第33話 見て見ぬふりなんてできません



「ただいま」


 自宅に帰ると、玄関に揃えられた女性用の靴が一足。

 遥さんの靴じゃない。

 

「お帰り、春」


 リビングのドアを開け、いつもと変わらない遥さんの姿にまずは安心する。


「お帰りなさい。春さん」


 そして遥さんの向かいには、今日もきっちりスーツ姿が決まっている遥さんのマネージャーの紫雨しぐれさんが座っていた。靴の主だ。


「──ただいま。遥さん。と紫雨さん──あ、紫雨さん、先日はありがとうございました」


 サプライズパーティのお礼をすると、紫雨さんは「いえいえ」と笑う。


「春、今夜の夕食は紫雨も一緒に──あら、どうしたの? 春。なんだか浮かない表情だけれど……高校は楽しくなかった?」


「え? 全然。あ、そうだ。遥さん、お弁当すっごく美味しかった! でもあんまり手が込んだのは大変だから、たまには購買で──」


「春ぅ? 私の楽しみを奪わないでね?」


 うわ、目が笑ってない……


「あ、ありがと……あはは……お、お昼が楽しみだな……」


 弁当についてはもう遥さんにお任せしよう……


 俺はすごすごとキッチンに向かうと、空の弁当箱を食洗器にセットした。


「それで? なにがあったのかな?」


「──え? なにって……なにも……」


 洗浄開始ボタンを押した俺は遥さんを見る。

 すると、遥さんがソファの隣をポンポンと叩いている。


 い、いつものやつだ……


 無言の圧力を感じた俺は、おとなしく遥さんに従い、隣に座った。


「お友達にいじめられたの?」

「いじめられたって、もう高校生ですよ。そんな年じゃ──あ、ありがとうございます」


 俺のことを心配する遥さんに苦笑しつつ、お茶を淹れてくれた紫雨さんにお礼を言う。


 でも、さすが遥さんだ。

 俺の心中なんていとも簡単に暴いてしまう。


「ええと、俺じゃなくて友達なんです。女の子二人が変な部活に勧誘されそうになってて、それをどうしたものかと」


「あら。もうお友達が出来たのね。ん? もしかして、逢えたの?」


「さすが遥さん。じつは幸運にも今日再会することができたんだ。それで、あ、そういえば早速ここに招待しちゃったけど、大丈夫だった?」


「もちろん。ここは春の家なんだから。ん~楽しみね! 私、張り切っちゃうから! 何人くらいくるのかしら?」


「ええと、今のところ二人。あ、やっぱ三人、かな、ああ、でも二人……いや、でも……」


「ふふ。決まったら早めに教えてね。そうだ、紫雨も手伝ってよ!」


「はいはい。そのときはお手伝いしますから。それよりも春さんの話に戻らないと、ですよね」


「ん、そうよね。ごめんね? 春」


「あ、いえ──」


 紫雨さんて、すっごく仕事ができそう。

 いや、遥さんが仕事できなそうってわけじゃなくて、紫雨さんって、なんかほんとに社長秘書のお手本って感じなんだよな。

 本物の社長秘書なんて見たことないけど、きっと紫雨さんみたいな人が秘書としてバリバリ仕事を熟すんだろう。


「話を戻すと……今日聞いた話なんだけど、秀麗院の一級上の先輩が──」


 俺が話を切り出すと、紫雨さんが席を立とうとしたので、


「あ、べつに紫雨さんがいても問題はないかと……」


 気を遣ってくれているんだろうけど、追い出してしまうみたいで忍びない。


「紫雨、春がそう言うのだから大丈夫よ。あなたも家族のようなものなのだし」


「──そうですか。それではご一緒させていただきます」


 家族、という言葉に反応したのかわからないが、一瞬だけ頬を赤らめた紫雨さんは静かにソファに腰を下ろした。


「──あんまり気分のいい話じゃないですけど、大人の女性として相談に乗っていただけると助かります」


 紫雨さんが熱いお茶を淹れなおしてくれたところで、俺は喫茶店で聞いた早川君の話を二人に話した。




 ◆




 早川君からは特に口止めされていなかったので、俺はすべて聞いたままのことを話した。


「……なによそれ……酷いじゃない。教職員は、警察はなにをしているのよ……加害者の保護者だって事実を把握しているのに……同罪じゃない……」


「そのようなことがどこのメディアも取り上げていないというのは驚きですね。なにか、よほど大きな力が働いているのでしょうか……」


 やはり二人とも納得いかない点が多いのか、苛ついていることが口調でわかる。


 気持ちを落ち着かせるためか、二人は同じように冷めたお茶を飲み干した。





「でもその、早川君? よくそんな辛い話を春に打ち明けてくれたわよね。だって、今日初めて会ったのでしょう?」


 しばらくして頭の血が下がったのか、いつもの口調に戻った遥さんが疑問を口にした。  


「ん。早川君は、みつはとレコが被害に遭ってほしくないからって。かなりの勇気が必要だったと思うけど、話してくれて良かったよ。ちゃんと対策が取れるから」


 俺がそう答えると、遥さんは


「お友達もだけれど、春もそんな部活、絶対に近づいたらだめよ?」


「それが一番ですね。教師だけでなく警察をも丸め込めるとなると、高校生でどうにかなる話ではなくなりますから」


「大人としてはそういう意見になるけれど、春はどう考えているの?」


「俺は、友達がなにもなければそれで……」


 それで……?

 友達が無事なら本当にそれでいいのだろうか。

 みつはとレコになにかあろうものなら、やった奴を地獄に堕とす覚悟はある。

 だが、これといった実害が無い今の状況で、俺はなにをどうしたいんだろうか。


「それにしても“みつは”と“レコ”……ね。大切お友達なのね」


「遥。いまはそういうのは胸にしまっておきなさい」


「だって──ごめんなさい……」


 紫雨さんに窘められたて、遥さんがシュンとする。


「遥さんも気に入ってもらえると思うよ。いい子たちだから」


「──そうね。春の選んだお友達ですもの。春、お風呂に入ってきたら? そろそろ夕飯にしましょ? あ、そうそう。今日は紫雨も一緒に食べていくから」


「あ──うん。そうだね」



 俺はこの問題にどう向き合えばいいのか、頭の中を整理しようと、風呂に浸かることにした。




 ◆




 朝の四時。


 まだ早い時間に起きた俺は、眠い頭をシャキッとさせようと洗面所に向かった。

 ほぼ寝ないで考えた結果、結局答えは出なかった。


 別に早川君の力になってあげたいとか、そういうわけじゃない。

 みつはとレコの二人だって、常に俺か翔太が傍にいれば、強引に誘われて生徒会研究会に入ってしまう、なんてことにはならないだろう。


 だったらこのまま目立つようなことはせずに──


 なんて思いも浮かぶのだが。


 しかしそれだと気分は晴れない。

 心の隅にある不安のようなものも拭えない。


 ならいっそのこと──


 いや、それは遥さんと紫雨さんの言うように危険な行為だ。


 ん~。


「ああもう。こんなときどうしたら──」


「こういうときは、見たとしても見ていないふりをして扉を閉めるのがベストな選択かと」


「うぁ“! ご、ごめんなさい!!」


 俺は慌てて洗面所の扉を閉めた。


 や、やばいやばい!

 ま、まぶたの裏に、風呂上がりの紫雨さんの火照った肌が──

 焼き付いて離れないっ!


「春ぅ? こんなに朝早くからなにをしているのかなぁ?」


 げ! 遥さん!

 わ、笑ってない!


「お、俺、ちょっと走ってきますっ!」


 俺は部屋着のまま家を飛び出した。





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