三分の一、生まれた感情


「えー、もうすぐ文化祭が始まるが、君たちはもうすぐ二年生にもなる。そのため、文理選択をしてもらうぞ。進路に関わることだからしっかり考えるように」

 担任の先生の話が終わり、放課後になると皆は意気揚々と文化祭の準備に取り掛かった。私たちのクラスは簡易的なカフェをやる予定で、看板や装飾などを準備している。

「純、看板の作業進んでる?」

「うん、いい感じになりそう」

 純の手元を見ると、ポップな絵柄でかわいらしい看板ができていた。

「わあ、かわいい」

「ふふ、ありがとう。雪と芽衣は?装飾作ってるんだよね」

「うん。どう?芽衣、リボンの結び方わかった?」

「うーん、調べた感じだとこうなんだけど……なんか、違うかも」

 芽衣のスマホに表示されているページを見て、私も試してみる。

「ここを、こうして……うーん?」

 指がごちゃごちゃして、よく分からなくなる。結果、私も歪なものになってしまった。

「はは、まあ手作り感あっていいかもね」

「ちょっと、馬鹿にしてる?」

 芽衣が頬を膨らませて怒っている。私もあまり手先が器用なわけじゃないので、なかなか苦戦してしまう。

「そういえば二人は文理選択どうするかって、考えてる?」

「私は文系かなー、数学って苦手だし」

「そうなんだ。私は逆に数学のほうができるから、理系にしようと思ってる」

「そっか……純も芽衣も、ちゃんと決まってるんだね」

「雪は悩んでるんだ」

「うん……あんまり何が得意か、ってわからなくて」

 成績が悪い訳じゃないけれど、特別これが得意っていうものも、私には無い。

「うーん、まあ深く考えなくてもいい気がするけどね。私も何となくで文系だし」

「あんまり適当に選ぶのもよくないんじゃない?先生も言ってたけど、進路に関わるんだし」

「そうだよね……まあ、ちょっと考えてみるよ」

――――――

「お、いいねえ。雪、似合ってるわよ」

「そうかな……変じゃない?」

 カフェでウェイターを担当する係になったので、そのための衣装を試着させてもらったのだが、これがいわゆるメイド服で、なかなか、恥ずかしい。

「なんで私はアリスなの……どういうコンセプト?」

「芽衣も似合ってるじゃん。アリス」

 確かに、芽衣は小柄なのでアリスの衣装はよく似合う。

 実際、他の人も巫女だったりアニメのコスプレだったり、バラバラだ。

「純、ずるい。自分は裏方だからって……」

「くじ引きで決まったんだから、仕方ないでしょ」

「お、何だか楽しそうなことしてるね」

 いつの間にか、杏奈と七瀬さんが教室に来ていた。二人ともクラスTシャツを着ている。

「杏奈のクラスは何やるの?」

「うちは焼きそば。まあ未来がいるから、味は保証するよ」

「確かに、未来の料理美味しかったもんね。杏奈って料理できるの?」

「純、もしかして私ができないと思ってる?割とやるからね、私」

 以前の件以来、純と杏奈は名前で呼び合うようになっていた。純の中で、杏奈のことを見直したらしい。

「ていうか雪、メイド服似合うね」

「もう、杏奈までからかわないでよ……」

「からかってないよ。似合ってるって」

 確かに、杏奈はそういうことで嘘をつくタイプじゃない。だからこそ恥ずかしいんだけど……

「芽衣も、かわいいじゃん」

「……うるさい。早く戻りなよ」

「はいはい。じゃあ戻るよ。行こっか、未来」

「うん。当日、楽しみにしてるね!」

――――――

 文化祭がいざ始まってみると、私たちのクラスは思いのほか賑わっていた。隣の杏奈たちのクラスで焼きそばを買って、こっちで休憩がてら食べるという流れができていて、期せずして連携が取れていた。

「久保田さん、姫野さん。そろそろ休憩入っていいよ」

「うん。ありがとう」

 純と三人で休憩を合わせてもらっているので、裏で飲み物を用意している純の様子を伺う。

「私ももう少しで休憩入るから、ちょっと待ってて」

「わかった。どうする?芽衣、一旦着替える?」

「そうしたいけど……いいや。面倒だし」

 クラスの子からも、「二人ともめちゃくちゃ似合ってるから、それ着て歩くだけで宣伝になるよ」と言われた。さすがにそこまでじゃないと思うけど、まあ少しでも客寄せになれば幸いだ。

