気づいたら、夏だった
真夏の喫茶店とは正にオアシスだ。少し重たいドアを開くと冷たい空気が一気に流れてくる。今までこの喫茶店は店主と奥さんの二人でやっていたが、少し前に奥さんが体調を崩してからバイトを雇い始めた。
「いらっしゃいませ」
まだ高校生だというそのバイトの子は、とても愛想がいい。初めは不慣れだったが、今ではすっかり慣れた様子で注文を取りに来る。
いつも通りコーヒーを注文し、席で待つ。バイトの子は他の常連客と会話しながら仕事をこなしている。あの子がバイトし始めてから、明らかに中年層の客が増えた気がする。確実にあの子目当てだ。
自分もそうではないかと思われるかもしれないが、それは断じて違う。外回りがひと段落つく頃に寄るには丁度いい場所だからだ。
「お待たせしました。アイスコーヒーです」
「ありがとう……今は、夏休みかい?」
「え?はい。そうです」
「そうか。高校生の夏休みは目一杯楽しむといい。僕も……」
在りし日の青春の思い出を聞かせてあげようと思った矢先、軽快な音を立ててドアが開いた。
「いらっしゃいま……あ、杏奈!純まで……!」
「やっほー、雪。来ちゃった」
――――――
「もう、来るなら来るって言ってよ」
雪が恥ずかしそうに注文を取りに来た。私服の上からエプロンを着けただけの簡素な制服だが、逆に家庭的で似合っている。
「そうしようと思ったんだけど、杏奈が黙っといたほうが面白いって」
「ごめんね、驚かせちゃった?」
「うん……あの、これはバイトだから動きやすい服にしてるだけだからね」
「え?普通に似合ってると思うけど」
素直な意見を述べたつもりだったんだけど、純に睨まれてしまった。
「はぁ……ま、杏奈は服に興味無いだろうから、仕方ないか」
「何、どういうこと?」
「普段の雪の私服はもっとかわいいから。ね?雪」
「ちょっと、純!そういうつもりじゃ……!」
「ふふ、ごめんごめん。注文いい?私はアイスコーヒーね」
「じゃあ私はメロンソーダで」
「はい。少々お待ち下さい」
わざとらしく丁寧なお辞儀をして、雪は厨房に向かった。
少し待っていると、雪が注文した飲み物と一緒にかき氷も持ってきた。
「これ、店長がサービスだって」
「ほんと?ありがとう」
カウンター越しに顔を覗かせた店長さんに会釈をして、礼を伝えた。純には抹茶、私にはいちごのシロップがかけられたものだった。
「ん、割と甘さ控えめで好きかも」
「えー、かき氷なのに甘さ控えめって意味ある?もっとシロップ多めでもいいくらいだよ」
「杏奈が舌バカなだけでしょ」
「舌バカって……」
軽くショック……というか、純からの扱いがどんどん雑になってる気がする。まあ気を許されてるってことかな、と自分を納得させていると、エプロンを外した雪が私の隣に座った。
「どうせなら今のうちに休憩入っちゃいなって。隣、いい?」
「そっか。うん、いいよ」
私服の雪はやはり新鮮で、さっきはバイト用だからと言っていたけどゆったりしたパーカーとスラッとしたジーパンはやはりとても似合っていると思う。
ちょっと見すぎたのか、雪と視線があってしまった。慌てて目を逸らすと、純がじとっと私を見ていた。その目は「見すぎ」という言葉を十分に含んでいる。
「あ、かき氷、すごく美味しかったよ」
とりあえず、慌てて話題を変えた。
「それなら良かった。私もこのかき氷好きなんだ。シロップは店長の手作りなんだよ」
「へー、すごいね。通りで美味しいわけだ」
「杏奈なんて、もっとシロップ多くていいって言ってたもんね」
「それは……甘すぎちゃうかもね」
「いや、わかってるから。それだけ美味しいって意味だよ?」
そんな心配そうな目で見ないでほしい。
話しているうちにかなり溶けてしまったかき氷を飲み干そうとしたら、雪の一言でむせ返ってしまった。
