第4話
場面は変わる。
学校側が入学式でやることのすべてが終わった放課後のことだ。
俺は、かなり変人かもしれないが、入学式の当日からこの学校の図書館で勉強することにした。
そこでさっそく図書館に入ってみると、そこの寂れ方は尋常ではなかった。
本棚を通り過ぎると肺がむせ返り、机をちょっと触ってみると手に大量のほこりが付いた。
図書委員は、確か学校の組織上はいるはずだが、さぼっているのか今日は見当たらなかった。
まるで誰からも捨て置かれた空間。
俺はそう感じるとともに、この図書館に少し愛着が持てた。
その時の自分と同じだったからかもしれない。
俺は適当な席に腰を下ろすと、持参した数学の問題集を解こうとした。
すると、ガラガラと扉があく音がした。
俺は誰だろうと思いつつも、まあ、関係ないだろうと気にしないでいた。
そうしている間にも、足音がこちらに近づいてきた。
俺は俺以外にも勉強する人が来たのだろうと思ったので、そのまま無視を続けた。
しばらくして、前の椅子が引かれて誰かが座った。
服装から考えて女子だということは分かる。
この高校に俺の女子の知り合いなど入っただろうかと考えていると、そもそも俺には知り合いがいないことを思い出し、深く絶望した。
しかし、だとしたらいったい誰だろう。
俺は恐る恐る頭を上げる。
見上げると、そこには彼女がいた。
彼女とは俺がクラスで見とれていた彼女のことである。
「ごめんね、勉強の邪魔をして。いや、だって君があまりに熱心に私のことを見つめていたから私もちょっと君のことが気になったんだ。それで付けてみただけだよ」
「あ、ああ、そうか」
そうかで流すのもおかしいと思うが、この時の俺には尾行してきた、しかも初対面と言っても差支えがないほどの人に対して注意する勇気がなかった。
「ところで君の名前は瓜生君、瓜生豊(うりゅうゆたか)君だよね?」
「あ、ああ」
「よかったぁ。いやぁ、瓜生君があんなにしどろもどろに自己紹介するからだよ?私だってそりゃあ合っているかどうか心配になるよ」
そう、俺は自己紹介の時にしどろもどろになった。
なぜかと言うと、他人の名前になど興味がなく外を見ていたら、いきなり俺の番が来たからだ。
俺は彼女にこう質問する。
「ちなみに君の名前は?」
「ん?私?私の名前はパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ!」
そう言って彼女はにやりと笑う。
「いや、それはピカソの本名だよな。」
「アハハ!そうだね!間違えちゃった!私の名前は宮前美咲(みやまえみさき)だよ」
自分の名前を間違えるのかどうかは置いといて、彼女の名前は宮前美咲というらしい。
「それで、私に見とれていた君だけど、なんでクラスの子と話さなかったのかな?」
「見とれていた」という文言は俺に気恥ずかしさを想起させ、事実ではあるもののそれをすかさず否定した。
「いや、なに、見とれていたわけではないさ」
「ふーん、じゃあ君は何で私にあんな熱い視線を送っていたのかな?」
返答に詰まる。
それも仕方のないことだ。
なぜならあの否定は「見とれていた」ということを否定するがためだけに生み出された、その場限りの取り繕いの嘘でしかなく、少しつつけばぼろが出るのだから。
しかし、彼女は、いや、普通の人だったらそんな俺の金科玉条、俺の主張に説得力を持たせてくれる強力な依り代のことだが、それを守ってくれるだろう。
なぜなら普通の人もまた今の俺の状況と同じような金科玉条、つまり常識やら規矩(きく)やらを背負っているからだ。
しかし、そんな俺の安堵を彼女は覆した。
「その沈黙はつまり瓜生君が私に見とれていたということの何よりの証左じゃないか」
彼女はあろうことか、それ、つまり俺の後ろ盾を崩したのだ。
すなわち彼女は間接的に自分の後ろにある常識を揶揄、もっと強い言葉で言うなら崩してしまったのだ。
俺は今目の前で起こった恐ろしい事態に慄(おのの)きながら口を開こうとする。
しかし、それを制して彼女は、まるで人間を陥れた悪魔のようににやりと笑いながら、こういった。
「ああ、大丈夫だよ。そういう視線にはなれているから」
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