「杏奈たちとも合流するんでしょ?」

「そうだね。特に連絡は来てないけど……純の方に来てるかもしれないね」

 それからすぐに純も休憩に入り、三人で隣のD組の様子を見てみた。

「あ、純。もう休憩?」

「うん。未来たちもだよね?杏奈は?」

 七瀬さんは一人だった。まさか文化祭をサボるような杏奈じゃないと思うが。

「んー、さっきまで一緒にいたんだけどね。ちょっと呼び出されて」

 呼び出し。杏奈には珍しい事じゃないかもしれないが、わざわざ文化祭の日になんて……そう思っていると、杏奈がちょうどやってきた。

「ごめんごめん、お待たせ。あ、雪たちも来てたんだ」

「ちょっと杏奈。こんな日まで呼び出されるなんて、何やらかしたわけ?」

 聞きにくかったことを、純が聞いてくれた。しかし杏奈は、笑って誤魔化す。

「ひどいなあ、ただちょっと補習の話されただけ。よくある事だよ」

 私も皆も、それ以上特に詮索することはなくその話は終わった。

「あ、うちの家族が着いたみたい」

「颯太くんと結菜ちゃん?来てるんだ」

「うん。親は仕事だから、今日は兄さんと来てるよ」

 入口の方にいるらしいので皆で迎えに行くと、久しぶりに七瀬さんの弟妹の姿が見えた。

「あ!姉ちゃん!」

「颯太くん、結菜ちゃん。久しぶり」

「兄さん、ありがとね。連れてきてもらって」

「いいよ。いつも家のことは未来に任せっきりだったし、今日は二人の面倒は任せてくれ」

 七瀬さんのお兄さんが二人を連れて行こうとすると、結菜ちゃんが私のメイド服の裾を引っ張った。

「ん?どうしたの?結菜ちゃん」

「わたし、ゆきお姉ちゃんと一緒がいい」

「こら、結菜。わがまま言わないの」

「七瀬さん、私は大丈夫だよ。じゃあ一緒に行こっか」

「人数多いほうが楽しいもんね。颯太くんも一緒がいいでしょ?」

 杏奈が颯太くんに言うと、颯太くんは嬉しそうに「いいの?」とお兄さんの方を見た。

「まあ、それならそうしてもらおうかな。じゃあ未来、俺は先生に挨拶してくるから、後で連絡してくれ」

「うん。わかった」

「お兄さんって、ここのOBなの?」

「そうそう、バスケ部で結構頑張ってたんだよ」

 人数も増えて、賑やかになってきた所、芽衣がずっと無言なことに気づいた。

「芽衣?どうかした?」

「べ、別に」

 何だか、結菜ちゃんの方を見ながら挙動不審だ。

「結菜ちゃん、この人は芽衣お姉ちゃんだよ」

 紹介すると、結菜ちゃんは芽衣のアリスの衣装をキラキラした目で見つめている。芽衣は気まずそうだ。

「すっごく、かわいい」

「あ、ありがとう」

「芽衣、子ども苦手?」

「そんなこと、ないけど」

 常に結菜ちゃんと一定距離を保とうとする姿は、どう見ても苦手にしか見えない。

「雪ー!」

 突然、後ろから名前を呼ばれて振り返ると、お母さんと妹が来ていた。

「お母さん、来てたんだ」

「ええ、連絡しようと思ったらちょうど見かけたから……ふふ。似合ってるじゃない」

「や、やめてよ……」

 みんなの前で、恥ずかしい。

「雪、妹いるんだね。こんにちは」

「……こんにちは」

「ちょっと沙織、ちゃんと挨拶しなさい」

 妹は最近反抗期ぎみで、あまり私に関わってこない。結菜ちゃんのかわいさとは正反対だ。

「お姉ちゃんうるさい。お母さん、行こ」

「もう……」

「ふふ、あんま仲良くないんだ?」

 純が面白そうに言ってくる。

「そう、最近特に反抗的で……純も弟いるよね?今日は来ないの?」

「来るわけないって、雪のとこより反抗的だから、うちのは」

「そうなんだ……どこもそうなのかな。芽衣と杏奈は?家族とか来るの?」

「うちはお姉ちゃんがいるけど……絶対来るなって言ってある。こんな格好、絶対見られたくないし」

「そうなんだ。杏奈は?」

「……私も姉がいるけど、来ないよ」

「……?そうなんだ」

 何となく、違和感があった。前からたまに感じていたが、些細なものでこれがどういう違和感なのか私にもよくわからない。




「笠原先生ー、開けてくださーい」

 椎名の声と共に、理科準備室の扉を叩く音が聞こえた。扉を開けると、両手いっぱいに模擬店で購入した食べ物を抱えた椎名が立っていた。