「そういえばうさぎの赤ちゃん、無事に生まれたらしいよ」
「げほっ!」
「ちょっと杏奈、汚い」
「ご、ごめん」
不意打ちはずるい。雪が自分のアイスティーを差し出してくれたけれど、それを飲むのは恐らく逆効果な気がして遠慮した。
「そういえば陽菜が言ってたかも。結構甲斐甲斐しく世話してたみたいだしね」
「うん、私も真希ちゃんから聞いたんだ」
「この間近くの学校に受け渡したらしいけど、陽菜がずいぶん落ち込んでたね」
「あー、東雲さんって動物好きらしいね。朱音が言ってたかも」
「朱音?って、誰?」
「そっか、純は会ったことないんだ。杏奈の小学生の頃の友達なんだって」
雪はそう言ってから、少し考えるような顔をした。
「そういえば……朱音って名前、どこかで聞いた気がするんだよね」
「まあ珍しい名前じゃないし、あるんじゃない?」
「そうなんだけど、最近聞いたと思うんだよね……」
何となく釈然としない様子だったが、特に思い出せなかったのか諦めて話題を変えてきた。
「朱音ちゃんは、杏奈のこと杏ちゃんって呼んでたね」
「うん、小さい頃そう呼んでたから」
「いいな、私はそういう愛称とかで友達のこと呼んだこと無いや」
「雪も杏ちゃんって呼んであげたら?」
純がイタズラ顔で言う。そしてまんまと私も焦ってしまう。
「え?じゃあそうしようかな……杏ちゃん?」
「な、なに?」
なるべく平静を保ちつつ返事したつもりだが、純はニヤニヤしている。なんか最近、遊ばれてる気がする。
「ふふ。やっぱり恥ずかしいから、いつも通り呼ぶね。杏奈」
「そうしてあげな。杏奈がもたないだろうから」
「いや全然平気だけどね」
本当に。なんならもっと呼んでほしい……いや、それは言い過ぎかも。
なんて考えていると、携帯にタイミングよく朱音から着信が入った。店の外に出ようとすると雪がここで出て構わないと言うのでそうさせてもらう。
「もしもし、朱音?うん……多分、空いてると思う。夏祭り?」
電話を切り、朱音から伝えられた内容を二人にも話した。
「来週、夏祭りに行かないかって、朱音が」
炎天下の中、広い芝生の中を笠原は歩いていた。頭に貼っている冷えピタは気休め程度で、手元のペットボトルは既に温くなっている。それでも笠原のサングラス越しの目には確かな輝きがあった。
「笠原先生ー、待ってくださいよー」
「はあ……椎名さん、だからテントで待っててって言ったでしょう?」
後ろから椎名がよろよろと付いてくる。かなり暑さにやられているようだ。
「でも……私、夏フェスって初めてですし、やっぱり自分で見て回りたいなって思って」
そう言われると、誘った手前笠原はあまり言い返せなかった。
椎名を気遣いつつ歩いていると、目的の物販列が見えてきた。しかしかなり並ぶようだ。
「じゃあ、私はここの物販並んでるので、椎名さんは食べ物と飲み物買ってテントに戻っててください」
「そうしますね。笠原先生、何か食べたいものあります?」
「お任せします」
椎名を見送り、物販列に向き直る。ここからが長いぞとタオルで汗を拭い列に向かった。
列が進むにつれ、いくつか完売の知らせが耳に入ってきて、自分の目当ての物が完売しないか不安になってきた。しかし何とか耐えてくれたようで、自分の番が来ても目当ての物に完売の札が貼られることは無かった。
物販の担当スタッフに希望商品を伝えようとすると、そのスタッフの顔に見覚えがあった。
「あれ、立花?」
「……?あ、笠原先生」
学校での服装と大分違うので、一瞬誰かわからなかったようだが、立花優希はすぐ笠原だと気づいた。
「バイトか、大変だな」
「はい。笠原先生、やっぱり音楽好きだったんですね」
「やっぱりって?」
「学校で、下に着てるシャツがたまに知ってるバンドのやつだったんで」
