19,ハンナ、消える

「……お前、なにやら朝からボロボロだな?」

「色々あったんだよ……」


 そろそろ朝食の時間だった。

 これから一日の始まりのはずだが、すでにおれは満身創痍だった。


 ……テディがいるからか、ダリルがいつもより張り切っておれに稽古をつけた結果がこれだ。

 いやいや、ぼくいま子供ですからね?

 頭脳は大人だけど、見た通り子供ですからね?

 魔術以外には本当に取り柄とかないですからね?


「いてて……ちょっと朝食になるまで休むわ」

「そうか。なら、ちょっとこの皿をテーブルに運んでくれ」

「いま休むって言ってたの聞こえた!?」

「聞こえたが?」


 それが? みたいな顔された。

 どうやらちゃんと聞いた上でおれに命令しているようだ。

 なおたちが悪い。


 で、結局手伝わされた。

 ……おれ、結婚してもこいつにこんな感じで尻に敷かれるんじゃないだろうか? 心配だなぁ……。


 ……。

 は!?

 いや、待て!?

 なんで結婚したときの心配なんてしてるんだ、おれは!?


「どうした?」

「え!? い、いや!? なんでもないぞ!?」

「? 変なヤツだな?」

「き、気にすんな。別になんでもねーよ! ほら皿貸せ!」


 おれは誤魔化すように率先して食事の準備を手伝った。

 ……あー、くそ。

 結婚とかそういうこと意識するとまともにこいつの顔見れねえな……。


 ……いや、違うぞ?

 別にこいつに好意を抱いてるとかそういうことではないからな?

 そういうのとは違う。

 って、おれは誰に言い訳してるんだろうな……?


