11,ハンナ、むくれる

「ふう、やっぱり風呂は最高だなぁ」


 風呂上がりのダリルがほくほくした顔をしていた。

 もうすでに寝間着だ。


 もう夏場は過ぎたから、日の入り時間も少しばかり早くなっている。

 おれたちの生活サイクルは基本的に日照時間に大きく左右されるので、日の入りが早くなれば自然と寝るのも早くなる。


 明かりが必要なら蝋燭を使う。

 冬場だと日の入りが早すぎるので蝋燭を使うことは多い。それでもなるべく節約のために早く寝るのだ。


 ……うーん、全然貴族らしくない生活だ。おれの作った魔術道具が使えれば色々変えられると思うんだが……現時点でおれに魔術の知識があるのは絶対におかしいからな。ここはやはり隠さねばなるまい。


「シャノン、風呂空いたぞ」

「はい、父さま」


 おれは頷いて、ティナを振り返った。


「ということだそうです、母さま。お先にどうぞ」

「……」(じー)


 ティナが何か言いたそうにこっちを見ている。

 おれは機先を制した。


「言っておくけど一緒には入りませんよ?」

「まだ何も言ってないわよ!?」

「目で言ってたじゃないですか……」

「もう、シャノンのけちんぼ! 減るもんじゃないしいいでしょ!」


 ティナがむくれた。いやだから子供か。

 あと減るから。そりゃもう色々と減るから。だから無理。無理なんですってば。

 ていうかって久々に聞いたわ。


「ティナ、シャノンはもう9歳だ。じきに10歳だぞ? もう親と一緒に風呂に入るような年齢じゃないんだ。そのへん分かってやれ」


 と、ダリルがもっともらしく言った。

 思わぬ所から助け船が来た。

 おれは思わず頷いてしまった。


「そうです。父さまの言うとおりですよ。ぼくはもう自立しなきゃいけない年齢なんです。だから別にけちんぼな訳じゃありませんからね?」

「シャノンも、もうそんな年齢なんだなぁ……子供の成長というのは早いものだ……」


 ダリルが遠い目をしていた。その目からは一筋の涙が――って前もこんな光景見たような気がするな。


「むう……仕方ないわね」


 ティナは渋々、と言った感じで引き下がった。

 と思ったら今度は急に笑顔になった。


「それなら、わたしは後でいいからあなたが先に入りなさい」

「いえ、ぼくは後でいいです」

「ちっ」


 この人いま露骨に舌打ちしたよ????

 絶対途中で乱入してくるつもりだったよね、この人????


「もういいわよ! わたしはエリカと一緒にお風呂に入るから!」


 ティナは猛然と立ち上がり、魔王を振り返った。


「エリカ!? エリカはわたしの味方よね!?」

「あ、すいませんお義母さま。わたしも一人で入りますので」

「がーん!!!!」


 結局、ティナは一人でお風呂に入った。

 ……風呂場に消えていくその背中はとてもションボリしていた。



 μβψ



 おれは風呂場まで来ていた。


「……なんかさすがに可哀想だったな」


 ティナはよほど子供と一緒にお風呂に入りたいらしい。あそこまでションボリされるとやはり罪悪感があるが……うーん、でもなぁ……こればっかりはな。


 これで魔王がティナと一緒に入ってくれたらこっちへの風当たりも多少はマシになるんだが……あいつも一人風呂派なんだよなぁ。


「お兄ちゃん、お風呂入るの?」

「うお!?」


 気がつくとハンナが真後ろにいた。

 一瞬、魔王がいるのかと思って驚いてしまった。


「あ、ああ、なんだハンナか。そうそう、これからお兄ちゃんはお風呂だ」

「じゃあハンナも一緒に入る! 着替え持ってくるね!」


 ぴゅー、とハンナは風のように去って行ったが、すぐに着替えを持って戻ってきた。ついでにおれが作ったお風呂で遊べるアヒル型のオモチャも一緒だった。ゼンマイ仕掛けで水面を移動するという簡単なオモチャだ。


 いつもならこのまま一緒にお風呂に入るところだが、おれは少し考えた。

 ……うーん。前も思ったけど、よく考えればハンナだってもう8歳だしな。やっぱりおれと一緒にお風呂はそろそろやめたほうがいいような気がするな。


 それにおれがハンナと入るのをやめれば、ティナがハンナと入れるようになる。そうすれば何もかも丸く収まるのでは?


