第4話 ”TO AND FRO”




 かんむり座流星群。


 確かにその日から、おかしな客が増え始めたような気もしないでもない。


 「鱶にやられたんです」


 目がキラキラしている、それがセレンが最初に思ったことだ。


 それはまるで、もの皆全てが珍しい、赤ちゃんの瞳のよう。


 時間外診察室に鎮座します、白衣のセレンの対面には、痩せぎすの男。


 カルテ上の年齢は決して若くなく、青いずたずたのナイロンコートを羽織って、泥と海水で変色した長靴を履いていたが、スッキリした外見と、輝く大きな瞳は、なんだか少年のようだ。


 腕をまくり、無残なる噛み傷を、シーツの上にさらす。


 「ふか?」


 セレンが繰り返す。


 「鱶。サメです。沖合いに潜って、岩の隙間から、サザエを採っていた。海上に、上がろうとしたら、夢中で、気がつかなくって。鱶の尻尾に頭が当たりました。奴も驚いたみたいで、襲ってきた。僕も避け切れなくて、でもすぐに船にいた奴に上げてもらって、被害は腕だけで済んだんです」


 「それは大変。……ジンに電話しなきゃ」


 「ジン?」


 男は顔面筋に疑問の表情を浮かべる。


 セレン、心の声が駄々漏れなことにきづく。


 咳払いをし、


 「とにかく、まずは点滴です」


 こういう珍しい怪我の対処法は、4人の中で1番キレル研修医、八角ジンに聞くのが妥当だ。


 院内PHSをジンにつなげるセレン。


 「ジン!あ、もしもし?今忙しかった?」


 病室で手袋を脱ぎ捨てた直後のジン。


 「ダイジョブです」電話に向かって微笑む。


 ジンは癒し系のセレンが大好き。


 「今、CVいれ終わったとこ」




 「サメですか……これだけの傷、破傷風は一応接種歴あっても打っておきましょうか」ジン。


 「そうだね」セレン。


 「痛みがあれば鎮痛剤を。生食で洗って……それから、これは今日の当直の上司に相談するべき症例です」ジン。


 ジンのアドバイスはいつも的確だ。


 それから、ふと気づいたようにジン。


 「今日の当直って画像診断部の先生でしたね?」


 「そう。片口イヅル先生。まだ会ったことないけど」セレン。


 「初めての先生だとちょっと聞きづらいですね。誰か院内に知っている先生がいないかな」ジン。


 「トビー(※飛川先生)がまだいるかも。17時だし、さすがにまだ帰ってないと思う。トビー優しいし」セレン。


 「トビー、呼んできましょうか」ジン。


 「うーん、でも、トビー忙しそうだし、意を決して当直の……片口イヅル先生とやらに当たってみる」セレン。


 「分かりました、何かあったら呼んで」ジン。




  『それは、CTを撮って』


 CT?


 マジかよ何言ってんだこいつ?


 セレンは院内PHSを耳に、率直にそう思った。


 電話越しの片口先生は外見が非常に期待できる、優しい声の持ち主だった。


 でも、患者さんにはあまり優しくないようね。


 「ええと」セレン。


 「CTと仰いました?」


 『ええ。頭、頚部、胸、腹、骨盤。念入りに。造影剤を使って』


 「先生、お言葉ですが……彼、単なる腕の外傷です」


 セレンは半信半疑だった。


 女性ではないにしろ、若い成人男性にCTを撮るのは被爆のリスクが多少ある。


 それに造影剤なんて追加すれば、下手すると医療訴訟ものだ。


 しかもその指示を、造影剤の恐ろしさを知り尽くした、他でもない放射線科医のベテランが指示しているのだ。


 ベテランは明るい声で、かつ、はっきりとした有無を問わせない口調で、


 『僕が責任をとりましょう。君は、やるんだ』


 セレンは腹をくくる。


 なんたって私はまだ研修医なんだから、経験を積んだ百戦錬磨の先生に、知識で勝てることなんて無いわ。




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 「セレン先生、何固まってるの?」


 これはアラフォー美人の佐藤看護婦だ。


 セレンの背後からモニターをのぞき込む。


 「セレンというか、モニターがかたまってますね」セレン。


 「これなんでしょう?」


 「エラーね」佐藤看護婦。


 本体に付属するモニターには謎の表示が出現し、パンダビューアーが本来CTを映し出すモニターは一面真っ青。


 ふと、後ろから若々しい男性の声が響く。


 「こんばんは」


 あのPHSの声だ。


 「あ……」セレンが振り向く。


 白衣の男が立っている。


 「お待たせしました」


 画像診断部の片口イヅル先生は、およそ42歳とは思えない若々しい見た目の持ち主であった。


 ジェットブラックの黒髪、それと同じくらい真っ黒な瞳は大きく、形は半円状の笑い眼。


 スリムな体型に、ブランドものの白衣を羽織り、丁寧な言葉遣いがよく似合う。


 エリート医師のお出ましって感じ。


 「鮫咬傷」片口先生、楽し気に続ける。


 「どこですか?」


 「2番ベッドです、それで、先生。パンダ・ビューワーになぜかエラーコードが出ちゃって。このエラーコードは、多分、管理者に直接……」


 「まずは、患者さんに会わせて」


 片口先生は、落ち着いた声でニッコリと微笑む。


 セレンの頭に貴公子の3文字が浮かんだ。


 この先生、貴公子だわ。


 「患者さんはこのカーテンの中です」セレン。


 カーテンをのぞくと中はもぬけの殻だった。


 「おかしいわね。このカーテンから出たら、絶対に分かるのに」佐藤看護婦。


 「おトイレですかね?」セレン。


 「いいえ」片口先生。


 「この患者はもう、戻ってこないでしょう」

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