エピローグ
異端審問官
「……」
テディは中庭の光景を館の中から静かに見ていた。
中庭には四人の姿があった。何やら楽しそうな雰囲気だ。
(シャノンとエリカが来てから、ヨハンもケイティも明るくなったような気がするな)
恐らく気のせいではないだろう。
ヨハンもまるで心を入れ替えたように言うことを聞くようになったし、ケイティも表情が柔らかくなったような気がする。
(……シャノン。不思議なヤツよ)
子供にしては妙に聡い。
その上、子供とは思えないような顔を時折見せたりする。
どうにも中身と見た目が合っていないような、そんなチグハグな印象を受けることがあるのだ。
(……通りすがりの魔術師か。いや、だがそれについてはリーゼの言うとおり、やはり我が輩の考えすぎなのだろうな)
確かにシャノンは利発だ。
しかしながら、それと例の魔術師とはやはり分けて考えるべきなのだろう。
いくらシャノンが年齢に見合わず賢くとも、あれほどの魔術知識を保有しているのはやはり無理がある。
「テディ様。出発のご準備が整いました」
ラルフが姿を現した。
テディは振り返って頷いた。
「分かった。それでは行くとしよう」
二人が玄関ホールにやってくると、ちょうどケイティが館の中へ入ってきたところだった。
「おや? お爺様、どこかへ行かれるのですか?」
「ああ。ちと王城にな」
「そうでしたか。いつ頃戻られるのでしょう?」
「まぁ、夜には戻っておるだろうて。他の者にも伝えておいてくれ」
「分かりました」
「それと、万が一ラファエルのやつが帰ってきたら縄でふん縛っておいてくれ。たまには夕食に顔を出させんとな」
「はは……まぁ、帰ってきたら引き留めておきます。帰ってきたら、ですが……」
「まったく、あやつは今が安息月だということを完全に忘れておるな」
「そういうお爺様もお忙しいのは相変わらずではないですか」
「あやつほどではない。今日もただの野暮用だ。では、行ってくる」
「はい、お気をつけて。ラルフ、お爺様を頼んだ」
「はい、お任せくださいませ。それでは行ってまいります」
ケイティに見送られて、ラルフとテディは館を後にした。
……しかし、ラルフの運転する陸行艇で王城へ向かう間、テディは非常に険しい顔をしていた。
それはとても、野暮用を済ませに行く人間の顔ではなかった。
μβψ
テディは王城へやって来ると、そのまますぐに玉座の間を目指した。
警備のために立っている近衛騎士たちは、テディの顔を見ると慌てて胸に手を当てて敬礼した。彼のことを引き留めて誰何するような者は一人もいなかった。
「陛下、ただいま参りました」
「……ん? ああ、来たかテディ」
テディが姿を見せると、玉座にいたフレドリックはやや疲れたような顔を向けてきた。
現国王フレドリック・スクラヴィアはかなり若い。実はリーゼとは年齢が同じである。というか二人は王立学校の同期生だ。
これはいつもテディが思うことだが、フレドリックはとてもリーゼと同じ年齢とは思えないほど達観して物事を見ている。
何となくだが、その辺りの雰囲気がシャノンに似ているような気もした。
「……む? どうかなされたのですか? お疲れのようですが……」
「むしろ疲れないことの方が少ないからな。誰か玉座に座るのを代わってもらえまいかと毎日思っているくらいだ」
「お戯れはよしてください。他の者が聞いたらご乱心なされたと思われますぞ」
「いっそのことそうなりたいよ、おれは」
と、フレドリックは少し砕けた口調で肩を竦めた。
「陛下!! このラウレンツ――ラウレンツ・オキーフがただいま馳せ参じましたぞ!!」
そんなことを言い合っていると、もう一人玉座の間に姿を現した。
現れたのは老人と言ってもいいような腰の曲がった男だった。
と言っても、実はテディと年齢は同じだ。つまり70歳である。
彼ははこの国では有名な魔術師だった。
名はラウレンツ・オキーフという。