「椎名さん、そんなに買ったんですか?」

 笠原は半ば呆れ気味に椎名を準備室に通した。この教室は文化祭では使われていないため、ほとんど人は寄り付かない。

 それを狙ってのんびりしていたのに……

「笠原先生、どうせお昼食べてないでしょう?よかったら、どうぞ」

「よかったら、って……二人でも多いでしょう。この量」

「あはは……生徒たちにおすすめされると、断れなくて」

 笠原はテーブルに広げられた中からカステラだけ取り出し、コーヒーを入れた。

 二人分のコーヒーを持って戻ると、ご丁寧に椎名は「焼きそばもありますよ」と差し出してきた。

「文化祭、盛り上がってますね」

「笠原先生、ここにいてもわかりますか?」

 聞かれた笠原は、椎名の顔を見てふっと笑った。

「わかりますよ。椎名さんの楽しそうな顔を見れば」

「えっ、そんな顔に出てます?」

「ええ、良い事じゃないですか」

 椎名は恥ずかしそうに頬を染めたが、振り切ったように顔を上げ笠原の手を取った。

「実際に体験したらもっと楽しいですよ、行きましょう!」

「はあ、わかりましたよ」



 一通り回り終え、結菜ちゃんたちとはお別れした。

「そろそろ休憩終わるし、戻ろっか」

 自分たちのクラスに戻ろうとすると突然、七瀬さんに引き止められた。

「久保田さん、ちょっといい?」

「え、私?」

「うん。杏奈のことで……」

 杏奈のこと、と言われ少し強ばった。何となく違和感があったこともあるし、七瀬さんがいつになく真剣そうだったからだ。

「さっき、先生に呼び出されてたじゃん?あれがもしかしたら留年とか、退学とかなんじゃないかもって」

「た、退学!?」

「ちょ、声大きい!」

「ご、ごめんなさい。でも……」

「いや、そんなすぐにってわけじゃないだろうけど……最近、また休み増えてるんだよね」

「そうなんだ……」

 でも、それで私にどうしろというのだろう。

「それでさ、杏奈にそれとなく学校に来るように言ってもらえないかな?杏奈、久保田さんに甘そうだし」

「そう、かな……?」

「ごめんね。こんなこと頼んで。じゃあよろしく!」

 言い返す間もなく、七瀬さんは戻ってしまった。

「雪ー、どうかした?」

「あ、ごめん純。今行くね」

 戻ってからは何かと忙しく、あまり深く考えている余裕は無かった。

「久保田さん、休憩入っていいよー」

「うん。ありがとう」

 午後の休憩までは皆と時間を合わせていないので、私一人だ。せっかくだし、杏奈のことを少し考えておこう。

 この後は片付けだけなので先に着替えを済ませてしまおうと、更衣室代わりになっている空き教室に入ると、他の生徒に混じって端の席で読書をしている杏奈がいた。

「あ、雪。休憩?」

 杏奈はすぐ私に気づいて、本を閉じた。本当に、偶然よく会うものだと思う。

「うん。杏奈も?」

「そう、っていうかこの後は片付けしかないけどね」

「私もそんな感じ……あの、暇なら少し、いいかな?」

「え?うん。いいけど」

 全く考えは無いけれど、杏奈を連れて終わりかけの文化祭を回る。

「そういえばさっき、みんなで射的やったやつ。雪ひどかったねー」

「も、もういいでしょ。そのことは」

 結菜ちゃんが射的の景品を欲しそうに見ていたので、私が取ってあげようとしたのだが、全然取れなかったのだ。結局芽衣に取ってもらった。

「ゲームとは感覚が違かったの!」

「いや、芽衣が出来てたのにそれは苦しくない?」

「それは……うう……」

「あはは、ごめんごめん」

 今は、普通に話せている気がする。それならたまに感じるあの、杏奈の微妙な表情の変化は何なんだろう。

「……杏奈は、また来週から学校、来る?」

「うーん、どうかなー」

 上手く探りを入れることはできなくて、はぐらかされてしまう。

「そもそも、何でサボっちゃうの?何か嫌な事とか……?」

「ないない。特に理由なんて無いよ。それよりまだ時間あるし、ちょっと遊んでいこうよ」

 露骨に話題を逸らされて、何だか腹が立ってきた。仲良くなれたと思っていたのに、何の相談もしてくれないのだろうか。

「……いいよ。じゃあ、射的やろう」

「射的?リベンジでもするの?」

