第7話 銀座バーのママ故に体験できたエピソード

 作詞家として言わせてもらうが、この頃の歌は、歌詞先行じゃなくて曲先行。

 歌手もリスナーも歌詞の意味がわからないまま、ただチャカチャカとテンポの速いイントロにのって、踊りながら歌っている時代である。

 これって、理屈よりも感情が先行し、そのアドレナリンを紛らわすために、歌っているみたい。

 だから、妙に精神病が流行る危険な兆候じゃないかと思ったりする。


 人間、どんな環境に置かれようと、金が無くなり借金だらけになろうと、病気で寝たきりになろうと、夢だけは捨てちゃダメよ。

 私は小学校から成績優秀の女子学級委員で、夢は詩人になりたいと思うほど活字好きだったが、高校一年のとき、運命が急降下し、水商売の世界に身を置くことになった。まるで、凍った血のように、紅く冷たいネオン街に延々二十年間も、身を置いていた。

 まあ、私の場合は、水商売の上澄み部分ーまるで、ケースに保護されたブリザードフラワーのようにいちばん華やかで安全な部分だけで生きてきた、非常にラッキーな人間であるが、逆に借金を抱え、堕ちていく人、または男性に恨まれて無惨な殺され方をした女性を見てきたし、自らも裏切られたりした稀有な体験が、作家としての骨組みになっていたと断言できる。

 裏切りは、裏切られた方よりも裏切った方が孤独な冷たい檻のなかでしかない。

 子供が母親を慕うように無邪気に信じてくれたのに、それをいっときの目にみえる金や名誉のために、目に見えない信用を失くしてしまう。

 私が、平凡な主婦におさまっていたら、到底活字の世界で活躍することなど、できなかったであろう。


 かくゆう私も、結婚詐欺に引っ掛かりかけたことがあったっけ。

 あれは雨の日 店はヒマだった。

 ちょうど、救いがあらわれたかのように、一見紳士風の男が入ってきた。

 ホステスと騒ぐでもなく、静かに飲んでいる。

 銀座のバーの雰囲気を楽しみにやってきた、地方出身の資産家のようなムードを醸し出している、今までには見たこともない稀有な存在にうつった。


 水商売にとって、こういう客はまさに神様のような存在。

 地味なスーツに身を包み、惜しげもなく高価なボトルをとり、スローペースのこの男は、銀座の喧騒のなかで新風を吹き込むエトランゼのようだった。


 私たちは、水商売のこと以外は、案外世間知らずなことが多い。

 役者子供という言葉があるが、私たちはネオン街子供である。

 歌舞伎の世界では、子役から活躍していた役者は、その世界では大人以上に詳しくても、一般常識に欠けた子供と同じである。

 それと同様、私たちは子供のように夢を信じ込む、妙に純粋なところがある。

 厚化粧の裏にかくれた純粋さにつけ込み、ホステスから金と心を奪い取る専門の詐欺師も存在している。


 二十四、五歳くらいだろうか。

 見るからに育ちの良さそうな男は、いつも私を見つめてくれていた。

 なんとなく、ネオン街にポッと太陽の光が差し込んだようだった。

 まるで、小学校の教師のような温かく包み込むようにまなざしに、私はいつしか魅かれていた。

 もちろん、金払いもよく、一日に十万円以上キャッシュで支払ってくれる有難い上客だった。


 そんな夢うつつのような日が一週間ほど続いた頃だろうか。

 ある日、男は言った。

「ねえ、ママ、僕は最初あなたを見たときから、一目ぼれだったんだ。

 だからこうやって、毎日通い続けてたんですよ」


 

 

 

 

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