32、ヨハン、泣く

「だ、大丈夫ですか!? ていうか生きてますか!?」


 ヨハンは地面に倒れたまま、放心したように四肢を投げ出していた。肩で息をするほど呼吸は乱れていたが、その目は頭上の空をぼんやりと眺めていた。


 ……よ、よかった。とりあえず死んではいないようだ。

 それに見たところ大きな怪我もしてないように見えた。

 おれはヨハンの傍にしゃがみ込んだ。


「ヨハン様? 聞こえます? 頭とか打ってませんか?」

「……負けた」


 ぽつり、とヨハンは言葉を漏らした。

 すると、その両目にぶわりと涙が溢れだした。

 おれは慌ててしまった。


「ど、どうしました? どこか痛いんですか?」

「う、ぐうう……! 負けた……! ぜんぜん勝てなかった……!」


 溢れだした涙はあっという間にヨハンの顔をぐしゃぐしゃにしてしまった。

 さっきまでのちょっと男らしい雰囲気など完全に消え去って、年相応の子供のように泣きじゃくり始めた。


「うわああああん!!」

「ヨハン様!?」


 どうやら痛くて泣いているわけではないらしいが……ど、どうしよう? 子供のあやし方なんて分からんぞ、おれには。

 と、とにかく怪我の手当を――


「泣くな!! ヨハン!!」


 いきなり大きな声がした。

 思わずビクリとしてしまった。

 振り返ると、ケイティが怖い顔でそこに立っていた。


「マギル家の人間ともあろう者が人前で泣くな!! みっともないぞ!!」

「ケ、ケイティ様、そんなに怒らなくても……」

「いいや、シャノン。ここで甘やかしてはいけない。それではこいつのためにはならん」


 ケイティはさらにずいっと前に出ると、倒れたままのヨハンをそのまま見下ろした。


「立て、ヨハン。泣いている暇があれば立て。それでもマギル家の人間か、お前は」

「うぐう、ひぐ……ッ!」

「剣術とはただ小手先の技だけを鍛えればいいというものではないぞ。心も鍛えるのが剣術というものだ。どうした、お前の剣術はその程度なのか? ただ一度負けただけで泣き喚く程度のものだったのか?」

「う~~ッ!! うるさーーーーい!!」


 ヨハンは声を張り上げると、素早く上半身を起こした。

 ぼろぼろと泣きながら、強くケイティのことを睨みつけていた。

 まさか言い返されるとは思ってなかったのか、ケイティに少したじろいだ様子が見えた。


「な、なんだ? 何かわたしに文句でもあるのか?」

「姉様はいっつもそうだ! なんでそんなにいつも怒るんだよ! ボクだってボクなりに頑張ってるのにいつも偉そうに叱ってばっかで……お母様はもっとたくさん褒めてくれたのにッ!!」

「――」


 ヨハンから母の言葉が出た途端、ケイティはまるで心臓でも射貫かれたような顔をした。


「みんな嫌いだ!! もう大っ嫌いだ!!」


 ヨハンは立ち上がると、泣き喚きながら館に走って行ってしまった。

 いや、元気だな!? もう走れるのかよ!? すげーなあいつ!?

 って、感心してる場合じゃねえ!?


「ちょ、ケイティ様!? 追いかけなくていいんですか!?」

「――え? あ、ああ、そうだな。すまない、ちょっとヨハンを追いかけてくる!」


 ケイティはハッとしたようにヨハンを追いかけていった。

 肩をつんつんされた。

 気がつくと魔王がすぐ傍に立っていた。

 ちょっと気まずそうな顔をしていた。


「……あー、すまん。ちょっとやりすぎたか?」

「ちょっとじゃねえよ!? 完全にやりすぎだよ!?」

「いやぁ、あいつの放った最後の打ち込みが思いのほか鋭くてな。手に力が入ってしもうたわ。テヘペロ☆」

「あーもう絶対こうなるって思ってたわ!! おれ完全に未来予言してたわ!!」

「いや、でも本当に本気は出してないぞ? あくまでもそういう雰囲気を見せただけだ。つまりこれは――セーフだ」

「完全にアウトだよ!!」


 魔王と小声でやりとりしていると、背後に誰かの立つ気配がした。

 ギクリ――として振り向くと、そこにはテディが立っていた。

 ものすごい形相だった。


 ああ!? 怒ってる!? さすがのテディもめちゃくちゃ怒ってるぞ、これは!?

 ええと……ええと……と、とりあえず謝ろう!!


「申し訳ありませんでしたッ!!」

「む? なぜ謝るのだ?」

「へ?」


 テディは怪訝な顔でおれを見ていた。

 そこには怒っているような気配がまるでなかったので、おれは「あれ?」と思った。


「……い、いえ、だってその、孫のヨハン様にとんでもないことをしてしまって……泣かせてしまいましたし……」

「なに、気にするな。あれくらいなら大丈夫だ。あれでもマギル家の男だからな。それに今回のはことはあやつにとっても良い薬になったであろう」

「……? どういうことですか?」


 テディは溜め息を吐いた。


「あやつはすぐに調子に乗る悪い癖があるからな。剣術の才能は確かにあるのだが、そこが玉に瑕だったのだ。まぁ、こうやって同年代のエリカに思いきりやられたのだ。これであやつも、上には上がいると言うことが理解できただろうて」

「……もしかして、テディ様は最初からこのつもりでエリカとヨハン様を勝負させたんですか?」

「ま、そんなところだ」


 テディは軽く肩を竦めてから、魔王にのしのしと近づいた。


「だが、結果は思っていた以上であったぞ、エリカよ。先ほどお主が見せた闘気……あれこそ正に強者つわものたる証拠よ。その年齢であれほどの気配を発するとは、お主はやはり天才であるなッ!! この我が輩の目に狂いはなかったッ!!」


 テディは目をくわっ!! と見開いて魔王に迫った。

 さすがの魔王もちょっと引いていた。


「は、はあ……いえ、あの、ちょっと近い……というか暑苦しいんですが……」

「こうしてはおれん!! お主には学校に入るまで、我が輩が直々に剣術を教えてやろうではないか!! さあ、善は急げだ!! すぐに稽古に入るぞ!!」

「あの、テディ様? ヨハン様のことは放っておいていいんですか?」


 おれが恐る恐る訊ねると、テディは少しだけこちらを振り返った。


「すまぬがシャノン、あやつのことはお主に任す。我が輩のようなジジイでは、あやつの求める言葉をかけてやれぬであろうからな」

「え? それはどういう……?」

「さあ、行くぞエリカ!! お主は我が輩とこれから稽古だ!!」

「ちょ、あのテディ様? わたしは稽古するとは一言も――」


 あー、と魔王はそのままテディにずるずる引きずられていった。

 ……何だったんだ、いったい?

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