそう言うとさっさと行ってしまって、それ以上は聞けなかった。何の用だろう。特に思い当たる節は無く、とりあえず風呂を済ますなどして消灯時刻を待った。
「あれ。杏奈、どっか行くの?」
「うん、ちょっとね……あれ、純は?」
「純もさっきどっか行っちゃったよ。なんだよー、ひとりぼっちかー」
「あはは……まあ、すぐに戻るよ」
ロビーでは既に芽衣が待っていて、私は小走りで近づいた。
「ごめん、お待たせ」
「あ、うん。大丈夫」
芽衣はイヤホンを外して携帯をしまい、小さく深呼吸をした。
「ふー……えっと、ごめん。急に呼び出して」
「いや、それは全然いいんだけど。どうしたの?」
「うん……こうやって二人で話すこと、高校に入ってからあんまり無くなったね」
「そうだね。芽衣も、もうそんなに人見知りしなくなってきたし」
「それは、杏奈と雪のおかげだよ」
「私は何もしてないよ。雪のおかげ」
「ううん。杏奈も。中学の頃、私を助けてくれたのは杏奈だもん」
私にとってはあまり楽しかった記憶ではないけれど、芽衣にとっては良いふうに写っていたらしい。でも、私も芽衣と話す時間は嫌いじゃなかった。
「覚えてる?私の事からかってきた男子の机を杏奈が蹴っ飛ばして、大騒ぎになったよね」
「あー……あはは。あったね。そんなこと」
「他の子たちは、杏奈のこと怖がってたけど……私は知ってたよ。杏奈が優しいってこと」
「そんなこと……ないよ」
今は優しく接することを心がけているけれど、あの頃はただ周りに当たっていただけだ。
「そんなことある。今も昔も、杏奈はずっと優しくて、強くて……私の憧れだった」
芽衣が拳をぎゅっと握って、声を震わせた。
「中学の頃から……ずっと、杏奈のこと、好きだった」
「……え?」
「本当は、ずっと、杏奈以外の友達なんていらないと思ってた。杏奈だけがいれば、私はそれでよかったの」
「芽衣、それは……」
それは、違うよ。と言いかけたのを、芽衣が察したのか、遮って否定した。
「うん、それは違った。高校に入って、雪に会って……友達になった。こんな私と、友達になってくれた」
芽衣の声はどんどん震えてきて、涙を必死に堪えている。その決意を、私は見守ることしかできない。
「杏奈のこと、好きだったけど……雪のことも、同じくらい大切。だから……二人には、幸せでいてほしい」
「芽衣……」
口にはしなかったけれど、芽衣もきっと気づいているんだ。私が、雪のことを好きだと。そして、それを応援してくれている。こんなにも。
「芽衣、ありがとう……ごめん」
こんなにも、私のことを想ってくている気持ちに応えられない。その事がとても辛い。
けれどその分、私も私の気持ちに向き合わないといけない。
「ううん……これは、私の自己満足だから……じゃあ、私行くね。雪ともちゃんと、話さないと」
立ち上がった芽衣の背中を見送り、中学の頃を思い出していた。人と話すのが苦手でいつも俯いていた芽衣が、今はこうして自分で踏み出している。
座ったまま動けずにいると、頭の上から純の声がした。
「ねえ、杏奈」
「純……もしかして、聞いてた?」
「……別に、言いふらしたりしないわよ。私一人じゃなかったけど」
一人じゃなかった、とはどういう意味だろう。よくわからずにいると、純が私の手を引いて、立たせた。
「え、なに?」
「いいから、ほら」
そのまま手を引かれて、芽衣が歩いていった方向に進む。途中の角で立ち止まると、角の向こうから話し声が聞こえた。雪と芽衣のものだ。
「じゃあ、私は行くから」
「えっ、純……!」
純はそのまま背を向けて戻っていった。置いてかれた私はどうすることも出来ず、ただ二人の声に耳を傾けた。
「雪、ちょっといい?」