魔術師の家系にある大貴族で、この国の魔術師たちを束ねる組織〝王立技術研究所〟――通称王立技研の所長である。
ようはこの国の魔術師のトップだ。
実年齢より老けて見えるラウレンツと、実年齢よりかなり若く見えるテディが並んでも、この二人を同じ年齢だと思う人間はいないだろう。
ただ、ラウレンツは老けてこそ見えるが生気を失っているわけではなかった。むしろ妙な迫力がある。
窪んだ目はぎょろぎょろしていて、つねに忙しなく動いている。髪はもうほとんど無いが、その代わり立派な白髭が蓄えられていた。
「ラウレンツも来たか。お前も相変わらず、テディに負けず劣らず元気だな」
「ひょひょひょ!! ワシもまだまだ現役でございますからな!! 歳を取れば取るほどに衰えるどころか頭が冴えてくるばかりでございますじゃ!! ひょひょひょ!!」
ラウレンツはひとしきり笑うと、テディへと目を向けた。
「テディも来ておったか。貴様は相変わらず老けんな。実は魔族なのではないか?」
「ふん、我が輩はつねに筋肉との対話を重ねておるからな。それが健康の秘訣よ。そういうお主はもう立派なジジイだな。部屋に籠もって数式と睨めっこばかりしておるからそんなヨボヨボになるのだぞ」
「魔術師に必要なのは脳の質だ。貴様のように脳まで筋肉に浸食されては魔術師としては終わりなのだ。それでは死んだも同然じゃわい」
「なにおう!?」
「なんじゃ!?」
「待て、そこまでだ。会うなり喧嘩をするな、まったく。相変わらず仲が良いなお前らは」
「「そんなことはございません」」
二人の声がハモった。
この二人はかつて王立学校の同期だった。なので、もうかなり長い付き合いだったりする。
フレドリックは少し笑ったが、すぐに真面目な顔になった。
「……もうすぐ、教団から派遣された異端審問官がやってくる。テディにはあの時のことを証言してもらうことになるが……本当にうまくいくだろうか?」
「ご安心ください、陛下。わたしは確かにこの目で女神の加護を見たのです。そう言い切れば、相手もこちらの証言を無碍には出来ますまい。後は現場に残されていた例の残骸を見れば、連中の興味はそちらに移るでしょう。我が国への異端審問は回避できましょうぞ」
「ぜひそうなってくれるといいが……意地の悪い異端審問官ではないことを祈るしかないな。ラウレンツ、必要な資料などは揃えておいてくれてるだろうな?」
「もちろんでございますとも、陛下。我が国には教団に調べられても困るようなことは一切ございませぬからな。調べたければ好きなだけ調べてもらえばよろしいのです。それに〝禁忌〟に抵触するような愚かな真似をする上級魔術師は我が国にはおりませぬよ。なぁに、我らは教団に対し従順でおれば良いのです。異端者がいるとすれば、それは我が国とは関係のない者なのですから。異端審問さえ回避できればどうとでもなります」
「ふむ……まぁ実際そうなれば言うことはないのだがな」
フレドリックはしかし、どこか険しい顔で答えた。
「陛下! 伝令です! 飛行艇が視認できました! 間もなく異端審問官様がご到着なされます!」
近衛騎士が慌てた様子でやってきた。
三人はすぐにお互いの顔を見合わせた。
μβψ
三人は玉座の間を後にした。
飛行艇が降り立つのは王城の敷地内にある発着場と呼ばれる場所だ。教団の使者が乗ってくる飛行艇が着陸するための場所である。
教団の人間は〝使徒階級〟である。
使徒階級は貴族よりも上位存在だ。なので、もちろん王が自ら出迎える必要がある。そうでなければ大変失礼なことになってしまう。
飛行艇は王城の上空で停滞すると、そのまま垂直にゆっくりと降りてきた。
その様子をテディは不思議な感覚で見ていた。
(……飛行艇は我らにとっては〝禁忌〟に該当するものだ。どうやって飛んでいるのか、そもそもその技術すら開示されていない。あのような大きな物が、なぜあんなにも簡単に浮かび上がるのだろうな……?)