「なるほど。そういや立花、今年も文化祭でバンドやるのか?去年も中々良かったし」
「はい、その予定です……ちょっと、問題ありそうなんですけどね」
「へえ、そうか」
少し話し込んでしまい、立花は足早に商品を取りに行った。その途中で一人のスタッフに声をかけ、そのスタッフは笠原の方を見て小さく会釈をした。よく見ると、それは立花の友人の天羽雫だった。小さな身体で懸命にダンボールを運んでいる。
「天羽も一緒だったのか」
「はい。あんまり動くタイプじゃないので、辛そうですけど」
「そうだよな。じゃあ私からこれをやろう」
立花から商品を受け取るのと交換で、笠原は二本のスポーツドリンクを渡した。
「いいんですか?」
「ああ、私のは一緒に来てる人が買っといてくれるからな。じゃあ、文化祭頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」
購入したTシャツをリュックに詰め、物販列から離れた。先ほど椎名と別れた地点まで来ると、そこで椎名が待っていた。
「椎名さん、テント戻ってなかったんですか?」
「いやあ、ビールが温くなったら可哀想だと思いまして」
顔を赤らめてそう言う椎名の手には既に缶ビールが握られている。
「それは……ありがとうございます」
缶ビールを受け取り、一口飲むと冷えた喉越しが心地よかった。
「……あの、ソフトドリンクも買ってますよね?」
「え?笠原先生、持ってるんじゃ……」
やってしまった、と笠原は思った。
「さっき立花と天羽に会って、あげちゃいましたよ」
「えぇー!ていうか、立花さんと天羽さんいたんですか?」
「バイトらしいです。はあ……じゃあ買いに行きましょう」
「うう……すみません」
日が傾いてきて、日中よりは暑さもマシになってきた。
校門前でぼーっとしていると、向こうから雪と宮川さんが走ってきた。
「お待たせ。杏奈、朱音ちゃん。あれ、芽衣は?」
「芽衣はちょっと遅れるから先行っててだって。じゃあ、行こっか」
四人で歩いていると、道に少しずつ浴衣姿の人が増えてきた。
「純と未来は部活の合宿で来られなくて、残念だったね」
「ね、埋め合わせに今度どっか行こうって言ってたよ」
祭りの屋台の匂いが鼻を掠め始めた頃、浴衣姿の人混みに紛れて芽衣の姿が見えた。
「あ、芽衣!」
「あっ。杏奈、雪」
芽衣は白地に紫陽花柄の浴衣を身にまとっていて、少し恥ずかしそうに振り向いた。
「すごいね、芽衣。似合ってるよ」
「う……お姉ちゃんが着ていけってうるさくて、仕方なく」
「芽衣先輩、はじめまして!雪先輩の後輩の、宮川真希です!浴衣すごい似合ってます!素敵です!」
「あ、うん。よろしく」
芽衣の心の扉が閉まる音が聞こえたが、宮川さんはお構い無しに芽衣に話しかけている。
「私は桜井杏奈の幼なじみの戸田朱音でーす」
「ぅえ、あ、えっと。うん。よろしく」
「芽衣?」
朱音の挨拶を聞いて、宮川さんのようにグイグイ来られたわけでもないのに芽衣は何だか動揺している。
「ご、ごめん。何でもない。偶然、偶然……」
「あ!もう屋台とか見えてますよ!早く行きましょう!」
「真希ちゃん、あんまり走るとはぐれちゃうよ」
雪は走り出した宮川さんを追いかけに行ってしまい、芽衣もそれに続いていって、朱音と私は取り残されてしまった。
ゆっくり追いつけばいいかと二人で歩いていると、朱音が話しかけてきた。
「杏ちゃん、夏休み中に雪先輩と会ってる?」
「まあ、たまに」
正直、この間のバイト先に行った一回だけなんだけれど。
「……二人で遊んだりは?」
「してないね」
「なんで!?」
「なんでって、なんでよ?」
朱音は呆れた顔で私を見つめてくる。感情が顔に出るようになったのは良い事だけど、それは少し傷つくぞ。
「誘えばいいのに。何ならデートコース考えようか?」
