第17話 来月から高校生なんですけど
春休みに入ったこともあってか、老舗旅館のロビーは多くの人で賑わっていた。
時間的にチェックインではなく、チェックアウトするお客さんだろう。
家族連れや外国人観光客、熟年のご夫婦や若いカップル、学生の集団など客層は様々だ。
ふっかふかのソファーに座って行き交う人をウォッチングしていると、人ごみの奥から遥さんがとててーと駆けてきた。
フロントでの受付を済ませたようだ。
ここですよーと手を振る。
そこの彼氏さん遥さんのこと見すぎ。彼女さんが怒ってますよ。ほら抓られた。
「ひと部屋だけ空いてた! お泊りできるね!」
そう。幸せ者とは俺のことです。
テンションが高い遥さんは声も若干大きい。
「でもこの旅館、すごい高級そうだけど……」
ふらっと訪れてぽっと泊まるような宿ではなさそうですが。
「大丈夫だって。ほら、あの外人さんなんてハーフパンツだし」
「ん、ほんとだ」
なんで外国人観光客って半ズボン比率が高いんだろう。
政府から支給されてるのかな。
「いや、服装じゃなくて、その、宿泊費が……」
「なに、そっち? そんなこと春は気にしなくていいの。私がお泊りしたいって強請ったんだから」
いや、俺ヒモじゃないですよ?
ちょっとみなさんそんな目で見ないでもらえます?
ほら遙さんも肩身の狭い俺が声のボリューム抑えてるの察して。
「お部屋は三時には用意できるそうだから、先に温泉入っちゃいましょ。貸切風呂も予約してきたから一緒に入れるよん」
そうでした。幸せ者とは俺のことでした。
遥さん語尾にハートつけるのやめてもらえます?
そうですかわざとですか。
ちょっとみなさん俺甥っ子だから。このお方はお母様の妹様だから。
俺は四方から向けられた射るような視線を掻いくぐりながら、遥さんの後ろをついていくのだった。
◆
午前中いっぱいそれぞれ大浴場を満喫して、お昼にロビーで待ち合わせをしたらいったん旅館を出て近くの蕎麦屋へ。
夜は結構なボリュームの懐石料理らしいので、お蕎麦を少しいただくくらいがちょうどよかった。
遥さんが勧めてくれた、とても美味しいお蕎麦で舌鼓を打ったら再び旅館へ。
貸切風呂は二時からということなので、それまでの三十分ほどの時間を使い、旅館がサービスで貸し出ししてくれている浴衣を選び、頃合いを見て風呂がある階へ移動した。
「んふふ~」
遥さんは浴衣を手にご機嫌だ。
余程風呂が好きらしい。
俺も風呂は好きだけど、熱い湯に長く浸かっていられない。
ここの温泉は湯温が高いので遥さんの好みにピッタリなんだろう。
俺が持っている浴衣も遥さんが選んでくれものだ。
二人で浴衣を着て、夕飯の前に温泉街を散策したいらしい。
「今度いつこうして春と旅行に来られるかわからないから、とことん楽しまないとね」
遥さんがぎゅうぅと腕を組んでくる。
そんなに強く組まなくても逃げませんから。
「すっご~い! ねえ春見て! 海が見えるよ!」
「ほんとだ」
「絶景絶景! なんか大声出したくなっちゃうね」
「そうですね」
「よし。早速入ろう!」
遥さんが感嘆の声を漏らすくらい、たしかに貸切風呂から見える景色は圧巻の一言だった。
内風呂と外風呂があり、外風呂は露天風呂になっている。その先には青々とした海がどこまでも広がっていて、湯煙越しに見るその光景は一枚の写真のようだ。
「お天気で良かったね!」
「ええ」
「太陽はどっちに沈むのかなぁ。夕暮れ時もきっと素敵でしょうね」
「そうですね」
本当に遥さんの言葉通りだ。
だというのに俺は反応が薄い。
仕方ないじゃん。緊張してるんだから。ちなみに蕎麦屋からずっとですよ。
そんな俺をよそに、遥さんはするするっと服を脱ぎ──
「ほら、おいでよ」
一糸纏わぬ姿になった遥さんが手招きする。
「──っ!」
「春?」
「ほ、ほんと海がでかい……」
すみません。景色ではなくて遥さんの透明な肌に息を呑んでいました。
「はやくってば」
わかってます。行きますから。せめてバスタオルで隠すとかですね。
俺は遥さんはもちろん、その先の美しい景色も見れずに床の木目を見ながらいそいそと服を脱いだ。
「ねえ春? いつまで体洗っているの?」
時間かかりすぎですよね。
はいすみません。ちょっと心の準備が。
「昔はよく入ってたでしょ? 春が髪洗うの苦手だったから『はるちゃん一緒に入って頭洗ってェ』なんて言っていたじゃない。懐かしいわねぇ。まだ春が三歳だったかな」
そんな昔のこと憶えてません。
あれですね「昔あんたのおむつ替えてやってたんだぜ」的な。
あんたの裸なんて見慣れてるってのに、なに意識しちゃってんの的な。
でもですね。俺、来月から高校生なんですけど。
まあ入りますけど。
「では、隣、失礼します」
「はいどうぞ。気持ちいいよ~?」
ふっ。入ってしまえばどうということはない。
ここの温泉は濁り湯──っ! なに!? 濁ってないだと!?
大浴場は濁ってたんですけど!?
すみません。隣失礼しました。少し離れます。
「ねえ春。また来たいね」
「ん。そうですね」
また来たいけど、そういうのって帰りに言うんじゃないの?
いやあ、楽しかったね! またいつか来ようね! って。
「そうだ春。頭洗ってあげる」
ちゃぽんと立ち上がった遥さんが洗い場に向かう。
頭? 自分で洗えますけど。
「ほら、おいで」
またですか。
「頭くらいもう洗えますけど」
「そんなことわかっていますけど。ほら。次いつ洗ってあげられるかわからないんだから」
なんだろうこの違和感。
「ほら。ここのシャンプー結構いいの使っているの。シャルルの美容師さんほど上手くはないけれど心を込めて洗いますよ」
俺は遥さんに頭を洗ってもらいながらも、一瞬湧いた違和感について考えを巡らせるが──。
「はい。次は春の番。私の髪、洗って?」
「え? あ。はい」
仕事が入ってしまったので、それをいったん手放したのだった。
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