「私と勝負して。私が勝ったら、杏奈はこれからちゃんと学校に来て」

 ほとんど、ただのわがままだ。でもやらなくちゃ気が済まない。

 私は今までに無いくらい、人に対して怒っていた。

「はぁ……わかったよ。やろう」

 射的をやっているクラスに行くと、余りの景品しかないから持っていってくれと言われた。しかし私にとって問題は景品ではない。

「じゃあ五つのうち、多く倒したほうが勝ちってことでいい?」

「うん。そうしよう」

 銃にコルクを詰めて、構える。咄嗟に言い出したこととはいえ、やっぱり射的はあまり上手くない。狙いを定めて打ったが、コルクは的を捉えてはいなかった。

「うぅ……」

 しかし、杏奈と交代で打っていくうちに何とか二つを落として、二対二という状況にまで持ってこれた。

「まさか、雪にここまで追い詰められるとはねぇ」

 次は、杏奈の番だ。ここで落とされたら私の負け。もしダメでも、私も打ち損なったら杏奈は二度は外さないだろう。

「よーし……」

 杏奈が狙いを定めて、引き金を引く。それは的の横をギリギリ通り過ぎた。

「あー、ダメか」

 それでもまだ安心はできない。ここで外したら結局負けてしまう。

 緊張で震える指を何とか抑えて、狙いを定める。

 ふと、何で私はこんなに必死になっているんだろうと思った。もちろん、杏奈に学校に来てほしいとは思っている。普通に説得すればいいのに、何でこんなにムキになって、勝負なんてしているんだろう……?

「あっ」

 意識が逸れて、狙いがずれてしまった。

 最後のチャンスだったのに、逃してしまった。

「そんな……」

 やれると思ったのに。いや、私にもできるということを杏奈に見せたかったのかもしれない。悔しさと申し訳なさで、目が潤んできてしまった。

 こんな事なら、初めから……

「あっ、難しいなー、これ」

「……え?」

 顔を上げると、杏奈は既に打ち終わっていて、的はまだ残っていた。

「はい、雪の番」

「う、うん……」

 とにかく、もう本当に失敗はできない。余計な考えはやめて、的に集中する。

 杏奈と、二年生になるために……

――――――

「おめでとう、雪」

 杏奈が、景品のお菓子が詰まった袋を差し出す。私はそれを受け取るより先に、杏奈に飛びついていた。

「よ、よかった……!」

「ちょ、雪?どうしたの?」

「杏奈が、退学になっちゃったらどうしようって、私……!」

「退学?私が?」

「え、七瀬さんに言われて……」

 杏奈の話をよく聞いてみると、先生に呼び出されたのは確かに出席日数の話だったが、まだ進級などに影響が出る話ではないらしい。つまり、私たちの早とちりだった。

「まあ、勝負は勝負だからね。ちゃんと学校には行くよ。これからは」

「うん。二年生になっても、一緒にいたいもの」

「それにしても雪がそんな私のこと心配してくれてたなんてなー、嬉しいなー」

「それは、当たり前でしょ。友達なんだから」

「……ふふ、ありがと。じゃあ、私は先に戻るね」

 杏奈はそう言うと、足早に去ってしまった。

 とにかく、これで杏奈は学校に来てくれる。それだけで十分だ。

――――――

 雪の潤んだ目が、頭から離れなかった。それほどの感情を向けられているのが、自分であることに動揺して、いや、あれ以上悲しませたくなくて、無意識に外していた。

 さっき雪と触れ合った肌がまだ熱くて、その熱を誤魔化したくて小走りで教室に向かう。

「杏奈」

 教室の前まで来て、芽衣に呼び止められた。

「……芽衣、どうかした?」

「その……覗き見するつもりはなかったんだけど、見てた。さっき」

「そうだったんだ。声かけてくれたらよかったのに。あー、でもそしたら芽衣の一人勝ちだったかな」

「何でわざと負けたの?」

「……っ、」

 芽衣の目が、真っ直ぐ私を見ている。どこまで見透かされているのか、分からない。

「……わざとじゃないよ。たまたま」

「ほんと、お人好しなんだから」

 それ以上、芽衣の目を見れなくて、私は背を向けて教室に向かった。

「ただの、気まぐれだよ」






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