「いいってば。雪だって迷惑でしょ」
言ってから、ずるい言い方をしたなと思った。自分が誘えないことを雪のせいにしてしまった。
「雪先輩のこと、もっと知りたいとか思わないの?」
「それは……」
どうだろう。そういえば以前、純が雪の私服はかわいいと言っていた。今の雪は部活終わりで制服だ。確かに、雪の遊ぶときの服装を私は知らない……いや、去年の夏休みに一度未来の家で会った気がするけれど、あまり覚えてない。
そもそも、雪が普段どこで遊ぶのか、ゲームセンターが好きということくらいしか知らない。けれど、知りたいかと聞かれると……
「いいよ。だって知りすぎたら、困ることもあるだろうし」
「……それって、杏ちゃんが知られたくないってこと?」
「まあ、それもあるかな」
「杏奈ー!朱音ちゃーん!」
いつの間にか結構遠くまで行っていた雪がこちらに手を振っていて、私はそれに手を振り返して答えた。
「ほら、とりあえず今日は今日で楽しもうよ。朱音」
「うん……」
――――――
「うわ〜!どれも美味しそう!」
一面に並ぶ屋台を見て、宮川さんは目を輝かせている。
「朱音ちゃん朱音ちゃん!何食べる!?」
「はいはい、分かったから。ゆっくり見てこう?」
一年生たちが楽しそうに屋台を見て回っている。はぐれないように見てないとな、と思っていると、雪も芽衣も揃って屋台に夢中になっていた。
「芽衣、今のわたあめってこんないろんな種類あるの?」
「うん、リクエストしたら好きな形も作ってくれるよ」
「二人とも、あんまり夏祭りって行ってない?」
「うん、小さい頃は妹と行ってたけど、最近はあんまり」
そういえば、雪の妹は最近反抗期らしい。
「そっか、芽衣は?」
「私は、毎年お姉ちゃんに連れてかれる」
「あ、毎年来てるんだ」
「……今、毎年来てるくせにはしゃいでるって思った?」
「思ってないよ」
「思ったでしょ!だって、友達と来るのは、初めてだから……」
はしゃいでるのは認めるんだ。まあ確かに気持ちは分からなくないと思い、頭を撫でてやった。
「じゃあ、いっぱい楽しもうね」
「そうだね。芽衣、何か食べたいものある?」
「ちょっと、二人してやめて」
ちょっとふざけ過ぎただろうか。しかし三人でいると芽衣が一番小さい……いや、宮川さんと朱音を入れても一番小さいので、どうしてもかわいがってしまう。
「雪先輩、雪先輩!見てください!色々買いました!」
いつの間にか戻ってきた宮川さんの両手には、屋台を全て回ったのかというほどありとあらゆる食べ物が揃っていた。
「す、すごいね。真希ちゃん」
「私は止めたんですよ。でも真希が聞かなくて……」
「だって、見てたら全部食べたくなっちゃうんだもん」
「あはは……じゃあ、一旦どこか座れる場所に行こっか」
屋台の並びから少し外れまで移動し、ベンチに横並びになってそれぞれ食事を始めた。宮川さんはあれほど買い込んだ食べ物を容易くたいらげてしまった。そして更に「まだ食べ足りないので、ちょっと買ってきます!」と行ってしまった。
「元気だね、宮川さん」
「ほんと、いつも振り回されてる」
そう言いつつも、朱音は楽しそうだ。
「宮川さんとは、高校入ってから知り合ったの?」
「ううん。中学の頃……まあ、真希のおかげで、変われたのかな」
記憶の中の朱音は、いつも私や姉の後ろに隠れている子だった。しかし今の朱音は、自信が溢れているように見える。
「……私、小学生の頃は地味だったでしょ?」
朱音の声が少し暗くなったのを感じたのか、雪が気まずそうにこちらを見た。
「あ……もしかして、私たちに聞かれたくない?」
「いいですよ、杏ちゃんの友達ですし、雪先輩たちにも聞いてもらって。まあ、小学生の途中に引っ越して、そこから杏ちゃんとは会ってなかったんです。それで中学で真希に会って……色々あったんですけど、とにかくやりたいことやろうって思えたんです」
