第6話 沙月レコの朝
視点が変わります。
◆
テスト休みが明けて──
楽陽中学三年生の沙月レコは通い慣れた通学路を学校へと向かっていた。
生徒会長も務めた経験のあるレコは、生徒の模範となるべく背筋を伸ばして颯爽と歩くことを常日頃から意識しているのだが、今日は少し様子が違った。
普段なら絶対にしない歩きスマホを、それも堂々としているのだ。
視線は下を向き、前はまったく見ていない。
歩く速度こそとてもゆっくりだが、足先は左右にふらふらと揺れ、いくら通い慣れている道とはいえかなり危なっかしい。
そして姿勢だけでなく、表情もいつもと違い険しかった。
整った眉を中央に寄せ、眉間に小さなしわをつくっている。
レコを知る生徒がこの姿を見たら、いったい何事かと不思議に思うだろう。
「もう!」
レコはふいに立ち止まる。
「また最初からじゃないの!」
握っていたスマホをぶんぶん振りまわしたレコは、今日何度目かの地団太を踏んだ。
「ぜんっぜん取れないじゃない!」
余程悔しいのか、眦にうっすらと涙を溜め「なによサーバーエラーって!」スマホに悪態を吐く。
「絶対負けない!」
戦っている相手はとある美容院の予約ページ。
何度やってもまったく予約が取れずにいたのだった。
その美容院は初めて予約するため個人情報の入力が必要となるのだが、そこの画面にさえ容易にたどり着けない。何度ものチャレンジによってようやく入力画面に切り替わり、いくつもの情報を入力し、予約日指定のボタンを押したかと思うとサーバーエラーの表示。
家を出てからずっとこの調子である。だからなかなか学校にもたどり着けない。
ちなみにスマホに向かって叫ぶ行為は昨日の朝から続いている。
「絶対に負けないんだから!」
レコは再び歩きスマホを再開するのであった。
◆
「うそ! いけた! 初めて予約画面までいけた!」
レコは急いで予約可能な日時を選択し、予約ボタンを押す。
どうにか最終予約確認画面に切り替わる。
あとは最下段にある予約確定ボタンを押すだけだ。
はやる気持ちを抑え画面をスクロールする。
もう勝利は目前だ。
レコは勝ちを確信した。
何度目かのスクロールでようやく確定ボタンが画面内に表示された。
だがまだタップ箇所が上半分しか見えていない。
レコがずぼらな性格だったならこの時点でボタンを押して予約は完了していただろう。
だがレコは几帳面だった。そして今回はその性格が裏目に出てしまった。
レコはボタンを画面中央に移動させてから確実にタップしようと考えてしまったのだ。
そのため──
「え? なに? なに? ちょっと!」
たった一回だけ必要としたスクロールのためのタップは、タイミング悪く表示されたメッセージ通知ボタンを押す操作に強制的に使用されてしまったのだった。
無情にも画面がメッセージアプリに切り替わる。
「ちょ、ちょっと! うそでしょ!」
慌てて画面を切り替え、美容院のページに移動する。
しかしそこには
『サーバーエラー』
「な……んで……」
レコは力尽きガクリと膝をついた。
コンマ数秒の敗北。
「もう……いや……」
勝ち確から敗者に叩き落されたレコは泣きながらメッセージアプリを起動した。
「また最初から……でも頑張らなきゃ……」
ぶつぶつと呟きつつメールを確認する。そして──
『レコ大変! 早く来て! PAの様子がおかしい!』
そのメッセージを読んだレコはすっくと立ちあがる。
え? PAが?
どういうこと?
まさか誰かルールを破って告白した?
卒業間近だからフライングされた!?
「──予約は後回しねっ!」
レコはスマホを鞄にしまうと急いで学校へ向かった。
◆
「おはよう。──沙月さん?」
校門で挨拶する教員も無視して昇降口へ突き進むレコの頭の中は、様々な思いが駆け巡っていた。
負担をかけないようにPA法で告白は月一回って決まっているのに!
待ちに待ってようやく私の番が回ってきたのに!
卒業式という最高の日に最高のご褒美をもらうのは私だったのに!
どうして! どうして!
こうなったら臨時PA会議を開いてPA法を改正して新PA法を適用してなんとしてでも──
投げ捨てるように履いていた靴をロッカーにしまうとレコは廊下を走った。
ものすごい剣幕で走る元生徒会長の姿に、ぎょっとした生徒たちが慌てて左右に避け道を譲る。
話しかけてくる同級生にも、手紙を渡そうとしてくる下級生にも目もくれずにレコは階段を駆け上った。
そして息も絶え絶えに教室に飛び込んだレコは──
「う、うそ……でしょ……」
そこで繰り広げられている光景に今度こそ力尽き、へなりと床に座り込んだ。
「どういう……こと……?」
レコが目にしたのは
「その髪型すっごくいい!」
「私も同じ美容院予約したんだよ!」
「ええッ! いいな! 私もしたいけど全然取れないの!」
キラ目でPAに群がる女子たちと
「それなら緊急用の番号教えてもらったからそこに電話してみたら?」
屈託のない笑顔でその女子たちと会話をしているPA(PrinceAizaka)という、夢のような、まさに夢で見た景色だった。
◆
その直後から女性店長のプライベート用スマホはひっきりなしに女子中高生から直電が入るようになり、本来の目的を果たすことなくひっそりと解約されてしまったのはまた別の話。
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