第5話 ”医薬品削除のお知らせ”




 「セレン!ジンに聞いたよ!トビー連れて来た!」


 「鮫咬傷、大丈夫ですか?……誰がトビーだ!」

  

 伊丹鈴江と、みんなの飛川先生が軽妙なノリツッコミを交わしながら現れた!


 「わあ、飛川先生!」セレン。


 「わあトビーだ!」裏声で、片口先生。


 「誰がトビー……ああっ、いづる先生!当直でしたか!」


 飛川先生がノリツッコミからの、親しみのこもった笑顔を見せた。


 台無大学オリジナルメンバーだった飛川先生はこの優秀な放射線読影医が大好きで、ほぼ同期に近い年齢の割に、質問がてら読影室まで遊びにいったりする。


 早い話、尊敬しているのだ。


 「最近変なのがよく来ますな。決まって若い男だ。高圧電線にぶらさがったとか、熊に殴られたとか……馬鹿なこと言って来る」


 「ええ、ええ」片口先生がうなずく。


 「しかも、上級医が来るとベッドはもぬけの殻です。付き添いもいません。一緒に、逃げちゃったみたいで」


 「ますます怪しい」飛川先生。


 「警察にそろそろ相談しないと。こんな田舎に、若くて可愛い研修医がいるから、もしかして研修医目当てで……あっそれは何?CT?」


 飛川先生が片口先生の後ろにあるモニターを目ざとく発見した。


 「あなたは注意転動のケがある」片口先生がぴしゃりと言った。


 「CTなんか撮るわけないでしょう、こんな外傷に。なんの意味があるっていうんです、ねえ?」


 片口先生はセレンの方を向き、人懐っこそうな、魅力的な笑みを浮かべた。


 セレンは言葉も出ない。




 「でも、あの人は本当にグッサリと傷があったんだよ。前腕に、本当に鮫に噛みちぎられたような」セレン。


 「それに、何だって片口先生は全身CTなんて撮ったんだろ」


 「しかもエンハンスですからね」


 ジンが本から目をあげ、セレンに隣に座るよう畳を叩いた。


 「普通じゃ考えられない」


 「学術的興味だろ」ケイがつまんなそうに言った。


 「健常な成人男性のエンハンスがどうしても欲しかったとかじゃねーの?」


 「そんなの、偉い先生でも許せない。造影だなんて、造影CTって、大変な検査なんだよ」


 セレンはジンの隣に落ち着く。


 「ですよねえ。リスクは少ないといえ」ジンはのんびり言った。


 「謎多き病院です」




 まあ、そんなことはどうでもいい。


 おかしなお客が増えようが増えまいが、我々研修医の役目はただひとつ、あるいはふたつ___患者さんの苦痛を取り除くこと、できるならば……かなり困難なことではあるが……それに付随した病を取り除いてさしあげることだ。


 お客さんがもしも火星人、木星人と言い張ったって構わない。


 ためらわずに局所麻酔を施し、傷口を6-0のナイロンで縫ってさしあげよう、それが私たち研修医の務めである。




 「セレン先生、また403の政井さんが、こっそり病室を抜け出してお酒を飲んでますよ」


 文句を言うは今年入りたての癒し系看護婦、山本ちゃん。


 セレンとは同期なので仲良し。


 この政井さんは避暑目的に台無山に遊びに来たのは良いが、もともとかなりののん兵衛。


 駅前に唯一ある居酒屋、『三河』で例の如く飲み過ぎて意識朦朧状態になり、急性アルコール中毒として台無病院は救急外来に運ばれてきたはよいが、もともとの生活習慣の悪さゆえに軽めの急性膵炎を併発しており、渋々入院と相成ったのだがこのざま。


 「なに~?」


 セレンが可愛い声で怒ったふりをする。


 「こないだは、地下の倉庫の前で飲んでました!」山本ちゃん。


 「私を見ると、『こちとら太く短く生きる覚悟はできてるんだ!』ですって」


 「そうはさせないわ」セレン。


 「絶対にやめさせなきゃ。というか、入院時からTGがなかなか下がって来ない原因はそれね!雲居先生に相談しないと」


 雲居先生は総医局にもラウンジにもいなかった。


 セレンはふたつの意味で良い研修医だった。


 ひとつ、当番でもない土曜日に出勤している事。


 ふたつ、本当に緊急の用事以外、上司に電話をかけないこと。


 そろそろスズメの夕回診も終わったころだろうし、一緒に台無アパートに帰ろう、と思うと、珍しく、4階に行く階段___屋上に続く階段のフロアの、電気がついていることに気づく。


 好奇心いっぱいのセレンが階段をのぼっていくと、屋上に続くドアの鍵は開いている。


 そっとドアを開けて夕暮れの風が涼しい屋上に踏み出す。


 見回すと、屋上の端に、くれなずむ台無山の方を見ている白衣の人影。


 雲居先生だ。


 陽が沈んだ空、ど田舎の台無医療センターの屋上からはすでに無数の星が見える。


 雲居先生は、セレンに背を向けたまま、呟く。


 「見てごらん、セレン先生。このいっぱいの星を。都会じゃ見れない、夜空のネオン、そうは思わない?」


 セレンは雲居先生に歩み寄る。


 「僕はね、こうやって、広大な宇宙の中に身を置くと、いかに自分と言う存在が孤独か、いかに自分の悩みがちっぽけか。思い知らされる気がするんだ……こんな広い宇宙の中に、たったひとり。そう思わない?」


 セレンは強くうなずく。


 夕暮れと屋上とハンサムな内科医、そして宇宙の話。


 これ以上のシチュエーションってない。


 「こんなに大きな宇宙に、たったひとり……」セレンがリピートアフターミーする。


 雲居先生が明らかにセレンに向き直る。


 「あれっ、今日なんかミーティングだっけ?」


 「ちがいますちがいます」セレン。


 「屋上の扉、あいてたから誰かいるのかなって」


 「そうなの?じゃあちょうどよかった、この夕焼け、セレン先生にも見てもらいたいなと思ってたから」雲居先生がセレンにウィンクする。


 セレンはめろめろだ。


 雲居先生さえいれば、宇宙なんてこの際どうでもいい。


 はやく研修医室に戻って、スズメに自慢したい。

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