朱音の声色はいつも通りの明るさに戻っていて、パッと立ち上がり、祭りの灯りを背に、手元のかき氷を写真に収めた。
「だから、今は毎日楽しい!」
「……そっか。でもたまには昔みたいに甘えてもいいんだからね?」
「もー、じゃあ一緒に写真撮って。雪先輩と芽衣先輩も、いいですか?」
「もちろんだよ。ねえ、芽衣?」
朱音の両隣に私と芽衣、私の隣に雪の順で並び、写真を撮ろうと朱音がスマホを構えたが、芽衣だけが朱音から少し距離を取っている。
「芽衣先輩、もうちょい寄ってください」
「う、うん」
「雪先輩も、もうちょいこっちです」
「え?うん。このくらい?」
雪がぐいっと私との距離を詰めてきた。元々それなりに近かったのに、色々とくっついてしまう距離にまでなってしまった。バレない程度に朱音に寄ると、隙間を埋めるように雪もくっついてきた。
「……朱音、早く撮ろう」
「ん?ふふ、そうだね」
朱音がシャッターボタンを押そうとすると、遠くから宮川さんの声が聞こえた。
「あー!私も入れてー!」
勢いよく駆け込んできた宮川さんは、そのまま芽衣の横に飛び込んだ。
「ちょ、宮川さん、ちょっと」
「あ、すみません芽衣先輩!」
「でももっと寄らないと真希が入らないですね。芽衣先輩、ちょっとすみません」
朱音がぐっと芽衣との距離を詰める。雪も何故か釣られて距離を詰めてきた。
「わ、わ。戸田さん」
「撮りまーす」
朱音がシャッターボタンを押して、写真を撮り終えると素早く芽衣は朱音の隣から離れて雪の後ろに隠れてしまった。私もさっと雪から距離を離して呼吸を整えた。
「芽衣、大丈夫?」
「芽衣先輩、どうかしました?」
「大丈夫、大丈夫だから」
そう言いつつも、芽衣は朱音と目を合わせようとしなかった。やっぱり初対面だと緊張するのだろうか。
「あ、杏奈……」
雪が私の服の裾を掴み、小声で呼んできた。その顔は少し赤くなっている。
「もしかして私、汗臭かった?」
「え、いや全然。なんで?」
「写真撮った後、急に離れるから……部活終わりだし」
「いや、それは、違くて……むしろ」
いい匂い、と言ったらさすがに気持ち悪いと思われるだろう。しかし、なんて言えば雪を傷つけずに済むのか。
「むしろ、私は好きだよ!」
「えっ、あ、ありがとう……?」
あれ?なんかもっと良くないことを言ったのでは?雪の顔もさっきより赤くなっている。
「いや、ちが……くは無い、けど、その……」
「杏ちゃん、雪先輩。イチャイチャしてないで早く行きましょー」
「あ、朱音!違うって!」
――――――
腹ごしらえを済ませて、改めて屋台を見て回る。
「そういえば、杏奈はお祭りって行ってたの?」
「私?んー、私も小さい頃以来かな。それこそ朱音とも行ったよ」
「行ったね。懐かしいなー」
とはいえ姉と三人で行って、子どもたちがそれほどお金など持っている訳もなく、あの頃はここまで遊べてはいなかった。ただ屋台を見ているだけだった記憶がある。
「射的だ!射的やりましょう!」
「お、芽衣の出番じゃない?」
「いやだから、そこまで上手いわけじゃ……」
「芽衣先輩、射的得意なんですか?」
「そうそう、朱音も欲しいものがあったら言いな。芽衣が取ってくれるよ」
「欲しいものっていっても……」
朱音は景品を目で追っているが、確かにお菓子やおもちゃがほとんどで特に朱音が目を引きそうな物は無いかな、と思っていたが、一つの景品に目が止まった。
「あれ、懐かしいな」
そう言って朱音が指をさしたのは、ネコのキャラクターのキーホルダーだった。
「杏ちゃんと夏祭りに来たときも似たようなのがあって、欲しかったんだ」
「へー、私全然覚えてないや」
「あの時は何も言わないで通り過ぎちゃってたからね」