宿舎の部屋で、食べ過ぎで体調を崩した雫ちゃんの介抱をしていると、純が訪ねてきた。
「純、どうしたの?」
「何か調子悪そうって聞いたから、様子見に来たんだけど……そっちの子のほうが辛そうだね」
確かに、雫ちゃんはお昼にあれだけのパンケーキを食べた後、夕食でも結構食べていた。止められなかった私にも責任がある気がして、こうして付き添っている。まあ、おかげで嫌なことを考えなくて済むのだが。
「ちょっと話したかったんだけど……無理そう?」
「そう、だね……ごめんね。わざわざ」
純には悪いけれど、今二人で話したら弱音が全部出てしまいそうだ。そんなことはしたくない。
「いいよ、私が診てるから」
「ゆ、優希ちゃん」
「立花……何でここにいるのよ?」
「そんなことはいいから。ほら、大事な話があるんでしょ?」
優希ちゃんに促され、私と純は部屋から追い出されてしまった。
「えーっと……杏奈と昼に話したんだよね。それ聞いても、杏奈は何も無かったよって言ってたんだけど、私はどうしても心配で……雪、また何か溜め込んでない?」
言うべきだろうか。しかしもう、口を開けばこぼれ落ちてしまいそうな程には気持ちが溢れている。いつも、純には甘えてばかりだ。
悩む間も無く、私は話していた。杏奈に対しての曖昧な気持ちは上手く言葉にならなかったけれど、それでも純は静かに話を聞いてくれた。
「……そっか」
「私、どうしたらいいのかな……」
「私は、多分大丈夫なんじゃないかなって思うけどね」
「え……?どういう事?」
「芽衣ならきっともうわかってるだろうし。雪のことも、杏奈のことも絶対に裏切らないよ」
そう言うと純は私の手を引いて、ロビーの近くまで来た。遠くからロビーを覗くと、芽衣と杏奈が話しているのが見えた。耳を澄ますと声が聞こえて、きっと芽衣が杏奈に気持ちを伝えているんだと思うと、怖くなって逃げ出したくなる。しかし純が私の手を掴んで離さない。
「大丈夫だよ」
聞きたくないけれど気になってしまい、私は結局その場で二人の会話を聞いてしまった。会話が終わる頃には、知らないうちに涙が流れていて、純の手も離れていた。
「雪、私たちはずっと雪の友達だからね。もちろん杏奈も。二人の幸せを臨んでるよ」
そう言うと純はその場を去って、入れ替わりで芽衣が私を見つけた。私の顔を見て驚いてから、話を聞かれていたことに恥ずかしそうな顔をした。
「雪……いたんだ」
「うん……ごめんね。盗み聞きしちゃって」
「いいよ。雪にも話すつもりだったことだから」
お互い、何から話せばいいかわからず言い淀んでしまう。
「えっと……まず、ごめんね。雪に余計な不安させちゃって」
「そんな、それは、私が勝手に……」
「ううん、私がちゃんと話せればよかったんだけど……あんまり、上手く言える気がしなかったから、こんな感じになっちゃった」
芽衣の顔がまだ見れない。まだ心のどこかで、怖がっている。本当は、裏切ったと思われるんじゃないかと、もう友達じゃいられなくなってしまうんじゃないかと。
「……さっき杏奈に言った通り、私は雪のこともとっても大事に思ってるよ」
「ほ、本当に……?」
「うん、そもそも雪のおかげで、私は杏奈に気持ちを伝える勇気も貰えた。だから雪にも、頑張ってほしい。怖いかもしれないけど、ちゃんと杏奈と向き合ってあげて」
芽衣の言葉で、ぼやけていた気持ちが形を取って、色づいていく。
「本当に、いいのかな……?」
「うん、大丈夫。雪なら、きっと」
皆が、背中を押してくれたから、気づけた気持ち。私の中の世界が、ぐっと広がる。
「……私、杏奈のことが、好き」
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