第2話 心の声




 一晩で退院した俺は部屋にこもり、これからのことを思案していた。

 気づきを得た今、何をするべきなのか、と。

 今までの生活からは何としてでも脱却したい。

 男友達とは別に今まで通りで構わないが、女子、特に酷い言葉を浴びせてしまった女子にはどうしても謝罪をしたい。

 受け入れてくれるかわからないが、とにかく非を認め、告白してくれたことにお礼を言わなければ。


 そうと決まったら誰から始めるか。今はテスト休みなので学校に生徒はいない。ならば直接家に──ってか家知らねえし。いや、そもそもそんなの迷惑だろ。罵られた男が家に押しかけてきてくるなんて。こっわ。


 つか告白してくれた女子の名前覚えてねえじゃん。


 これは学校が始まってから長髪のナイスガイ美咲に協力してもらおう。

 あいつは女子に詳しいからな。


 なら、今ほかにできることは……


 シャツを着替えようと上着を脱ぐ。

 そのとき、腹にできた大きなあざを目にして──


 うし。まずはここから片付けるか。


 俺は部屋を出た。




 ◆




 遥さんはまだ帰ってきていなかった。

 病院での会計を済ませてくるから先に帰っていてといわれたので、美咲たちと一足先に病院を出たのだ。

 美咲たちとはその場で別れた。

「家でもう一回寝る」と説明して理解してもらえたが、それは建前で「一人になってこの状況を整理したい」というのが本音だった。


 時刻は十四時。

 なにか軽く腹に入れておこうと冷蔵庫を開けると、昨日の夕飯の残りらしきオムレツが入っていた。

 俺の好物だ。

 遥さんの作るオムレツは世界一美味しい。

 レンジで温めている間にテレビのリモコンを押す。

 オムレツを頬張りながらチャンネルを変える。

 一晩経っても変わらない美味しさのオムレツの味に、つい


「すっごい美味しいよ。遥さん」


 昨日までなら決して口にすることのなかった言葉が出た。

 それはするりと口から零れた。とても自然に。

 ああそうか。こういうことって口にすればいいんだ。

 とても気分がいい。


「俺、このオムレツが大好きなんだ」


 続けて思っていたことを言葉にする。

 こんな簡単なことができていなかったなんて。

 人生損してたじゃねえか。


「いつもありがとう。遥さん」


 ひとりのリビングで感謝を口にする。

 キモいけど気持ち良い。


 そのとき。

 後ろで鼻をすする音に全身が固まった。


 まさか。

 空になった皿をテーブルに置き、ゆっくり振り返る。


「春……」


 ノーーーーーッ!

 遥さんの侵入に気づかなかっただとぉっ!

 くそ! テレビめ!


 俺はリモコンを操作してテレビの電源をオフにすると立ち上がり遥さんに向き合った。


「お帰り。遥さん」


「た、ただいま……って春……? いま……」


 言わないで!

 死んじゃうから!

 そういうのってほら、見て見ぬふりするとか!

 ドアをばたんって音立てて入りなおすとか!


 ぐぬぬぬ。


 恥ずかしいけど照れてる場合じゃない。


「遥さん。これからは今までしてこなかった分も合わせて遥さんのことを大切にするよ。だから、これからもどうかよろしくお願いします」


 突然遥さんに抱きしめられた。

 あまりにも唐突だったため一瞬何が起きたのかわからなかったが、紅くなっている顔を見られずに済んだことにどこかホッとしている自分がいた。


 女の人に抱かれるなんていつ以来だろう。記憶にない。

 いつも女性が近くに来るたびに覚えるあの嫌悪感も、今は一切気にならなかった。

 むしろとても心地いい。女の人の躰がこんなにも温かいなんて。


「春……」


 遥さんが嗚咽を漏らす。

 俺はすすり泣く遥さんの背に両腕を回した。

 一瞬、遥さんの躰がビクリと震える。


 母さんの妹の遥さんの体は小さく、柔らかかった。そしてとても懐かしい香りがした。


 こんなに細い腕で俺を世話してくれていたなんて。


「勢いでくっついちゃったけど……」


 真っ赤な瞳で俺を見上げ、恐る恐るそう訊ねてくる遥さんに──


「ん……そういえば、大丈夫みたい」


 そう返すと、ぱあっと表情が晴れる。


「もしかして治ったの!」

「わからない。けど気分はいい」

「わーーん! ずっとこうしたかったの。でも春は──」

「うん。どうしても苦手だった。女の人が側にいることが。でもほら。遥さんとはこの通り」


 俺は遥さんの背中に回した手に力を込めた。

 遥さんが俺の顔に胸をうずめる。

 出会った頃同じくらいだった背丈は、いつしか俺の方がかなり大きくなっていた。


「無理してない?」

「してない」


 無理なんてしない。

 反対に今まで無理させてきてごめん。


「前みたいに息が苦しくなってない?」

「なってない」


 苦しいのは心だよ。

 こんな素敵な人にこれほど心配をかけていたなんて。


「本当に?」

「本当に」


 ああ。なんて心の温かい人なのだろう。

 俺は一生この人を大切にする。


「ねえハル……嬉しいけれど急にそこまで言ってくれるのはなんだが……」

「え?」


 遥さんの様子がおかしい。


「甥っ子に一生大切にするなんて言われるとほら……」

「へ?」


 まさか。


「俺、言っちゃってた?」


 こくりと頷く遥さん。


 まじすか!

 俺、思っていることを口にしちゃう系男子になっちゃったの!?

 いや。そんなの需要ねぇよ!


「でも本当のことだから。俺の遥さんに対する想いは」

「そんなこといっておばさんのこと、揶揄ってるんでしょ」

「おばさんだなんて思ったことないよ。俺にとっては遥さんは母さんより綺麗な母さんだよ」

「もう! 春大好き! またオムレツ作ってあげる!」


 ぐふ! そういえば腹まだ痛いから!




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