「しかし、結局行くことにしたのだな」


 唐突に魔王がその話題を振ってきた。

 おれは少し手を止めた。


「……まぁ、そうだな。色々あれこれ考えたけど……結局行くことにしたよ」

「王都は遠いんだったな」

「むっちゃ遠いな。まぁここがそれだけド田舎ってことでもあるが」

「妾がついていってやらんで大丈夫か?」

「はあ!? 大丈夫に決まってんだろ! おれを誰だと思ってんだ!?」

「自称大賢者のクソガキ?」

「身も蓋もねえな!?」

「冗談だ」


 魔王はふっと少しだけ笑った。


「まぁ、でも一年に一度は帰ってこられるのだろう? ならお前が留守の間は、妾にこの家のことは任せておけ。ドラゴンが襲ってきても撃退してやるわ」

「今のお前ならやりかねんな……」


 おれは中央に行くが、こいつはここに残るわけだ。

 魔王も年齢的に学校へ入ることにはなるが、こいつが行くのは領地の学校だ。

 領地の学校があるのは領都で、ここからそう遠くない。


 テディが中央へ連れて行くのはおれだけだ。

 ……つまり、こいつと顔を合わせるのも一年に一度の安息月だけになっちまうんだよな。


 何となく、じっと魔王のことを眺めてしまった。


「どうかしたか?」

「え? あ、いや、別に何でも……」


 おれは目を逸らした。

 魔王は少し怪訝な顔をしていたが、何やら急ににやりと笑いだした。


「……おやおや? 大賢者よ、お前もしかして……妾の顔が見られなくなるのが寂しいのか?」

「はあ!? なんだそりゃ!? んなわけねーだろ!?」

「そうか? その割にいまじっと妾の顔を見ていたような気がするがな?」

「気のせいだ、気のせい! いいからさっさと用意すんぞ!」


 おれはさらに率先して準備することになった。

 身体中が痛いことを思い出すのはもうちょっと先のことだ。



 μβψ



「そう言えば、今日は珍しくハンナが寝坊しているな」

「……ん? 言われてみればそうだな」


 もう朝食の準備はほぼ終わった。

 いつもならハンナも朝食の準備は手伝っているのだが……そう言えば今日は姿が見えない。

 ……まぁ、たまにはそんな日もあるか。

 おれだって寝坊する時くらいあるしな。


 と、この時点ではおれはあまり深く考えていなかった。

 昨夜はちょっとした宴でいつもより寝るのが遅かったから、それで寝坊しただけだろうと考えていたのだ。


 それからすぐにドタドタと騒がしい音が聞こえ始めた。

 ハンナか? と思っていると、


「うわあああ!!! ね、寝坊したああああ!!!」


 リーゼがボサボサの髪でリビングに飛び込んできた。

 まるでこれから仕事でも行くみたいに、中途半端に鎧まで着込んでいた。いやもう本当に中途半端だった。よほど慌てていたのだろう、というのが見ただけでよく分かった。


「……」←おれ

「……」←魔王

「……」←ティナ

「……」←ダリル

「……」←テディ


  ↓ みんなから放たれる無言の視線


「……」←リーゼ


 しばしその場は沈黙に包まれた。

 リーゼの顔が徐々に赤くなり、最後は真っ赤っかになった。


「……す、すいません。お騒がせしました」


 リーゼは消え入るような声でそう言って、静かにドアを閉じた。

 テディは額を押さえ、深く溜め息を吐いていた。



 μβψ



 ……とまぁ、朝から色々とあったが、本当の異変はここからだった。


「ハンナのやつ起きてこないな?」


 ダリルが首を傾げていた。

 すでにテディやリーゼも含めて、全員が食卓についている状態だ。

 いつものハンナなら、とっくに起きている時間なのだが……まだ姿を見せていなかった。


「ぼく、ちょっと様子を見てきますよ」

「わたしも参りますわ、シャノン様」


 おれが立ち上がると、魔王もすぐに立ち上がった。

 二人でハンナの部屋まで移動した。


「ハンナ、起きてるか?」


 軽くノックしてみた。

 しかし、返事は無かった。

 ……おかしいな。さすがにノックしたら寝ていても起きるとおもうんだが……。


「入るぞ?」


 ドアを開けた。

 すると、そこにハンナの姿はなかった。


「……あ、あれ? ハンナ?」


 ベッドは既にもぬけのからだった。

 ……もう起きてたのか?

 いや、でも朝から一度も姿を見てないぞ……?


「魔王、今日起きてからハンナのこと見たか?」

「いや、見ておらん」

「おかしいな、トイレにでもいったのか……?」


 おれたちは一階に戻ってハンナのいそうな場所を軽く見回ってみたが、やはりどこにも姿は見当たらなかった。


「……いない」


 おかしい。

 ハンナがどこにもいない。

 おれがこの状況を〝異変〟と捉えたのは、この段階になってようやくだった。


 ハンナが見当たらないことをみんなに伝えると、家の中はにわかに騒がしくなった。

 すぐに朝食どころではなくなった。

 ダリルとティナも一通り家の中を見て回ったが、やはりどこにもハンナの姿はない。


「……おかしい、ハンナのやつどこへ行ったんだ?」


 ダリルが深刻そうな顔で言った。

 するとティナは、


「もしかしてあの子……一人で外に出て行ったのかしら?」


 と、不安そうな顔をした。

 ハンナが誰にも何も言わず、一人で外に出て行くようなことはこれまでなかった。

 だが、家の中にいないとなると……もうそれしか考えられなかった。


「そうだな……家の周りも見回ってみよう」


 ダリルがそう言うと、リビングで待ってもらっていたテディとリーゼがやってきた。


「ダリルよ、ハンナはまだ見つからぬのか?」

「は、はい。お騒がせして申し訳ありません……わたしとティナは少し外を探して来ますので、テディ様たちはシャノンたちと先に朝食を食べていてください。せっかくの料理が冷めてしまいますから」

「いや、我々も一緒に探そう。人数は多い方が良かろう」

「いえ、しかし……」

「父さま、テディ様の言うとおり、人数は多い方がいいですよ。ぼくとエリカも一緒に探します」


 テディに乗っかる形でおれがそう言うと、ダリルは少し考えてから頷いた。


「……そうだな。分かった。みんなで探そう」


 おれたちは手分けして家の周辺を探すことになった。

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