第二章 決心と決断

第16話 空いてたらってことで



 卒業式の翌日──。


 俺は遥さんの運転する車で、隣県の温泉宿へと向かっている。

 遥さんが日帰り温泉のチケットをもらったので、卒業旅行という名目で早速利用させていただくことにしたのだ。


「それにしても昨日の春、カッコよかったぁ。私も学生時代のこと思い出してきゅんってなっちゃったもの」

「もう何度目ですか。いい加減勘弁してください」


 昨日、帰りに寿司を食べているときも、夕飯の時も、寝る寸前まで俺の部屋に押しかけてきたときも、そして今日も朝からずっと昨日の話をしている。


「いやよ。あの春がって思うと感慨深くて。春が女子を悪漢から助けていたなんて自慢の甥っ子じゃない」

「だから憶えてないんですって。まあ、もしかしたら直前に女子から告白されて、それで苛々して八つ当たりしたってのはあるかもしれませんけど。とにかく助けようとなんてしてないんですよ」


 数年後に電話がかかってきて『あの時の王子様、あれあんたじゃなかったから』なんて言われたら何度でも死ねる。


「それでもレコちゃんの人生が変わったきっかけになったのだからいいじゃない。ほんっと姉さんにも見せてあげたかったなぁ。あの告白」

「レコちゃんって……っていうか、ああいうのって普通遠慮して見ないものじゃないんですか。特に身内のは」

「だから最初は隠れてたわよ。でも盛り上がってきたから目が離せなくなっちゃって」

「遥さんが見てるんだったらもっとスマートにできればよかったんですけどね。アドバイス通りにしようと思ったんだど、沙月さんの良いところってちょっとまだよくわからなくて」

「そのぎこちなさがいいのよ。初々しくて。ねえ、私の頭も撫でて。レコちゃんにしたみたいにナデナデして」

「しませんから。ほら遥さん、次の信号右ですよ」


 昨日はあのあと、告白大会になってしまった。

 玉砕した生徒もいれば、見事カップルが成立した生徒もいたのだからちょっとすごい。

 正信が遥さんに告白したときにはさすがに俺も開いた口が塞がらなかったけど、遥さんは笑って受け流していたので安心した。

 あ、そうだ。正信のアドレス消去しておかなきゃ。


「そういえば遥さんは特定の相手とかいないの?」


 質問する機会は幾度となくあったけど、遥さんのプライベートな部分に触れるのはちょっと恥ずかしくて、ついぞ訊ねたことはなかった。

 俺の問いに遥さんは顔を綻ばせる。


「春が私のこと聞いてくれるなんて。三週間前では想像もできないことよね」

「それはまあ、そうですけど……」


 あのときは遥さんのことを極力視界に入れないようにしていた。

 それを思うとなんとも複雑な心境だ。


「あ、見えてきた。あの宿みたいね」

「え。あれ? うっぉ! 大きい!」

「ねえ、あの高いところにあるの展望風呂じゃない?」

「どれどれ!? あ、ホントだ! うわすっご! ちょっと想像していたよりずっと立派なんですけど!」


 日帰り露天風呂だからこじんまりとした施設なのかと思っていたら。


「ちょっと遥さん。俺、結構ラフな服装で来ちゃいましたけど、平気ですかね」


 とても格式の高そうな宿に若干たじろぐ。


「大丈夫よ。招待券だもん。気にしない気にしない」


 私に任せて、と遥さんはハンドルを片手に、胸をぽすっと叩く。


 あんな高級そうな宿、初めてだ。

 めっちゃテンション上がる。


「ねえ春。今日泊まっちゃおうか」

「泊まるって、社会人は明日平日ですけど」

「平気よ。お仕事休むから。お酒だって飲みたいし。春と初めての旅行じゃない」


 まあ旅行といえば旅行だけど。


「そんな簡単に……あ、そういえば遥さんって仕事なにしてるの? 美咲たちもえらく知りたがってたけど」


 これも初めての質問だ。

 以前は興味すらなかったっていうのに。


「気になるんだ。ねえ、気になるんだ」

「そりゃあ、遥さんのこと俺なにも知らなかったから、少しずつでも知れたらいいなって」

「あん! それは嬉しい! ねえ、今日泊まってさ、それでそういうお話いっぱいしない?」

「いやさすがに仕事休んでまではマズいですって」

「仕事なんかより春の方が大事だもん!」


 駐車場に車を止めた遥さんは『ね、ね、いい案でしょ』と迫ってくる。

 少女のような笑顔で俺の顔をのぞき込む遥さんに、


「……宿が空いてたら、じゃあそうしましょうか」


 俺は押し切られてしまったのだった。


「やった!」


 遥さんがシートに座ったままぴょんと跳ねる。

 こんな遥さんが見られるのなら、なんでもしたい。


「春の神様に歯向かってでも好きになりたい女性のこと話すまで寝かせないから!」


 なんでもはできないや。



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