「なあ、ハンナ」


 おれは決心し、しゃがみ込んでハンナに話しかけた。

 服を脱ごうとしていたハンナが手を止め、小首を傾げた。


「どうしたの、お兄ちゃん?」

「いや、えっと……」


 おれは少し口籠もった。

 ……いざ言うとなると、どう言葉にすべきか迷うな。


「うーんとな……ハンナはいつもぼくと一緒にお風呂に入ってるだろう? でも、それは今日で最後にしようと思うんだ」

「……え?」


 ハンナはきょとん、としてしまった。

 それからすぐに不安そうな顔になった。


「ど、どうして? お兄ちゃん、ハンナと一緒にお風呂入るのイヤだった?」

「違う違う! イヤなわけないよ!」

「じゃあ、どうして今日がさいごなの?」

「ええとね……ほら、ぼくはもう9歳だし、ハンナも8歳だろ? ぼくは来年から学校に行くし、再来年さらいねんにはハンナも学校に行くわけだ。だからそろそろ、一緒に入るのはまずいかなって……」

「なにがまずいの?」

「え? ええと、それはねえ……うーんとねえ……」


 おれは唸った。

 ……男女の性差がどうこうなんて話をしても今のハンナにはピンとこないだろうしなぁ……。


 ティナが相手なら「もう子供じゃない」と言えばそれが理由になったが、この場合はどう言えば理由になるんだ……? 

 ……ダメだ、うまい理屈が何も思い浮かばんぞ。


「ほ、ほら。学校に行った時、兄妹きょうだいでお風呂に入ってるなんて言ったら周りの子たちに笑われちゃうだろ?」

「どうして笑うの?」

「え? いや、それは……」


 苦し紛れに適当なことを言ったが、返ってきたハンナの純粋な疑問に答えられなかった。

 ……わ、分からん。

 魔術のことなら何でも分かるが、これに関しては何も分からん……!!


 いや、ここはもう「そういうものだ」と押し切ろう。

 なに、ハンナは素直な良い子だ。

 きっと最後は納得してくれるはずだ。これまでもそうだった。ちょっとくらい我が侭を言うことはあっても、最後はちゃんと素直になってくれるだろう。


「と、とにかくまぁそういうものなんだよ。世間的にね」

「せけんてき……?」

「そうそう、世間的に。だから、一緒にお風呂に入るのは今日で最後ってことで。ね? ハンナは良い子だから、お兄ちゃんの言うこと分かってくれるだろ?」

「イヤ」

「うん、そうか。イヤか――って、え? イヤ?」


 ……あれ?

 聞き間違いか?

 なんかおもくそ「イヤ」って言われたような気がするんだが……?


 そこでおれは気がついた。

 ハンナが頬を膨らませて、不満そうにいたのだ。


「……あ、あれ? ハンナ?」

「イヤだもん。ハンナはお兄ちゃんとお風呂に入るもん」

「いや、だからそれはさ、年齢的にっていうか世間的にそろそろアレなわけで……」

「そんなこと言われてもわかんないもん」

「う、ううんとな……これは言葉で説明するのは難しいんだよ。だからな、ほら、分かってくれよ? ハンナは良い子だろ?」

「イヤ!! ハンナ分かんないもん!!」


 むう、とハンナはさらにしまった。

 ……や、やばい。

 ハンナを怒らせてしまったぞ。


 ハンナが怒ることはあまりないが、それでも年相応にへそを曲げてしまうことはある。そうなると大変だ。ご機嫌を取り戻すのにはとてつもない時間がかかるのである。


 おれは慌てた。


「わ、分かった。今日で最後っていうのはいきなり過ぎたな。じゃあ、明日で最後にしよう」

「イヤ。ずっと一緒に入るもん」

「ずっとは無理だよ。それに年頃になってきたら、きっとハンナの方がぼくとは入りたくないって思うようになると思うぞ」

「イーヤ!! お兄ちゃんとじゃなきゃお風呂入らないもん!!」


 ついに駄々をこね始めた。

 いつもならここでおれの方がすぐに折れるのだが……いや、それだとこれまでと一緒だ。ここはおれが兄として、きちっと言って聞かせねばなるまい。


 おれはなるべく兄らしい態度に努めた。


「わ、我が侭言っちゃダメだぞ、ハンナ。とにかく明日で最後だ。いいかい?」

「……お兄ちゃん、どうしてそんないじわる言うの?」

「え?」


 むくれたハンナの目尻に涙が浮き上がり始めた。

 ……あ、あれ?

 ちょっと待て!?

 ハンナ泣いてる!?


 兄らしい態度などあっさり消し飛んで、おれは狼狽えてしまった。


「い、いや、違うんだよハンナ!? これは意地悪とかじゃなくて……!?」

「――イ」

「え? い、いま何て?」

「お兄ちゃんなんかキライ!!!」


 びえー、とハンナは泣きながら脱衣所を飛び出していった。


「あ、ハンナ!?」


 慌てて呼び止めようとしたが、もう遅い。ハンナは階段を駆け上がっていってしまった。


「……」(呆然)


 ……キライ?

 お兄ちゃんなんかキライ……?


 そこから先のことをおれは覚えていない。

 

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