朱音と話していると、芽衣がいつの間にか店主にお金を払って、銃を構えていた。
「芽衣先輩、ほんとにいいんですか?」
「うん、あれくらいなら取れると思う」
そう言うと、芽衣はすぐ照準を合わせてあっという間に引き金を引いていた。それは宣言通り的を落とした。
「え、すご」
見ている私たちは緊張する間も無く終わってしまって、ただ芽衣の腕前に感心するだけだった。
「はい、戸田さん」
「あ、ありがとうございます」
最初はよそよそしい雰囲気だったけれど、意外と早く打ち解けたようで安心した。
「芽衣先輩、すごいです!」
「ね、私もよく一緒にシューティングゲームやるんだけど、芽衣はいつもすごいんだよ」
いつの間にか居なくなっていた雪と宮川さんがいつの間にか戻ってきていた。二人とも手にはたこ焼きを持っている。
「また食べてるの?」
宮川さんはさっきの食べっぷりを見ていれば確かに納得だけれど、雪まで乗っかっているのは驚いた。
「こ、これは真希ちゃんが食べたいって言うからついでに……」
「雪先輩、私が二種類で迷ってたら片方買ってくれたんです!」
「そうそう、だから別に私が食いしん坊なわけじゃ無いからね!」
「いや、何も言ってないよ」
別に雪が食べたいと思っていても構わないのだが、雪は何か納得いかない様子だ。
「雪先輩の明太チーズ、もらっていいですか?私のカレー味あげます!」
「うん、ありがとう。真希ちゃん」
雪と宮川さんはお互いのたこ焼きを食べさせ合っている。雪が楊枝で刺したたこ焼きを宮川さんの口元に運んで、それを宮川さんは頬張っている。端的に言うと、あーんをしている。
「杏ちゃんも、たこ焼き好きだったよね?」
「え、朱音?」
「そうなの?じゃあ、食べる?」
そう言うと雪は自分のたこ焼きをまた楊枝で刺して、私に向けてきた。突然の出来事に動揺して食べていいのか、いいに決まっているんだけれど、何かに迷っていると雪が勘違いしたのか、
「あ、このままじゃ熱いよね。ちょっと待ってね」
と言い、たこ焼きに息を吹きかけた。雪の薄いピンクの唇から、息がかかる。前に純が雪は口紅無しで綺麗な唇をしてて羨ましいとか言っいたことを思い出した。
「はい、どうぞ」
そして改めて、たこ焼きが差し出される。雪が息を吹きかけたたこ焼きが。そこを意識している自分の気持ち悪さが客観的に見えて、これ以上考えてはいけないと勢いよくたこ焼きにかぶりついた。
「……あっつ!」
「杏奈、大丈夫!?」
熱すぎる。巨大な熱の塊が口の中を埋めつくして、呼吸もままならない。涙目になっていると見かねた芽衣がお茶をくれた。
「あ、ありがとう。芽衣」
「もう、何してんの?」
「ごめんね、私もそんな勢いよく食べると思ってなくて……」
雪に謝られると余計に私がかっこ悪くなってしまう。いやもうこれ以上無いほど失態は晒しているけれど。
「杏ちゃん、昔からたこ焼き大好きだから」
「いやー、そうなんだよ。昔もよく熱いのに食べて、口の中やけどしてたね」
咄嗟に朱音の嘘に乗っかって体裁を保とうとする。そもそも朱音のおかげでこんなことになったのだが。
「ふーん……じゃあ、もっと食べていいよ」
「え、いや、いいよ。もうお腹いっぱい」
お腹というか精神的に満たされていて、もうこれ以上は入らない。すると雪は私の手に持っていたぶどう飴を見た。
「杏奈、それぶどう飴?」
「うん、珍しいなと思って」
「お返しに、貰っていい?」
「う、うん。いいよ」
手渡そうとしたが、雪は片手にたこ焼き、片手に楊枝で手が塞がっているとアピールしてきた。
「杏奈、食べさせて」
何だかやたらグイグイ来る。
「え、あ、はい」
雪が口を開けて待っていて、そこにぶどう飴を近づける。手が微かに震えてしまった。そして、雪がパクッと一粒口に含んだ。