飛行艇は陸行艇よりずっと大きい。
陸行艇は地面からわずかに浮いているが、決して空を飛ぶことはできない。きっと空を飛ぶための技術と、陸行艇が浮き上がるために使われている技術は根本的に違うのだろう。陸行艇はあくまでも、陸上で使うためのマギアクラフトだ。
飛行艇はまるで巨大な鉄の塊だった。
と言っても、これはまだ小型の部類だ。
大型の飛行艇を過去に見たことはあるが、あれは本当に人知を超える大きさだ。確かに、あれが空を飛ぶには神の叡智がなければ不可能だろう。
飛行艇が地面に着陸し、タラップが入り口から伸びた。
三人は異端審問官を出迎えるために、膝を突いてその場に待機した。
(……しかし、命を助けられた身で〝恩人〟を教団へ差し出すというのも心苦しいものはあるが――)
通りすがりの魔術師がいなければ、間違いなく自分は
だが……王国は通りすがりの魔術師と無関係であることを証明しなくては異端審問にかけられ、下手をすれば〝粛清〟される可能性もある。
ならば全て伏せたまま、教団に隠しておいた方がいいのではないか?
そう思う人間もいるだろう。
だが、それが最も愚策だ。教団は必ずどこからか情報を手に入れる。
一瞬、テディの脳裏にシャノンの顔がよぎったが――すぐに追い払った。通りすがりの魔術師とシャノンは無関係だ。思い過ごしである。きっとそうだ。
(いや、きっと通りすがりの魔術師は教団関係者なのだろう。そうでなければあれほど高度な魔術知識を持っている道理に説明がつかぬ。我らはとにかくありのままあったことを説明し、潔白であることを証明するしかない)
あの改造された機械馬が何かの〝兵器〟なのだとすれば、スクラヴィア王国が禁忌を破って新兵器を開発したのだと教団に思われかねない。
教団への背任を疑われたら、その時点で終わりだ。それだけは回避せねばならない。
やがて、中から人が降りてきた。
まず降りてきたのは二人だった。
女と男だ。
恐らく女の方が
先にタラップを降りてきた女が、男を従えているように見えた。
ちら、と少しだけ視線を上げたテディは驚いた。
女はまだかなり若かった。
教団関係者の白い正装を身につけているが、容姿は特に目立ったところはない。強いて言えば眼鏡をかけていることくらいだろうか。髪は後ろで結っている。なんというか――普通、という感じの女だった。
「遠路はるばる、ようこそ我が国へいらっしゃいました。恐悦至極に存じます。国王のフレドリック・スクラヴィアでございます」
まず、フレドリックが挨拶した。
もちろん膝を突いたまま頭を垂れている。一国の王ですら、使徒階級にはこうするのが礼儀なのだ。
「お出迎えありがとうございます。お顔をお上げください、フレドリック様。それと後ろのお二人も」
「はっ」
フレドリックが顔を上げてから、テディとラウレンツも顔を上げた。
女はにこりと人の良さそうな笑みを浮かべていた。
恐らくフレドリックよりは年上だろうが、十分に若い。テディからすればまだまだ小娘と言っていい相手である。
(……随分と若いのが来たな。もしかして下っ端の新米が派遣されてきたのか……?)
と、テディは思わずそう思った。
恐らく他の二人も同じ事を思ったのだろう。何となく、さっきまであった緊張感のようなものが和らいだような感じがした。
「わたくし、異端審問官のミア・ドレスラーと申します。よろしくお願い致しますね?」
すっ――と女が薄く目を開いた。
その瞬間、テディは背筋がゾッとした。
ほんの一瞬、女が得体の知れない何か――そう、〝化け物〟のように見えたのだ。
だが、それは見間違いだったのか、ハッと我に返ると女には不気味な気配など欠片もなかった。
テディは思わず目頭を押さえた。
(……見間違いだったか? 一瞬、この
テディは他の二人の様子を窺ったが、特に変わった様子はなかった。
……自分だけだったのだろうか?
思わず首を捻ったが――しかしながら、彼のこの直感は正しかった。
例えば平民が貴族社会のことに疎いように、貴族たちも上位存在である使徒階級の世情には疎い。
元々からして、使徒階級は閉鎖的な社会だ。彼らが普段どういう生活をしているのかすら、貴族たちはよく知らない。それほど使徒階級の世界は俗世とは隔絶されているのだ。
故に、この三人がミア・ドレスラーの名を知らなかったのも無理はなかった。
……だが、もしこの中に一人でもこの女のことを知る人間がいれば、すぐにでも走って逃げ出していただろう。
ふふふ――と、女は笑っていた。
彼女の瞳は、まるで血の色のように真っ赤だった。
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