「初めて食べた。ふふ。美味しいね、これ」
ぶどう飴を口に含むと、雪の顔は途端に綻んだ。私はその表情に振り回されてばかりだ。
「そっか、良かった」
「杏奈、私にも頂戴」
芽衣も欲しいと言うので、雪と同様に食べさせてやった。芽衣相手になら緊張しないのに。さっきの手の震えが恥ずかしい。
「杏ちゃん、私も欲しいなー」
「いや私のが無くなるから、自分で買いなさい」
「えー?ひどーい」
――――――
かなり日も暮れてきて、解散の頃合となった。
「朱音、今日は誘ってくれてありがとね」
「こちらこそ、私も楽しかった」
挨拶を済ませると、朱音は宮川さんの自転車の後ろに乗り二人で帰っていった。
「よし、私たちも帰ろっか」
三人並んで祭り帰りの人混みに紛れながら歩いた。
「芽衣、大丈夫だった?」
「え、なにが?」
「人見知りだからさ、芽衣は。気を使わせちゃったかなって」
「それは、まあ……大丈夫だよ」
「確かに、朱音ちゃんと写真撮るときもぎこちなかったもんね」
「いや、戸田さんは……!」
芽衣は何か言いかけたが、やっぱりなんでもないと言葉を切った。
「とにかく、大丈夫。杏奈と雪がいてくれたし……」
芽衣の言葉に、私と雪は顔を見合わせ、笑った。
「うんうん、これからもいっぱい頼ってね」
「芽衣、ぶどう飴食べる?」
「ああもう!子ども扱いしないでってば!」
芽衣は顔を赤くして、私と雪が撫でようとしていた手を払った。その反応も面白くて、また笑っているとどこかから芽衣を呼ぶような声が聞こえた。
「芽衣ちゃーん!」
「……ん?なんか芽衣のこと呼んでない?」
「うわ、お姉ちゃん」
人混みの向こうから長い手が伸びているのが見えた。その人は芽衣の前まで来ると勢いそのまま芽衣に抱きついた。
「はあ、良かった。こんなに可愛いから攫われちゃったんじゃないかと……」
「うるさい、暑い、苦しい。離れて」
「あ、ごめんね。あら初めまして。芽衣ちゃんの姉の由衣です」
「あ、はい。初めまして」
困惑しつつ、私と雪も自己紹介をした。芽衣のお姉さん、初めて会ったけれど、芽衣とは違いかなり背が高い。純より高そうだ。
「なんで来てるの?」
「大学の友達のバンドがお祭りに出るって言うから、見に来てたの。そしたら芽衣ちゃんを見かけて」
話しながらも、芽衣の浴衣を直したり汗を拭いたり、手癖のように世話を焼いている。芽衣も慣れてるのか諦めてるのか、抵抗しない。
「もう、わかったから……ごめん雪、杏奈、先行くね」
「あ、うん」
「え?芽衣ちゃんのお友達なら、もっと話したいんだけど……」
「お姉ちゃんに余計なこと言われたくないの。ほら早く」
芽衣はお姉さんの手を引いて、そのまま行ってしまった。一瞬だったけれど、なかなか強烈な印象の人だった。
「なんか、すごい人だったね」
「そうだね……杏奈もお姉さんいるんだよね。どんな人?」
「え?普通の人だよ」
「普通って?」
「普通の大学生」
それ以上言いようが無い。しかし雪は何か不満そうだ。
「……杏奈ってたまに、最低限のことしか言わないときある」
「そうかな」
「もっと杏奈のこと知りたいのに……」
「え?」
「あ、いやごめん。なんでもない。じゃあ私も行くね!またね!」
雪は私の返事も待たず走っていってしまった。
もっと知りたい……雪の言葉が頭に響く。
あまり踏み込まれるのは好きじゃないのに、雪のことは受け入れてしまっている。閉ざしているはずの扉がいつの間にか開いているような感覚。
「どーしたらいいの、これ……」
まだ未熟な感情の扱いがわからなくて、困る。
夜になってもまだまだ暑さは残っていて、首元にじっとりと汗が滲んだ。
夏は、もう少し続く。
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